先週10月3日に野菜の種を播きましたが、
そんな状況か見に行きました。
※大根、ニンジン、青梗菜、春菊の4種です。
芽が出ていました。
大根
※大根は30㎝ほどの間隔で3粒程度づつ播いています。
芽が大きくなったら1本にします。
青梗菜 春菊
※青梗菜は一列に適当に播いていますので、
最終的に15~20㎝間隔になるように間引きします。
※春菊も一列に適当に播いていますが、私は青梗菜のようには間引きしません。
適当に間引きするので不揃いに育ちますが、間引きしたものも食料にします。
4種とも、播種してから6日目です。
ニンジンを播いた畝には全く変化がありません。
※ニンジンは芽が出るまで7日~10日といわれるので、
もうすぐかもしれません。
画像からも判るように、畑の土は小石だらけです。
私が家庭菜園に注力するは、種を播く時期と収穫時期です。
ですから、市販品に見劣りする今一つの物ができます。
家庭菜園があるところは
半分以上の土地が草ボウボウとなっています。
こんな花(果実(?))をつける雑草も茂っています。
イヌタデ(犬蓼)だとおもいます。
※画像の中心を座標0とすると、
第4象限にぼんやり写っている二つの青い点はツユクサ(露草)の花です。
雑草の中に虫がいました。 【虫が苦手な方は画像に注意!】
ツチイナゴ(土蝗)の幼虫
※未だ鮮やかな緑色をしています。
ツチイナゴ(土蝗)の成虫
※ツチイナゴは秋から冬にかけて緑色から褐色へ変わるそうです。
この個体は褐色になる途中のようです。
カメムシ(種は?)のカップル
※カメムシの種の多くは害虫ですが、
無粋なことはせず、そっとしておきました。
サザンカ(山茶花)とピラカンサ(トキワサンザシ)の木に絡んだ山芋(?)の蔓に
ムカゴ(零余子)ができていました。
※黄色矢印がムカゴです。
ムカゴは好物です。
ムカゴ御飯もいいですが、
油を引いたフライパンで炒って醤油を垂らして食べるのもオツな味です。
去年も採りましたが料理するのを忘れてしまい、
無駄にしてしまいました。
柿の木にも沢山実が生っていましたので、10個ほど採りました。
柿の木は2本ありますが、手入れ(枝剪定や摘果)をしませんので、
不恰好で小ぶりの(よく言えば野趣あふれる)ものが生ります。
この柿の品種は「フユウ(富有)」です。
まともな形をしているものを撮りました。
--- 子規さんが食べた柿の種類は? <一考察(?)> ---
『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』
「正岡子規さんが奈良の法隆寺を訪れて境内の茶店で
柿を食べながら休んでいたところ法隆寺の時の鐘が鳴り、
この句が詠まれた」と云われています。
西円堂の鐘楼から鳴り渡った鐘は何時を告げるものだった
のでしょうか?
現在は、8時、10時、12時、午後2時、午後4時に
その数だけ撞かれているそうですが、
当時も同じであったなら、
秋の静けさを感じる夕暮れ時の午後4時の鐘では
なかったのでしょうか?
※午前中はゆっくりした気分になれないし、
12時は昼飯時だし、午後2時は小腹も空いていないし ・・・
子規さんが食べた柿の品種は奈良産の「御所柿」と
云われていますが、
食べたのは「居倉御所」で、事実上の「富有」だった
のではないでしょうか。
「御所柿」がルーツの「居倉御所」の栽培が始められたのは
1857年で、「富有」と命名されたのが1898年です。
正岡子規さんが句を詠まれた1895年(明治28年10月)は
「富有」の栽培が始まってから30年以上たっており、
栽培が各地へ普及していたものと思われます。
(桃栗3年、柿8年)
食べたのは「富有」だが、「富有」と命名される3年前
だったので「御所柿を食べた」という事になっている
のではないでしょうか。
------
私も家の「富有柿」を食べましたが ・・・
『柿食えど 名句出てこず 種は出る』
======== 追記<2015.10.10_10:28> ===========
上の考察(子規さんが食べた柿の種類について)は間違っていました。
岐阜県発祥の「富有柿」が全国へ普及し始めたのは
明治末期から大正にかけてだそうです。
したがって、子規さんが食べられたのは
云われているように「御所柿」のようです。
※参考文献:富有柿の由来 [岐阜県農政部農産園芸課 作成]
甚だいい加減な考察で、スミマセンでした。
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そんな状況か見に行きました。
※大根、ニンジン、青梗菜、春菊の4種です。
芽が出ていました。
大根
※大根は30㎝ほどの間隔で3粒程度づつ播いています。
芽が大きくなったら1本にします。
青梗菜 春菊
※青梗菜は一列に適当に播いていますので、
最終的に15~20㎝間隔になるように間引きします。
※春菊も一列に適当に播いていますが、私は青梗菜のようには間引きしません。
適当に間引きするので不揃いに育ちますが、間引きしたものも食料にします。
4種とも、播種してから6日目です。
ニンジンを播いた畝には全く変化がありません。
※ニンジンは芽が出るまで7日~10日といわれるので、
もうすぐかもしれません。
画像からも判るように、畑の土は小石だらけです。
私が家庭菜園に注力するは、種を播く時期と収穫時期です。
ですから、市販品に見劣りする今一つの物ができます。
家庭菜園があるところは
半分以上の土地が草ボウボウとなっています。
こんな花(果実(?))をつける雑草も茂っています。
イヌタデ(犬蓼)だとおもいます。
※画像の中心を座標0とすると、
第4象限にぼんやり写っている二つの青い点はツユクサ(露草)の花です。
雑草の中に虫がいました。 【虫が苦手な方は画像に注意!】
ツチイナゴ(土蝗)の幼虫
※未だ鮮やかな緑色をしています。
ツチイナゴ(土蝗)の成虫
※ツチイナゴは秋から冬にかけて緑色から褐色へ変わるそうです。
この個体は褐色になる途中のようです。
カメムシ(種は?)のカップル
※カメムシの種の多くは害虫ですが、
無粋なことはせず、そっとしておきました。
サザンカ(山茶花)とピラカンサ(トキワサンザシ)の木に絡んだ山芋(?)の蔓に
ムカゴ(零余子)ができていました。
※黄色矢印がムカゴです。
ムカゴは好物です。
ムカゴ御飯もいいですが、
油を引いたフライパンで炒って醤油を垂らして食べるのもオツな味です。
去年も採りましたが料理するのを忘れてしまい、
無駄にしてしまいました。
柿の木にも沢山実が生っていましたので、10個ほど採りました。
柿の木は2本ありますが、手入れ(枝剪定や摘果)をしませんので、
不恰好で小ぶりの(よく言えば野趣あふれる)ものが生ります。
この柿の品種は「フユウ(富有)」です。
まともな形をしているものを撮りました。
--- 子規さんが食べた柿の種類は? <一考察(?)> ---
『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』
「正岡子規さんが奈良の法隆寺を訪れて境内の茶店で
柿を食べながら休んでいたところ法隆寺の時の鐘が鳴り、
この句が詠まれた」と云われています。
西円堂の鐘楼から鳴り渡った鐘は何時を告げるものだった
のでしょうか?
現在は、8時、10時、12時、午後2時、午後4時に
その数だけ撞かれているそうですが、
当時も同じであったなら、
秋の静けさを感じる夕暮れ時の午後4時の鐘では
なかったのでしょうか?
※午前中はゆっくりした気分になれないし、
12時は昼飯時だし、午後2時は小腹も空いていないし ・・・
子規さんが食べた柿の品種は奈良産の「御所柿」と
云われていますが、
食べたのは「居倉御所」で、事実上の「富有」だった
のではないでしょうか。
「御所柿」がルーツの「居倉御所」の栽培が始められたのは
1857年で、「富有」と命名されたのが1898年です。
正岡子規さんが句を詠まれた1895年(明治28年10月)は
「富有」の栽培が始まってから30年以上たっており、
栽培が各地へ普及していたものと思われます。
(桃栗3年、柿8年)
食べたのは「富有」だが、「富有」と命名される3年前
だったので「御所柿を食べた」という事になっている
のではないでしょうか。
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私も家の「富有柿」を食べましたが ・・・
『柿食えど 名句出てこず 種は出る』
======== 追記<2015.10.10_10:28> ===========
上の考察(子規さんが食べた柿の種類について)は間違っていました。
岐阜県発祥の「富有柿」が全国へ普及し始めたのは
明治末期から大正にかけてだそうです。
したがって、子規さんが食べられたのは
云われているように「御所柿」のようです。
※参考文献:富有柿の由来 [岐阜県農政部農産園芸課 作成]
甚だいい加減な考察で、スミマセンでした。
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