Yoz Art Space

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一日一書 839 奥の細道(予もいづれの年よりか)・芭蕉

2016-03-21 15:00:19 | 一日一書

 

芭蕉

 

「奥の細道」より

 

半紙(一番唐紙)

 

 

ぼくは、どちらかというと「家にいるのが好き」派なので

「漂泊の思ひ」はないのですが

たまには、ぶらりと、遠くへ行きたいとは思います。

 

それよりも

「いづれの年よりか」

この世に存在していることに

「漂泊の思ひ」を感じるようになった気がします。

 

 

 

 

 


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一日一書 838 鷲の巣の・凡兆

2016-03-20 15:30:22 | 一日一書

 

鷲の巣の樟(くす)の枯れ枝に日は入りぬ

 

凡兆

 

半紙

 

 

昔から大好きな句でした。

「枯れ枝」という語があるからか

冬の句だとばかり思っていました。

 

今日は、何を書こうかなあと、俳句歳時記(山本健吉編)の春の巻を見ていたら

この句があって、びっくり。

「鳥の巣」は、春の季語なのだとか。

 

春だと大分イメージが変わってしまうなあ。

 

樟は、常緑樹で、一年中葉があるわけで

この句は、完全に枯れてしまった楠(この字もクスです)に

鷲の巣があるという情景です。

どこか、荒涼としたイメージがあるので

やっぱり冬の方がいいと思うのですが。

 

ちなみに、この歳時記では

「枯れ枝」は冬の季語となっており

「枯れ枝」と「鳥の巣」のどちらを重視するかということなのかもしれません。

 

冬の句とするなら、風景そのものの荒涼とした感じをとるのでしょうし、

春の句とするなら、鳥の巣にやがて生まれるヒナ鳥に命の誕生を予感するのでしょう。

 

そう考えると、どちらともとれますね。

 

本当は、この句の原典を探してみなければなりません。

で、原典ではありませんが、小学館の「日本古典文学全集」で調べたところ

やはり、季語は「鳥の巣」で春、とありました。

 

ちなみに、この句は、『猿蓑』の中の句。

 

 

 


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一日一書 837 めざめ・山本洋三

2016-03-18 14:30:32 | 一日一書

 

山本洋三「めざめ」より

 

半紙

 

 

前々回に書いた詩の部分。

 

 


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一日一書 836 奥の細道

2016-03-17 12:06:15 | 一日一書

 

「奥の細道」より

 

半紙

 

 

前にも書きましたが、何度もでも書きたくなるのは

やはりこれが稀代の名文だからでしょうか。

 

 


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一日一書 835 めざめ・山本洋三

2016-03-16 15:03:43 | 一日一書

 

めざめ

 

山本洋三

 

半紙

 

 

全文は以下の通り。

 

  めざめ

 

緑の窓辺から

アンリ・ルソーの雲が見える午前

 

少年は

素足に草の愁いを感じ

卵形の少女の視界を

一目散にかけぬける

 

空気は

秋のプールのように息をひそめ

ポプラは

遠く

光っている

 

 

1996年に、作った小詩集「少年の森」の中の一篇です。

 

 


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