映画で楽しむ世界史

映画、演劇、オペラを題材に世界史を学ぶ、語ることが楽しくなりました

「武器よさらば」「ジョニーは戦場へ行った」

2010-12-26 18:34:04 | 舞台はギリシャ・イタリア

第一次世界大戦アメリカ参戦

1、中立を保つアメリカ

ヨーロッパで始まった世界大戦に、国家としてのアメリカは何の関係もない。従って中立を保つのは当たり前のように思えるが、そう単純な話ではない。

アメリカは何せ人種の坩堝、個々のアメリカ人はヨーロッパのどこかの国に先祖や親戚を持ち、故郷母国の情勢がどうなっているか無関心でいられない。故郷意識を顕わに出していきり立つ人もいる。政府が中立を守るのは、純粋な意味でニュートラルを保つということでなく、敵対する一方に加担することは国内にも争いを持ち込む恐れがあるのである。モンロー主義というのは、アメリカ史上最も賢明だった政策の一つだと思うが、政府とすればそうせざるをえなかったということではなかろうか。

もちろんこの時期アメリカ経済は猛スピードで驀進中。急速な人口増加、都市化、鉄鋼石油を大量に使う工業化、大衆文化の開花などありとあらゆる分野で「アメリカン・ドリーム」の成功者が現れる。はるかかなたの戦争より眼の前の金儲けというのも本音であったと思う。

2、参戦のきっかけ

しかしドイツは勝つためには手段を選ばぬとばかり無茶をする。

もともと海軍能力に劣るドイツは、イギリス海軍に制海権を握られたままで、食料を始めとする物資が欠乏し始め国民の不満が高まる。そこで打開策を見出せないドイツは、潜水艦(Uボート)を使って英米仏などの商船をも無差別に撃沈するという作戦に打って出る。これがアメリカ国民を怒らせる。早くも1915年5月、イギリスの客船「ルシタニア号」が撃沈され多くのアメリカ人が犠牲になる。

更にドラマッチクなのは・・・ドイツ政府ののメキシコ政府宛秘密電報「メキシコがドイツ側について参戦してくれるなら、ドイツはメキシコがアメリカに奪われたアリゾナ、ニューメキシコ、テキサスなどの領土を取戻すために協力する」が、イギリス人スパイの手に渡り、アメリカが激怒する。

これではさすがに慎重なウイルソン大統領も腰を上げざるをえず、1917年4月遂に参戦に踏み切ると、血気にはやる、興味本位の、食いはぐれたあるいは世に拗ねたアメリカの若者が多数志願する。かくしてアメリカはなんと200万という大群をフランスに上陸させる。上陸にあたりあるアメリカ人将校は「ラファイエットよ、われ来たり」と叫んだという。その意味するところは・・・明らかであろう。

3、なぜ、イタリアで「武器よさらば」

イタリアはもともとは(歴史的繋がりからいっても)ドイツ・オーストリアの三国同盟側。しかしドイツ対ロシアの戦いが始まると、イタリアはいつの間にか三国同盟に背き、英仏側に味方する。

これには深い訳があって・・・。もともと国力軍事力に弱いイタリアはバルカン半島諸国を切り取る意思も能力もない。それよりハプスブルグのオーストリアに押さえられているアドリア海諸都市や地中海諸島の小さな領土を取り戻したい・・・そこで英仏と密約を結び、三国協商側につくことにする。しかしイタリアはなにせ弱い。

ヘミングウエイの名作その映画「武器よさらば」の主人公フレデリックは、アメリカで当時二流の雑誌記者で成功を目指しつつも何か醒めたあるいは悶々と苦悩するヘミングウエイの分身。

勇躍イタリア戦線に赴き、ミラノの病院で看護婦キャサリンと出会うが、1918年イタリアの記録的大敗「カポレットの退却」に遭遇し厭戦気分が昂じ、ついに脱走を決意。

キャサリンとともに、スイスとの国境マジョール湖北のシンプロン峠を越えてボートでローヌ川を下り、スイスのモントルーまで逃げる。そしてレマン湖のほとりローザンヌの病院で・・・ということに。

このあたりは、いまや格好の観光地。主人公二人の脱出行は雨の夜中であるが、スイスへついてからはシャモニーやモンブランの美しい山々を堪能したであろう。その美しさが一層物語の悲劇性を盛り上げて・・・などと現代人はのんきな観光気分で映画を楽しむことが出来る。

これとは全く趣を異にするもう一本の映画、戦後早々アメリカでの「赤狩り」の犠牲になったこともあるダルトン・トランボが自作小説を映画化した「ジョニーは戦場へ行った」は実に強烈印象深い反戦映画。

アメリカの一兵士がヨーロッパ戦線で負傷を負うが、これがなんと両足、両腕、眼鼻口などを失った状態で、いわば脳のみが生き残った状態で軍の事件材料として?15年も生き延びたという事実があったということをもとに作られた映画といわれる。

 

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