鷲の巣の樟(くす)の枯れ枝に日は入りぬ
凡兆
半紙
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昔から大好きな句でした。
「枯れ枝」という語があるからか
冬の句だとばかり思っていました。
今日は、何を書こうかなあと、俳句歳時記(山本健吉編)の春の巻を見ていたら
この句があって、びっくり。
「鳥の巣」は、春の季語なのだとか。
春だと大分イメージが変わってしまうなあ。
樟は、常緑樹で、一年中葉があるわけで
この句は、完全に枯れてしまった楠(この字もクスです)に
鷲の巣があるという情景です。
どこか、荒涼としたイメージがあるので
やっぱり冬の方がいいと思うのですが。
ちなみに、この歳時記では
「枯れ枝」は冬の季語となっており
「枯れ枝」と「鳥の巣」のどちらを重視するかということなのかもしれません。
冬の句とするなら、風景そのものの荒涼とした感じをとるのでしょうし、
春の句とするなら、鳥の巣にやがて生まれるヒナ鳥に命の誕生を予感するのでしょう。
そう考えると、どちらともとれますね。
本当は、この句の原典を探してみなければなりません。
で、原典ではありませんが、小学館の「日本古典文学全集」で調べたところ
やはり、季語は「鳥の巣」で春、とありました。
ちなみに、この句は、『猿蓑』の中の句。