ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

文芸という魔物が生み出したホラー

2007-11-01 | 映画
「インフェルノ」Inferno の字幕なしヴァージョンのレビューをしないうちに(VHS版以来未発売だった、待望の)日本語版DVDが発売となってしまい、しかも「レビューをしていない言い訳の回」にトラックバックまでもらってしまった。本当にお恥ずかしい限りだ。

しかも、状況は改まらず、辛うじて「作品を見る」時間が取れるかどうかなので、きちんとレビューする間がない。にも拘らず、因縁のような関連を感じさせる「マウス・オブ・マッドネス」In the mouth of madness (狂気の顎=あぎと=に囚われて)を、またまた数日に分けて見ていたりするのだ。

「マウス・オブ・マッドネス」はこんな話だ。

「スティーブン・キングをも上回る」というホラーのベストセラー作家サター・ケインが失踪する。辣腕を以って知られる保険調査員ジョン・トレントは、出版社からの保険金支払い要求に対してケインを探すと答える。恐るべき直感に導かれ、トレントと専属編集者リンダ・スタイルズはケイン作中の架空の街であるはずのホブズ・エンドに辿りつく。ケインの紡ぐ悪夢に、現実が浸食されていく……。

「インフェルノ」とはなんら関係ないように思えるだろうか?

こういう連想だ。

「レビューをしていない言い訳の回」にも書いたが、「インフェルノ」は「サスペリア」に始まる三人の魔女をモチーフにするシリーズだ。そして、そのイメージのもとはトマス・ド・クインシーの「深き淵よりの嘆息 (阿片常用者の告白続篇)」Suspiria de Profundis なのである。

そして、同じ「深き淵よりの嘆息」に刺激を受けて作られた小説がフリッツ・ライバーの「闇の聖母」Our Lady of Darknessだ。この作品のオチをばらす。H・P・ラブクラフトとも親交があり、クトゥルー神話作品も手がけていた作家クラーク・アシュトン・スミスの知り合いでもあったというう「ド・カストリーズ」という作家に付かず離れず従っていた謎の女性、その驚くべき正体が「書物(ブック)」だというのだ! 本という魔物の話である。

横道に逸れる。
ティボー・タカクスという映画監督がいる。その作品に「ハードカバー/黒衣の使者」HARDCOVER a.k.a I, MADMAN というのがある。 こんな話だ。やはり、ネタバレする。

本屋務めのメガネ美人ヴァージニアが読み進めるホラー「アイ,マッドマン」。ヴァージニアの身近にその登場人物である狂気の殺人科学者の影が見え隠れするようになる。遂にその殺人鬼に彼女が追い詰められた時、この狂気の科学者を憎む、これまたそのホラー作品の中に出てくる「怪物(ビースト)」が現れ、二者は彼女の目前で揉み合うようにして戦い始める。揉み合いながら、窓を破って外に飛び出した瞬間! 二者は本の頁となって風に吹き飛ばされていく……。

と、まあ、本は魔物であり、その内容が現実を蝕むというイメージにおいて、だから一脈通ずるような、通じないような。

どれもあらぬことを考えつつ、見たり読んだりするのにはよい作品ですよ、と勧めておきたい。変に合理的にぴたりと嵌った「絵柄」でないとだめだという堅い頭のひとには向かないと思うので、それだけはご注意を。

*ジョン・カーペンターでは、マスターズ・オブ・ホラーに参加した作品「世界の終り」Cigarette Burns が、またまたフィクションが現実を侵食する話である。そして、これは別の機会に語りたい「パラダイム」The Prince of darkness も、イマジネーションと世界の終わりに関する物語と言ってもよく、ラブクラフティアンだねぇと思えるのだ。

*ラブクラフトといえば、ルチオ・フルチの「地獄の門」(Paura nella città dei morti viventi) City of the living dead a.k.a. The Gates of Hell の舞台の街の名も、ダンウィッチだったりする。

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