湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 墓に彫り込む文

2015年10月21日 23時56分34秒 | 日常・その他
石材店さんから「墓の工事を始めます」との連絡がありました。

   ※今月28日が納期で、家の墓の建て替え工事があります。
     新しい墓の基本デザインはド素人の私がしました。
     石材店さんの助言もあり何とか格好がついていると思っていますが、
     斬新なようでいて古臭くもあり、周りにある墓とは少し趣が異なりますので
     目を引くかもしれません。

    
墓石のどこかにか家紋を入れるのが一般的かもしれませんが、
なにか堅苦しいので無しにしました。
そのかわりという訳ではありませんが
納骨室の扉に短い文を彫り込んでいただくことにしました。

その文は私が決めたものです。

納骨室の扉はこのようなイメージになります。

 
    無窮(ムキュウ)に煌(キラ)めく
    万象(バンショウ)の恵みと
    花鳥(カチョウ)微笑む
    慈(イツク)しみの中に


文法的・表現的におかしなところがあっても笑わないでくださいね。

  "無窮に煌めく" も "煌めく・・・恵み" というのも変かもしれませんが、
  変なままにしました。

  宇宙の果て(?)を基準(?)にすれば、地球は無窮といえる位置かもしれませんし ・・・
  死んだあとは何もかもが無窮かもしれませんし ・・・
  "無窮" には永遠という意味もあるそうですし ・・・
  "煌めく" は "万象" に掛かってもよいかと考えまして ・・・

 
 現在では「やばい」という言葉が「すごい」という意味でも使われているように、
 日本語も柔軟(?)に変わってきていますので、
 おかしいところがあったとしても、変化を先取りしていると考えればいいのかもしれません。
 私が墓に入る頃には美文として見られていたりして。(^_^)


文は「 ・・・・・・・・・・ 中に」で止めています。

 「恵みを受ける」
 「慈しみを受ける」と、
   受動的な意味に続くことを想定されるかもしれませんが、

   死んだ後、自らが万象の恵みに同化していく、
   慈しみを生みだす何か(?)になっていく、
     という意味にもとれるようにしたつもりです。
     (死んだ後のことなので "自らが" というのも変ですが)  



 ※明日(22日)からの宿直・宿明け勤務のあと阿蘇のほうへ出かけますので、
   暫くの間(27日頃まで)拙ブログを更新できそうにありません。
   (スマホなどを所有していないので)