上発地村から

標高934mぐらい日記

北海道の旅

2010年12月03日 | 行事
30日の朝軽井沢を出発羽田に向かった。羽田は新しくなっていて綺麗だったが
連れてこられたので、どこがどこだかわからない、「おのぼりさん」状態だ。

千歳空港行きのANAに乗り込んだのだが、席はガラガラ、シートベルトサインが消えると
みんな好き好きに窓際の席に移動していった。

今回は農協の野菜部会役員旅行ということで、総勢12名+添乗員さんというユニット。
夏の間忙しく働いて、やっと時間にゆとりができたところでの旅行とあって
みんなリラックスして旅を満喫している様子だった。

空から見ると東北地方は雪景色に。北海道上空では逆に雪が少ないように見えたが
それでも飛行機を降り、千歳から登別温泉に向かうにしたがって道は白く”しばれて”いた。

途中、白老(しらおい)ポロトコタンに立ち寄り、アイヌの歴史にふれる。
狩猟で殺したヒグマなどの動物の魂である「カムイ」を神々の世界に送る儀式「イヨマンテ」
を見たが、なかなか力強い旋律だった。民族楽器の「ムックリ」は残響音が心地よくて
トリップしそうになる。(興味ある方はyoutubeで見てください)

自然の中に身を置き神様と対話しながら生きていくってどんな感じなんだろう・・・
想像もつかない俺は登別の乳白色の温泉につかってふやけ、北の誉を味わいながら脳味噌を
麻痺させて一日目を終えました。

二日目は洞爺湖、昭和新山をめぐり札幌市内へ。旧北海道庁舎では蝦夷開拓の歴史に触れた
のだが、考えてみればずっと前からアイヌはこの地で神々と共に暮らしていたんだよな・・・
区画整理された広大な北海道の美しい農地も、後から作り上げられていったものなんだと
思うと、ちょっと複雑である。
ポロトコタンのアイヌの民族衣装をきたおじさんが言ってました
「普段こんな服は着てませんからね、家に帰ったら普通の服に着替えます」
「5時過ぎにこれを着ていることもありますが、それは”残業”の時だけです」 だって


夜はチャンチャン焼きの旨い店での宴会だった。
ソイやトドの刺身、ホッケの煮付け、海鮮鍋やメインの甘辛味噌の
チャンチャン焼きをいただく。海の無い長野県人には贅沢な料理ばかりだった。

その後勢い余って、半数名で札幌で有名なニューハーフのショーパブに行く。
俺達が座った席の前は普通の主婦のおばさん達が多数陣取っていた。
舞台で踊っている人達、みんな綺麗な女性・・? ばかりでびっくり。
倒錯の世界、ここでもトリップしそうになった。

三日目はまず小樽に向った。しかし北海道は広い、移動時間が結構長い。
大学3年の夏、バイクで道内を一周したが、燃料タンクが8リットルしかない
2ストだったため、ガソリンスタンドを見つけると、端から立ち寄っていた気がする。

小樽では娘達へのお土産に小さいガラスのサンタとツリーを購入した。小樽のガラスの歴史は
明治34年の石油ランプ製造からで、明治43年には漁業用浮球なんかも作ったりして発展した。
小樽は以前も来たが、建物は落ち着いた造りで、ただ歩いているだけでも気分がいい。

小樽でそのまま昼食、タラバ蟹を2脚いただく。ほんと、家族やいろんな人に申し訳ない・・・
その後新千歳空港に戻り、北海道を後にして羽田→軽井沢→自宅となった。

北海道は近い。本当は遠いはずなのに近くに感じた。気候的にも軽井沢にも似ているし
マックやセブンイレブン、吉野家もあった。
朝札幌で地震を感じながら目覚めたのだが、その日の夜(昨日)には自宅の布団で寝ていた。

今ブログを書きながらもう一度北海道を楽しんでいる。
旅の思い出を書き記すってのもまんざらではない。

今日の一曲 Pink floyd   "One of These days"
http://www.youtube.com/watch?v=YgvAwBDbuIo&feature=related

               ↑
   出だしのベースラインがムックリの音色に似ています
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