ニッキ-通信 ~盲導犬ニッキ-のお母さんより~

盲導犬ニッキ-と私の日常。要援護者・障害者の防災について紹介します。

底無し沼の恨みぶし

2013年06月29日 | 日記

底なし沼の恨み節

 おかあさんは ブログの中で国際政治に関するようなことは あまり述べたくない。
 しかし 韓国大統領の中国訪問で報道される言葉だけを聞いていると 背筋が凍りつく重いがする。

 何とか言う韓国の英雄の銅像を建立する話だが 日本人の要人を暗殺した場所に建てたいので 中国も協力して欲しいとのことだ。

 おかあさんならたとえ 暗殺であっても 殺人をした場所に銅像は建てたくないなあ。

それから  日本抜きで東アジアの未来を作っていこうとか大学で講演したらしい。
北朝鮮に関しても 日本の力は機体もしていないのだろうと想像する。 
 現代史無関心で 者を売ることばかり考えてきた日本国民の背中に氷の刃を突きつけるようなこの不快恨みを どのように受け止めればいいのだろうか。

 

 日本は今 経済を立て直そうとそればかりに熱中しているように見えるが
 もっと違うところに注目しなければ 益々 世界の潮流に乗れないように想う。

 昨日 フランス人のジャーナリストが 今 フランスでアベノミクスをどう見ているか話していた。そして
最後に ヤベノミクスにならなければいいが...とつぶやいた。

 そろそろ 参院戦の選挙運動が始まる。そろそろ 蝉も鳴き始めるので
外もパソコンンの中も 相当 にぎやかになることだろう。
 
 あまり うるさいと耳を塞ぎたくなる。ご両人ん 適当な音量でお願いします。

 ニッポンはおいてけぼりや蚊帳の外


俳句の添削

2013年06月27日 | 日記

一年前と同じ今日の気候にびっくり

 おかあさんの書いているブログは一年前に書いたブログの一部が 一年後の同じ日に
送信されてくる。
 それを読むと 一年前の今日はとてもさわやかな日であったと書いてあった。
 そして 今日の午前中は まさしく 同じ気候だった。午後は蒸し暑くなったが
一年を通しての天気を見ていくと 大して変化は無いのだなと分る。

 ところが 去年咲いた名品のかぐわしいカトレアが 今年は全くつぼみを付けない。
 美しかったカトレアの花をおとうさんの遺影の前に置いて見せたことを思い出す。

 さて 先ほど 俳句の指導をしてくれている先生と話をした。
 先生は

目を 病みて早半世紀遠花火
めをやみてはやはんせいきとおはなび
を添削して 
目をやみて(病みて)よりも   めしいて (盲いて)  とか 
光をうしないて 
とかに 換えたほうが句を詠む人に 状況がわかりやすいのではないかと 言われた。

 それを聞いた時のおかあさんの心のざわめき。

 今まで 感じたことの無い心の動きであった。

 今まで自分の事を見えないと言っているのに 光は感じているので 全く全盲になっている訳ではないし などと いいわけめいたことを言って反論しているおかあさんがいた。
実際 この句を作った時 は自分は目を病んでいるとしか思わなかったのだ。
何をどう 言おうと 見えないことは確かなのに 何か抵抗する自分がいる。
 おかあさんの深層心理の中に 全く見えなくなることの恐怖が潜んでいるのではないかと考えると 新しい臆病な自分が見えてきた。

添削した句は

目を病みて半世紀過ぐ遠花火
めをやみてはんせいきすぐとおはなび とすることになった。
しかし へそまがりの おかあさんは 添削されたものを 素直に出稿することは
しない
もうひとひねりしてみよう。
俳句を作っていると 思わぬ心の動きが見えてきて 吾ながら はっとすることに
出くわす。自分発見の瞬間だ。

 
 今日 姉からサクランボのさとうにしきが届いた。毎年送ってくれる。
嬉しい味だ。
 ニッキーにも食べさせたいが これ以上 お小水のPHがあがるといけないので 1個だけにしよう。


午後の句会

2013年06月26日 | 日記

梅雨 本降り 句会で過ごす 時 豊か

本降りの午後。大雨と言っても 篠つく雨とか バケツを引っくり返したような雨ではない。少し強めの雨が降り続いた。

 一番喜んでいるのはミドリ。今日は小鳥の声は聞こえない。

 さて 午後 我家で句会が開かれた。指導の先生が現れない。ご自宅に一報を入れたら なんと先生の声。すっかり 忘れていたとのこと。まあ こんな日が遭ってもいいだろう。

 参加者の持ち寄った俳句を パソコンのメールで送信して 先生の添削を待つことになった。

 一方 私達はお互いの句を鑑賞して 自分の意見を自由に述べ合った。
 いつもは参加者全員の句を吟じて 自分がこれと思うものを選ぶ方式だが見えない者にとっては 選んだ後で 其の句が本当に良かったかどうかを検討できないので ああ 他の句を選べば良かった ということが よくある。

 今日は1句づつ吟味しながら鑑賞した。
 参加者の目線が面白いと思った。。

今日のおかあさんの出した句。
1. つばめ来て酒屋の早起き三年目

2.父の日やおかしくもない親爺ギャグ

3.天の川父の優しさ思い出す。

4.白百合や夫(つま)への思い深くなり

5.残雪の飯豊連邦遥かなり

6.おおるりやお洒落心は親譲り
おおるりやおしゃれごころはおやゆずり
7.目を病みて早半世紀遠花火
めをやみて はやはんせいきとおはなび

8.捨てばちな考えよせよ桜桃忌

 ニッキーは今日も全員にしっかりと挨拶が出来た。
ニッキーとおかあさんは 毎晩 お父さんの遺影に向かって
一日の報告をして お休みなさいを言ってから寝ることにしている。
 夕べは おかあさんが多忙でそれをしなかった。すると ニッキーはおかあさんを遺影の前に連れて行って 催促をした。
 最近 は おうた子に教えられているおかあさん。

 

 


横浜駅周辺のみなとみらい地区

2013年06月25日 | 日記

横浜の東口周辺のみなとみらい地区

このごろ おかあさんは社交ダンスに続いて筋トレのカーブスに行くと其の後がとても
疲れてしまう。
 帰宅して すぐにご飯の支度にかかるところを つい 横になってしまいたくなる。

 でも ニッキーのご飯は上げなくては鳴らないしそんな暇は無い。
昨年は こんな状況ではなかったと思うと ちょっと口惜しい気がする。

 今日は 何となく心臓がぱくぱくしたので カーブスをお休みして 洋服の生地を見に行った。
 湯沢やという有名な店。 横浜駅の東口にあるというので 行ってみた。
そごうの裏に横浜港の渡し船の赤い靴号の停泊するところの先になるのか 以前はぞうせんじょでもあった所を埋め立てて みなとみらい地区の一画か。
 道を聞いたら親切な和解女性が目的地のビルまで連れて行ってくれたので行けた。どうもペデストリアンデッキになっているようで 自分が何階にいるのか全く分からない。まるで 
おかあさんにとっては迷宮みたいだった。
 デッキだから 勿論緑も無く 殺風景に思えたが どんな町並みになっているのかな。通路には美しい音楽が流れて 耳心地は良い。今日は曇っていたので良かったが真夏は絶対に行きたくない場所に思えた。

 


みなとみらい地区は 桜木町周辺もなんとも緑の少ないところだ。
 だだっ広い場所に木蔭が少ない。

 緑を守るために頑張っている鎌倉の事は以前に書いたが 横浜の人も自分の吸う空気くらいは横浜の緑でまかないたいものだ

 ところで 湯沢や二は沢山の美しい生地がある。目的のダンスのレッスンン用のスカートの記事も素敵な生地があった。
 これらの中からおかあさんだけのオートクチュールのスカートを 元町 オザワで作ってもらおう。。
 
楽しみだ。


受刑者が育てた盲導犬 と サクラサイト

2013年06月24日 | 日記

受刑者が携わる盲導犬育成プロジェクトから始めての盲導犬が出ました。

 島根県に 官民共同で作られた あさひ社会復帰促進センターがある。
 そこに収容されている受刑者がグループを作って 盲導犬の赤ちゃんのパピーを2ヶ月から1歳まで育てて 更正に結び付けようというわけだ。

 そこから この4月に 遂に 1頭目の盲導犬が誕生した。
 おかあさんも ずっと待っていたので 心から 嬉しい。


 盲導犬の名前もユーザーの名前も出ていないのは 何事もいやなことが発生しないようにとの 個人情報の保護かな。
 こんな配慮をしなくてもよい社会になることを望む。

 さて 今日のニュースで サクラサイト という聞きなれないサイトが話題に上がった。
そのメールサイトは出会い系サイトの一つらしいが 利用して高額なメールの使用量を取られたとのことであった。

 芸能人から直接一個人に 相談に乗ってくれたらお金を払うといったメールが届く。それが 会社に雇われたアルバイトが発信しているとも知らずに 返信をして 何度も遣り取りをしする。そのメールを受けるにも 発信するにもお金が係り 気付いたら100万円単位の利用料金がかかってしまう。

 ところで 何で 芸能人と交流をしたいのかおかあさんには理解できない。
おかあさんの場合  昔から 歌手でも ああ いいな と思っても心で応援するくらいのものであった。

 勿論 キャーキャーも一度も言ったことがない。かといって そんなに クールなにんげんでもない。
 普通だと思っている。 
 
 このごろ そう聞けば おかあさんのメールにも個人の名前の入ったツイッターなるものが紛れ込んでいる。おかあさんは 自分の知らない人からのメールは絶対に開くことなく ゴミ箱に捨てている。もしかしたら これらを開いてみると 相談に乗って欲しいという
危うい魔の手が待ち受けているのかも。
ああ いやだ。
 
 以前 全盲の友人の家に 大人のサイトを覗いた利用料金の請求書が届いたそうだ。
 全盲だから そんなサイトは見ないとのことで 勿論無視したと聞いた。

 しかし この例では 見える見えないなんていうのは関係ない。相手のメールを開いて アクセスしたからこその料金の請求だろうから 支払わざるを得なかったか。

 知らない人からのメールは必ず 悪意が潜んでいることを知らなければならない。

 ニッキーを見ていると悪意のかけらもない。
美しいなあ。


にわかに憲法を学ぶ

2013年06月24日 | 日記

にわかに 憲法を考える


23日の 日曜日  緑ヶ丘フォーラムの日だ。
 この会は おかあさんが 不得手としている 社会のことを学ぶために 通っている勉強会。
今日のテーマは憲法。
 事前に出されていた 現行の憲法と自民党が出してきたかい改革案との比較から
始まって 話は二転 三転。
 今回 この自民党の改革案が出ていることをはじめて知ったおかあさん。読んでみると アレー どうしてこんな風になるの??? というのが結構あって びっくりした。
 現在の難しい国際情勢の中で 国の防衛をどうするのか など きれいごとでは済まされない事も多々あるそうだ。
 段々と軍国主義になったり 個人の福祉の向上という言葉が消されたり 天皇を元首と名乗らせようとしたり おやおや これはどうも という 言葉がやけに大きく聞こえる。

 これが本当に国を憂える人たちから出たのなら 我我 日本人は 日常的に 殆ど 何も聞かされないまま つんぼさじきにおかれていたのだ。
 つんぼって 今は差別用語かしら?
気に触る方がおられたら 御免なさい。

 おかあさんにとって憲法は空気みたいなものだった。憲法問題がかまびすしく叫ばれていても 関心が無かったが 今回の話し合いで 一人の日本人として 全文を学びたいと思う。

 どうして 作り変えなければ鳴らないのか
そこから分らない。


 ところで 現行の憲法の発布がいつだかご存知ですか?
それは 1947年 5月3日です。

 インターネット環境の中に 自民党の改革案や それに関する意見が沢山出ているので 覗いてみて欲しい。

 中には 覗くと ウイルスに感染してもつまりませんから 見ないほうがいいですよ。 なんて 注意しているものもある。

 参議院選挙も近い。おかあさんも迷っている。そして 本当の意味での国民の福祉の向上を考えてくれるグループか人を選ぼうかな なんて 考えているが 甘ちゃんだろうか。

 


 


にわかに憲法を覗く

2013年06月24日 | 日記

にわかに 憲法を考える


23日の 日曜日  緑ヶ丘フォーラムの日だ。
 この会は おかあさんが 不得手としている 社会のことを学ぶために 通っている勉強会。
今日のテーマは憲法。
 事前に出されていた 現行の憲法と自民党が出してきたかい改革案との比較から
始まって 話は二転 三転。
 今回 この自民党の改革案が出ていることをはじめて知ったおかあさん。読んでみると アレー どうしてこんな風になるの??? というのが結構あって びっくりした。
 現在の難しい国際情勢の中で 国の防衛をどうするのか など きれいごとでは済まされない事も多々あるそうだ。
 段々と軍国主義になったり 個人の福祉の向上という言葉が消されたり 天皇を元首と名乗らせようとしたり おやおや これはどうも という 言葉がやけに大きく聞こえる。

 これが本当に国を憂える人たちから出たのなら 我我 日本人は 日常的に 殆ど 何も聞かされないまま つんぼさじきにおかれていたのだ。
 つんぼって 今は差別用語かしら?
気に触る方がおられたら 御免なさい。

 おかあさんにとって憲法は空気みたいなものだった。憲法問題がかまびすしく叫ばれていても 関心が無かったが 今回の話し合いで 一人の日本人として 全文を学びたいと思う。

 どうして 作り変えなければ鳴らないのか
そこから分らない。


 ところで 現行の憲法の発布がいつだかご存知ですか?
それは 1947年 5月3日です。

 インターネット環境の中に 自民党の改革案や それに関する意見が沢山出ているので 覗いてみて欲しい。

 中には 覗くと ウイルスに感染してもつまりませんから 見ないほうがいいですよ。 なんて 注意しているものもある。

 参議院選挙も近い。おかあさんも迷っている。そして 本当の意味での国民の福祉の向上を考えてくれるグループか人を選ぼうかな なんて 考えているが 甘ちゃんだろうか。

 


 


梅雨の晴れ間 にわか雨に注意

2013年06月22日 | 日記

安心できない梅雨の間の晴天

 数日間降り続いた雨が止んだ。夜中に洗濯機を回しておいたので 朝 干したら すっきり乾いた。あんなに降ったのに 今日は湿気が無い。いかに地面の水はけが良いかわかる。
 と思ったら にわか雨に濡れてしまった洗濯物。アーア。

 ところで つゆ  と 梅雨はどう違うかごぞんじだろうか。 応えは簡単。
つゆ はしとしと降る時 梅雨 は台風がやってきて 数倍の雨を降らせた時 そう言います 。
 というのは 嘘。こんなに湿気が無いのでは
かびが生えることもなくて 黴雨 とは言えないだろう。
 さて 読み終わった本に 横浜元町オザワ洋装店 というのがある。

 洋装店とは古風な名前棚とだなと思ったが かって おかあさんは 洋装店のウインドーに飾られた 真っ白な皮のロングコートに魅せられて それが 欲しくて 何度かそのコートを見に行ったことがあるので 懐かしく思ったからだ。

 その店は 横浜元町にあった。

 そのころのおかあさんの経済力ではちょっと手が出なかったので 本当に残念ながら買えなかったのだ。

 そんな思い出と共に 本を読んでみた。

 元町はもともとは 横浜村 明治の直前に 外国人の居留地として そこに住んで 商売をしていた200個が 今の場所に移転させられて 作り上げた町。
 外国人の生活する土地の傍にあって 逸早くハイカラなものが店に並べられて おおいに賑わったらしい。

 そんな中で 洋服を作る店が多く 洋服職人を多く排出した町でもある。
  今 元町 オザワ と改名された洋装点は 頑固だが 素晴らしい腕を持っていたご主人と奥様が奮闘して築き上げた店。
 
 おかあさんは たまたま 元町にいいお店が無いかしらと かんがえていたところだったので 早速言ってみることにした。
 友人のYさんに同行をお願いしていたのだが 今日 彼女から お店の前に立っているとの電話があった。
 たまたま 用があって近くに来たとのことで  店の概観がどんなであるかを教えてくれた。
 小さい店らしい。ちょっと フルそうとのこと。
HPによると オーダーメードをするのは 元町で ここ一軒になってしまったとのこと。

 でも おかあさんにとって大切なことは きちんと話を聞いてくれて しっかりしたものを作ってもらうこと。
 どんなものを作ろうかと 頭の中が動き始めた。
リフォームもOKとのことで ある。

 元町は 昨秋 盲導犬 どこでも ウエルカム のパレードの出発点だったところだ。多分 オザワの方も50頭の盲導犬の長い列に拍手を送ってくれたのではと思う。

 おかあさんは 本を読んでいるので 初代の奥様は もう 顔見知りみたいに思える。
 さて どんな 出会いに鳴るか楽しみだ。


心の大金持ちになりなさい

2013年06月21日 | 日記

心の大金持ちになろう
台風4号と梅雨空のもと 雨だ。それも吹降り ふきぶり。このふきぶりという言葉だが
もしかして もう 死後なのか。ついぞ 聞かない言葉になったように思う。
おかあさんには 言い得て妙な表現だと思っている。言い換えれば雨と風が強くて濡れてしまう雨のことだ。
 これを 荒梅雨 あらつゆ と言うのだろう。


 さて おかあさんの亡くなった友人に息子がいる。D君という。小さい頃から知っていて たまにしか会わないが 子供のいないおかあさんには準息子みたいに感じている良い子だ。
良い子と言ってももおう40にならんとする立派な男に育っているが。

 彼は 親から叩き込まれた家の内装のいい腕を持っている。

今 彼は一人の同じ仕事をする32歳の人の面倒を見ることになった。
その 人は今 精神的な病で苦しんでいる。自分に自信が持てないでいる。
 その人から 相談を受けた。悩みを聞いたり 仕事が出来なくなって お先真っ暗 という生活から 救い出してあげようと している。
 毎朝 車で迎えに行き 共に仕事場に向かう。体調を気遣い 具合が悪くなれば 家まで送る ということを続けている。

 

 一匹狼の職人は働けなくなると 生活が成り立ってゆかない。そこに落ち込んでしまった人を 自分で給料を払って助けている。
  D君だから出来ることだろう。しかし お金が無いので病院には行かないという人を 彼 一人で 救えるのか。

 そんな折 おかあさんが自宅のひさしをつけることで連絡を取った。
何度か会っている内に D君が おかあさんに相談を持ち込んで その人のことを話した。

 おかあさんは精神の病の治療をしている。この出会いは偶然なのか それとも おかあさんも人肌脱いで 力になって上げなさいと野お告げか。

 

 D君は心の大金持ちだ。今 おかあさんが手を貸してあげなければ 彼らは行くところがなさそうだ。
貧乏暇無しのおかあさんだけど この際 心の大金持ちになってみようか。
 ニッキーはD君が大好きだ。やはり 良い人は分かるんだね。。


変な天気と変な出来事の連続だったけれど

2013年06月20日 | 日記

変な天気 変な日

 大雨が関東地方に...との天気予報が午前中を通して言われていた。
 昼ごろになって 様子が変わり 東京は曇り時々雨に変わった。

 午後3時半 コンサートに行くため 家を出たが 東京に入ると晴れ間もちらほら。帰宅まで雨さん待ってと願いつつ上野に着いた。
 ニッキーの為のあめの用意と夕食の用意とおかあさんの背中のリュックは一杯だ。

 上野に着いてもまだ降ってこない。やったあ。少なくとも往きはセーフ。雨は大の苦手だ。

 久しぶりに緑ヶ丘フォーラムのお仲間と会ったニッキーは尻尾をビュンビュン。Aさんは以前ゴールデンを飼っていたので 何しろトイレさせ上手。彼女にかかるとトイレをなかなかしてくれないニッキーがあっという間に大も小もすんなり。世の中には コツ を心得ている人がいるものだ。。
 だから おかあさんは 安心して ニッキーを預けられる。戻ってきた時のニッキーは大喜びで大得意だ。
 今宵はなんと3回も。

 さて コンサートはというと ヴァイオリンが聞きなれているストラディバリではなく
グアルネリだったこともあって 聞きなれない音色と何となくぶらさがった音の連続にニッキーも落着かない様子で体位変換などをしていた。時には頭を持ち上げて 音を聞いている幹事。
 本当にニッキーは音楽が分るのだね。
グアルネリのヴァイオリンは音がやや低めで その音色は聞く人の臓腑をえぐるほとの音色だそうだ。
 こちらの方が個性的な音色なのかも知れないと思った。

 コンサートが始まる前に 切るべきケイタイの電源を切り忘れていたら 珍しく着信があって おかあさんはどぎまぎして 音を切るスイッチが指に触れず 大失敗。
ホール内に響いたであろうか。失礼しました。

 そして 帰りの電車で 酔っ払いと思われるいやな男性に盲導犬がらみでちょっとからまれ 最寄り駅で乗ったタクシーの運転手は愛想なしの運転手。返事くらいしてよ。変なことの続く飛騨
 そして 漸く帰宅したら雨が降ってきた。
午後11時だ。ニッキーは もう 眠くてたまらないとばかりにすぐにバタン キューー。
 歯磨きとお尻と足の裏を拭いておやすみなさい。

  心配した雨に降られなかったので 今日はラッキーで終わった。。
お世話になった皆様 感謝します。


人が好きなニッキーなのになぜ横を向くの?

2013年06月16日 | 日記

人が大好きなニッキーなのに

 昨日の帰りの電車のなかでのこと。電車が込んでいたので ニッキーとおかあさんは
立っていた。すると 目の前から チチ という声がする。ニッキーは なぜか 横を
向いてしまった。
 その態度から推察すると 目の前の男性は いけ面でもなく 若くも無いらしい。

 隣にいたガイドヘルパーさんに 「もし ニッキーの注意を引こうとして 声を掛けているなら 仕事中だからと しないように話して欲しい。」と頼んだ。。
 高齢のヘルパーさんは そこで 初めて 気賀付いてその人に話してくれた。
 すると その人 初老の男性可と思うがびっくりしたように 仕事中??? と声をあげた。
 いつもなら ニッキーは尻尾を振って愛嬌を振りまくのに 知らん顔をしている。
 お気に召すタイプではなかったのだろう。
 
 横に座った時 色々と尋ねてきたので これ幸いとばかり 盲導犬の話をさせてもらった。
 盲導犬ライフをしていると男性 特に 中年以上の男性が 盲導犬へのマナーを
知らない。多分 日常生活の中で 啓発用の番組などに接することが無いか 人生に必要でない知識は取り込まない人たちが多いように思う。

 触ってくるのは犬が好きだからだが 盲導犬やその他の補助犬は
盲導犬を呼ぶとき 訓練中でもおかあさんたちのところに来ても 必ず 名前で呼ばれる。
 注意を払うためでも 必ず 名前を呼ぶ
 彼らの生きてきた時間の中で 口笛や チチ などの言葉ではない声で呼ばれたことはないと思う。
 郡司ななえさんという盲導犬のユーザーでありさっかである方が書いていたが 自分に子供が生まれて その子供に手がかかって盲導犬をかまえない状況にあった時 盲導犬はいたずらをするわ トイレは失敗するわ 挙句の果ては ツウまでたべてしまうことがあったそうだ。
 自分のほうを向いてもらいたい一身で 悪戯の限りを尽くす 程 盲導犬は おかあさんやおとうさんの子供で いつも 愛情を一杯注いでもらいたいのだ。

 ニッキーは 今は おかあさんの愛情を独占していて その有難さを知らないのではないかと思うが
 これでも 結構 気を使っているのかも知れない。
最近は若い頃のような紙を食いちぎったり ダンボールを砕片にしたりする悪戯はしなくなった。

 


要援護者はいつまで経っても災害弱者である

2013年06月14日 | 日記

 災害時要支援者はいつまで経っても災害弱者である

 何度か書いたことがある。東日本大震災で死亡した障害者はその他の人の死亡率の2倍以上であったと。
 ここで 考えてみる。高齢者が多い時代に なぜ 障害者の死亡率が高いのだろうか。お年寄りだって同じような状況にあるではないかと。

 だが 大きく違うことがある。
年を取っても 歩ける 走れる 見える 聞こえる 判断できる というのは命を救う条件。
 身体障害者や知的障害者とか 聴覚障害者とか視覚障害者とか より 危険に近いにもかかわらず 危険をさっちすることや 察知しても 逃げられなかったりする。又 非難したくないのが本音なのだ。

 次に掲げる新聞記事は まさに そのことをあからさまにしたもの。

 この生地を読んだら 近くに誰かそんな人がいるかなと注意してみたらどうだろうか。
 情けは人のためならず。

ここから新聞記事。
2.東日本大震災 要援護者6割、避難所に行かず
2013年06月13日 毎日新聞
自力避難が難しい障害者や高齢者ら「災害時要援護者」について、東日本大震災で実際にどう避難したかを尋ねた初の政府による調査で、避難所に行かなかった人が6割に上り、避難したくてもできなかった人も2割いたことが分かった。要援護者の死亡率が高かった大震災で、ハンディを抱えた人が十分な支援を受けられなかった実態が裏付けられた。
青森、茨城を含む被災5県で昨年12月~今年3月、被害の大きかった35市町村から無作為抽出した住民1万人に、障害者団体や高齢者施設の団体の会員を加えた計1万3922人に調査票を郵送。4214人が回答した(回収率30%)。
要援護者にあたると回答した783人のうち、避難所に行っていない人は473人(60%)。理由(複数回答)として「設備や環境面から生活できないと思った」(34%)が最も多く、「他の避難者も大勢いるため、いづらいと感じると思った」(17%)が続いた。避難所に滞在できた206人でも、風邪やうつ病などの病気、以前からの障害の状態などが悪化したとの回答は50%に上った。
また、要援護者783人から震災時に被災5県の外にいた人を除く747人のうち「避難できなかった」と回答したのは136人(18%)。「避難が必要と判断する情報が入らなかった」(34%)▽「周囲の支援がなかった」(32%)▽「避難場所が分からなかった」(23%)▽「身体が不自由で避難できなかった」(8%)の順で理由を挙げた。内部障害の人では30%、難病では28%、要介護度3以上の人では24%が避難できなかった。
政府は要援護者支援策を強化した災害対策基本法改正案を今国会に提出。避難支援のガイドラインも見直しており、手がかりとなる実態調査を進めていた。「要援護者が厳しい現実にさらされた教訓を生かす」(内閣府被災者行政担当)としている。【

 

  ニッキーはゴールデン レトリバーとラウラドール レトリバーのハーフだが この朱の犬は 関節に問題のアルコがいると聞いたことがある。
ニッキーは昨年 膝関節炎になったことがあるので 怪談を沢山上るときは注意していた。

 毎週2回 利用する階段を 今日は やや 休みがちに上った。
 それは おかあさんを案じてなのか それとも ニッキー地震のことなのか分らないが 段々と関節の油切れが起こってくるのは確か。
 かと 言って 他に昇降の手段が無いのだから仕方が無いが ゆっくり歩くとか 何らかの注意を払う必要があるかも。
心しよう。


断捨離の実効は難しい

2013年06月13日 | 日記

 雨だけど ニッキーはシャンプーに行きました

 今日は 訓練センターでのシャンプウーを予約していたが 楽々行って来られた。
有難いことに車を出してくれたのだが このところ ニッキーとの外出の日は 雨天になることが多い。
 雨が少なくて困っているというのに。
 だが 概ね ラッキーな状況で推移している。
ニッキーは心がけが言いようだ。
今日のシャンプーの同伴者は ニッキーが大好きな人。濡れそぼった身体で 尻尾を振ったりしている。
 今まで シャンプーをしていて尻尾を振ったことは無かったと思う。
よほど 好きなんだね。
手伝ってもらって おかあさんも大助かり。感謝。

 さて 昨日 断捨離 だんしゃり という言葉を聴いた。耳から聞いただけでは どんな地を書くのか分らなかったが 字を聞いて理解した。

 身の回りに どんどん 入ってくるものを断って(たって) いらないものは捨てて 自分から離すとのことだそうだ。

 だが 実生活では このことが一番難しい。
 とはいえ 昨年の離婚率を見ていると結婚数 65万組に対して25万組もの離婚が成立したとか。
 これなど 思い切って 離れる ことの典型みたいな木がする。
 ちなみに この言葉を教えてくれた方も離婚組みだ。

 

 いや まてよ と考えてみる。
 断捨離OK組がいれば それをしない組もいる。それが 人生さ。
犬だって いろんなおもちゃを自分のハウスに貯め込んで 人が来ると自慢げに何かをくわえて持ってくるではないか。 
 何かを貯め込むのは人間ばかりではない。今 こうして書いていると
寝ているはずのニッキーが同意するような大きな声を発した。
ニッキーも 自分の周りに色々置いておくのが好きだね。安心するのかな。


トルコ人に日本人が寄せた惻隠の情 そくいんのじょう

2013年06月11日 | 日記

トルコに日本人が見せた 惻隠の情

最近 トルコでは大統領の政治方針に反対する国民の反対運動が起こって 社会問題になっている。
 おかあさんも訪れたあの歴史と喧騒の大都会で争っている光景はなんとも厄介な内容をはらんでいる
 宗教と政治が絡むと世の中は乱れるようだ。

 そんな現代のトルコ共和国(1923年に共和国となった。)がまだオスマン トルコと呼ばれていた 1890年 明治23年に 一隻の木造のフィリゲート艦が652名のトルコ人を載せて 横浜港に横付けした。
 船の名前はエルトールル号。
 艦長はオスマン パシャ提督。 トルコ皇帝 アブヅルハミト2世から明治天皇への親書をを携えての訪問であった。
明治天皇は3年前に日本の皇族として始めてトルコを親善訪問した小松身やがハミト皇帝に親しく迎えられたことのお礼に大菊花賞を皇帝に送った。その返礼としての使節団であった。

 それから数ヵ月後の9月15日に 台風の危険を省みずに出稿したエルドールル号は 翌日の9月16日に 和歌山県串本の 沖合いの紀伊大島付近の岩礁に乗り上げて座礁。沈没した。 
 その時 提督のオスマン パシャをはじめとして583名が犠牲になったが 残る69名が 大島の磯の岩礁に泳ぎ着いた。
 そこには 日本でも古い灯台である樫の崎灯台の明かりを頼りに漆黒の海を必死の思いで泳いだのであった。

 その磯 いそは200メートルもある岩場の下にあった。 うらべけんし著 語り継ぎたい美しき日本人の物語 によると たまたま 磯 いその見回りにやってきた若い両氏が 一人の漂着の生存者を見つけたと書いてある。
 それからは村人総出で これらのトルコ人 69名を助け 自分達のためにも乏しかった食料を皆が家から持ち出して 彼らを人肌で暖め 食事を提供したそうだ。

 それから 島には救護するためのものはないので 神戸に送り 20日後には元気になった69人全員を 日本の軍艦 比叡と金剛の2艘に載せて トルコのイスタンブールまで護送したのだった。
この比叡と金剛には海軍の士官候補生が乗り組み 彼らの本国送還の任に当たらせたのだった。其の中の一人が
坂之上の雲に出てくる秋山真之 あきやまさねゆきが乗船していた。

 新聞でこの紀伊大島村民の美談を知った全国の人から弔慰金や義捐金が集められ 新聞記者がそれを同じ船に乗船してトルコに届けた。
それからも明治25年には山田虎二朗という人が 更なる義捐金をトルコまで届けた。
 これらのことを新聞で知ったトルコの人たちは 日本人の 惻隠の情 にいたく感動して 長く日本に対する友情を抱くもとになったのがこの事件であった。

 この話には まだ 後日談がある。昭和58年 イラン イラク戦争で イランのメハラバード空港に取り残された日本人  215名をトルコ航空機が救助して難を逃れたがこれはトルコの恩返しとして大きく報道された。

 そして 串本では このエル ツールル号で犠牲になった583名のトルコ人の慰霊祭が今でも お子なられている。 トルコの記念館もあるらしい。
 又  近年にも 沈没した船から遺留品を見つけ トルコに送って意。

 


 ざっと こんな風に明治時代の人が災難に苦しむ人を前にして 人を哀れに思う意味の
惻隠の情 をいかんなく発揮できた理由を 本の著者のうらべ氏はこう書いている

日本には江戸時代から   先頭に立って働いた人に教育的指導者がいたこと 2つ目に 人々は どんな僻地に遭っても 寺子屋などで儒教を学び読み書きが出来たこと 3つ目には
寺子屋より より高度なことを教える私塾があって 人々は教育されていたことをあげている。

 おかあさんは 人間には もともと やさしさがあると思う。

そんなこんなで 語り継ぎたい話として 小学校や中学校の教科書にもこの話が載っているとのこと。

 本を読んでいたら いつのまにか 目頭が潤んできたおかあさん。

 3.11の大震災で世界中から義捐金や励ましが届いた。

 しかし 韓国のジャーナリストがあれは 天罰だと書いた。

 人は色々だが 大変な思いをしている人を哀れに思って手助けをする人の方が ずっと すてき。

 おかあさんも 心して そんな人になろう。


茶毒牙 の出現にどっきり

2013年06月10日 | 日記

 茶毒牙 ちゃどくがの幼虫がいた

 先日 ヘルパーさんから 茶毒牙のの毛虫が椿の葉についていると指摘された。
 茶毒牙 ちゃどくがの障害の被害については 聞いて知っていたので困ってしまった。
 下手に触ると危険だ。
 丁度 そこに 懇意にしている出入りのダスキンさんが見えた。もし 嫌でなかったら それを取って欲しいと頼んだら 気持ちよく処理してくれた。
 2枚の歯に結構くっついていたとのことで おかあさんは想像しただけでぞっとした。

 その後 もしかしたら もっといるかも知れないと恐ろしくなって ガーデニングの
業者に消毒を依頼。
 やはり 木の下のほうに まだいたとのこと。
おかあさんは 一つ一つの植木鉢を手で確認しながら水遣りをするので 手にでも触れたら大変なことになっていた。

 隣家には多くの緑があるので 茶毒牙が出たことを話したら 隣にもいたとのこと。
 今日 全部の消毒をしてくれて ほっとした。
 茶毒牙は椿とさざんかに付くらしい。ちょっと離れたい柄にもさざんかがある。
 多分 やったりとったりして 今頃になると出現するのだ。

 
 それにしても 神様は なぜ 茶毒牙のような害にしかならないと思われる蒸しをおつくりになったのだろうか。

 嫌な話の第2弾だ。最近 事件や犯罪 家事での死亡など おかあさんが住んでいる横浜市磯子区と近隣の区で発生している。
 事件などは遠い国の出来事と思っていたけれど 身近な場所で起こるとは....。
 そう言えば サリン事件の冒頭に殺害された阪本弁護士の一家は
まさしく この地に住んでいた。
 まあ もう いつ 死んでもいいかななどと思っていても やはり 死ぬ時は まっとうな死に方をしたい。
 怖い世の中になったものだ。
少なくとも 殺虫罪(薬剤師の剤ではなく 罪と書いてあります。)  で逮捕されないから まだ いいか。