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日本近代文学の森へ 227 志賀直哉『暗夜行路』 114  「理解する」ということ  「後篇第三  十二」 その5

2022-09-19 09:56:00 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 227 志賀直哉『暗夜行路』 114  「理解する」ということ  「後篇第三  十二」 その5

2022.9.19


 

 前回の「性欲」に関するぼくの「読み方」に、呆れた人も多かったのではないかと思う。で、もう一度、その部分を引用しておく。

 

 結婚の第一歩がこんなにして始まった事は幸先(さいさ)き悪い事のような気がした。しかし何よりも悪いのはやはり自分だと彼は思った。自制出来ない悪い習慣──そういって自身いつも責任を逃がれる気はないが、もしかしたら祖父からの醜い遣伝から自分は毎時(いつも)、裏切られるのだ。そんな気も彼はするのであった。何しろ慎もう。今日の事は今日の事だ。これから本統に慎み深い生活に入らなければ結局自分は自分の生涯をそのため破滅に導くような事をしかねない。そして結婚後は殊にこの事は慎まねばならぬ。そう考えた。彼はこの何度でも繰返す、そしていつも破れてしまう決心をこの時もまた繰返した。

 

 「自制できない悪い習慣」「何しろ慎もう」「今日のことは今日のことだ」「結婚後は殊にこの殊は慎まねばならぬ」と、しつこいほどに書いていることに関して、ぼくは、「この『悪い習慣』とは、具体的にはどういうことなのかがよく分からないが、おそらく『性的な妄想』のことだろう。それしか考えられない。」なんて書いて、さらに、「目の前に直子の姿を見て、ああこの女とはやく性的な交渉をしたいと、そればかり思ってしまうということだろう。」と想像している。そして、「『何しろ慎もう。今日の事は今日の事だ。』と反省する謙作。そんなに悩むこともないだろうにと思うのだが」と、アタマの中が「分けが分からん」状態であることを、まあ、ある意味「率直」に書いている。

 この一連のぼくの「感想」を読んだ、中学以来の旧友が、次のようなメールをくれた。いちおう本人には転載の許可をもらっている(と思う)ので、長いが引用しておく。

 

 そうか、洋三はこういうふうに読んでるのか、と、とても腑に落ちた。
 「悪い習慣」は、妄想のような、そんな目で女を見るだけのことではなくて、じっさいに女を、冒頭の芸者屋であれこれ見ていた女たちのような女を、ただ性欲だけで、買って抱いて、性欲を晴らすことだと思ってた。妄想だけで済むようなことだとは、まったく思ってなかったのね。だから、きみの読み方でストンと腑に落ちなかったことが、すべて腑に落ちる気がしてる。
 直子が美しいかどうかではなくて、直子がみにくく見えるところは、直子を美しく見ていない謙作を、実際行動に移さずにはおかない性欲に蔽われている謙作を描いてると、ぼくは思い、それ以外の読み方をしていなかった。直子を美しくみている謙作は、直子との結婚で性欲から救われるという希望にあかるく輝いてる謙作なのね、ぼくが読んでいたのは。
 天網島で河庄の場面は、いいなづけの直子がそこにて見ているにもかかわらず、性欲に振り回されて、女房のおさんでなく、性欲をぶつける相手の小春と沈んでいく治兵衛に、じぶんの未来が重なるようで不安な、性欲に押しつぶされそうな謙作が、いつもの予定どおりの結末に向かって好演する「此役者」にすら暗い未来を見てしまうところが描かれてると思って、それ以外の読み方をしてなかったんだよね。天網島の粗筋紹介で舞台描写を済ませないところはさすがに20世紀の小説、とおもってた。
 どうじに、「慎もう」なんて言葉は、自慰に悩む男子高校生とか放蕩三昧の真面目な若旦那とか、その類いしか使わない言葉遣いだと思って、謙作の、この真剣な性欲の見方は、中学・高校のころのぼくのような、性欲を大変なことと考える子どもの真剣さを、青年になっても持ちつづけている、大変な・純粋な・正面切った「性」意識を描いてるんだろうなあ、と感じ入ってたのね。
 だからこそ、「彼はこの何度でも繰返す、そしていつも破れてしまう決心をこの時もまた繰返した」のに、そのあとの結婚までの一週間、またも女を買いに行ったのか、とはらはらして読み出したら、きょうのところと、さらに、そのつぎの場面「南禅寺の裏から疎水」にそって2人並んで歩く、きみのいう、「映像」には決してならない天上の明るさに満たされたシーンで、読者のぼくも謙作と直子のように結婚前のしあわせを実感できると、読んでいました。
 じつは、上記「だからこそ」までを書いていたときは、半分きみの読み方があってる、と思い、半分は、ぼくの読みでも通るかも、と、半々でしたが、「南禅寺の裏」からを書いていたら、この場面の、ほとんど清らかな幸福感は、ぼくのように読んだほうが強く感じられるのでは、と思えてきました。
 次回を読んで、出したほうがいいメールだといま、おもってるのですが、こういうときは、読者の答案を先に送っておいたほうが公平だなと考え直して、いま出します。

 


 このメールを読んで、あんなに「分からなかった」ことが、すっきり分かった気がして、まさに「腑に落ちた」。というか、ぼくの読み方があまりに幼稚なので、穴があったら入りたくなったといったほうがいい。このメールの文章を読んだ後では、「ぼくの読み方」がまったく「間違っている」としか思えないし、事実間違っているのである。

 近ごろ、もう一人の旧友が、「遺伝論理」と「共感論理」についてさかんに書いている(こちら参照してください)のだが、いわゆる「論理的な理解」を求められる数学やら科学の世界では、「正解」は一つしかないが、文学などの「共感的な理解」を求められる世界では、決して「正解」は一つではない。そして世の中の大部分のことは、じつは「共感的な理解」によって成り立っているのだということを力説しているのだが、それは、ぼくも大いに共感するところだ。

 世の中の出来事を、「理解」しようとするとき、自分がどのようなことを経験してきたかということがおおいに影響するわけで、経験したことがないことには、「共感」しようがないけれども、それでも、小説などを読んで得た「疑似経験」(旧友はその言葉を使っていなかったが)とでもいうべきものによって、ある程度の「共感」を得ることはできる。しかし、その「経験」やら「疑似経験」が、それぞれ人によって異なるわけだから、その「共感」は、人によって違ったものとなるだろう。つまり「正解」は一つではないわけである。

 しかし、今回の事例の場合、「女を買う」などといった経験がまったくない人間には、「慎まねばならぬ悪い習慣」が、「それ」だとはすぐには気がつかない。そうすると、「妄想」だの「自慰」だのといったレベルで落ち着いて「理解」したような気になってしまう。それでも、古今東西の小説をちゃんと読んだという「経験」があれば、実際の経験がなくても、そのくらいの想像はつくはずなのに、そこが「分からない」というのが「幼稚」だというのだ。いくら文学の世界は「正解は一つじゃない」といっても、「間違った読み」はあるわけで、これじゃ、岩野泡鳴だの、吉行淳之介だの、さんざん読んできた意味がないじゃないかと、しばらく、反省しきりであった。

 しかし、それにしても、この長い長い「暗夜行路を読む」シリーズを、毎回根気よく読んでくれて、適切なコメントを送ってくれる旧友がいるということは、なんというありがたいことだろうか。読書会をやっているように楽しい。恥ずかしい思いをしても、楽しい。

 さて、しかし、少しだけ言い訳もしておきたい。

 冒頭に引用した部分のさらに前はこういう文章である。

 

 舞台では「紙屋治兵衛」河庄(かわしょう)うちの場を演じていた。謙作は何度もこの狂言を見ていたし、それにこの役者の演じ方が毎時(いつも)、余りに予定の如くただ上手に演ずる事が、うまいと思いながらも面白くなかった。そして彼は何となく中途半端な心持で、少しも現在の自身──許婚(いいなずけ)の娘とこうしている、楽しかるべき自身を楽しむ事が出来なかった。彼はむしろ現在眼の前にいる直子を見、二タ月前の彼女を憶い、それが同一人である事が不思議にさえ思われた。
 直子は淋しい如何にも元気のない顔つきをしながら、舞台に惹き込まれている。ぼんやりした様子が謙作にはいじらしかった。が、同時に彼自身、どうにも統御出来ない自身の惨めな気分を持て余していた。
 彼は努めて何気なくしていた。しかし段々に今は一秒でもいい、一秒でも早くこの場を逃れ出たいという気分に被われて来た。こういう事は彼に珍らしい事ではなかったが、場合が場合だけに彼は一層苦しい一人角力(ひとりずもう)を取っていた。お栄との結婚の予想が彼を一時的に放蕩者にしたように、此度もまた、多少病的にそうなった事が、彼を疲らし、彼の神経を弱らし切っていたのだ。
 芝居のはねたのはもう晩かった。戸外には満月に近い月が高くかかっていた。彼は直ぐ皆と別れ、籠を出た小鳥のような自由さで一人八坂神社の横から知恩院の方へ歩いて行った。とにかく一人になればいいのであった。知恩院の大きな山門は近よるに従って、その後ろに月が隠れ、大きな山門は真黒に一層大きく眺められた。

 


 この文章に直接続くのが、冒頭に引用した部分である。「知恩院の大きな山門は近よるに従って、その後ろに月が隠れ、大きな山門は真黒に一層大きく眺められた。」のすぐ後に、段落を変えて、「結婚の第一歩がこんなにして始まった事は幸先(さいさ)き悪い事のような気がした。」と続くのである。

 何が言いたいのかというと、ここには大きな「省略」があるということである。「(知恩院の)大きな山門は真黒に一層大きく眺められた。」とあるが、「その後」謙作はどこへ行ってなにをしたのかが、「まったく」書かれていない。書かれていない以上、想像するしかないわけだが、直ぐにその後に「結婚の第一歩がこんなにして始まった事は」云々と、自省の言葉が出てくるので、想像する時間がないままに、まあ、家に帰ったんだろうな、なんて思ってしまうわけである。だから「今日のことは今日のことだ」なんて、大げさなことをどうして言うのだろうという疑問につかまったりするわけだ。

 おまけに、「とにかく一人になればいいのであった。」の一文があることで、この後、馴染みなんだかどうだか知らないが、遊郭に行ったなんて、想像できない。しかも、謙作が京都に住むようになってから、一度として遊郭に出かけたという記述は出てこない。これがたびたび出てきたのなら、ああ、あそこへ行ったのかとすぐに分かるのだが。と、まあ、愚痴もいいたくなるわけだが、とにかく、肝心なことを志賀直哉は書かない。何故なんだろうか。読者に想像してもらいたいということではないだろう。むしろ、ここまで書いたんだから、あとは、何をしたかは、よほどトンチンカンなヤツでなければ誰だってわかるはずだということなのだろう。

 ぼくのようなトンチンカンやなヤツには「暗夜行路」を読む資格はない、というところがほんとうのところだが、それにしても、先に引いた旧友の文章は見事である。「河庄」の部分の読み方なんて、そんじょそこらの批評家の書ける文章じゃない。もっとも彼は、「そんじょそこらの批評家」を遙かに超えた立派な学者なんだから、当然といえば当然なのだが、この「読みの深さ」には頭がさがる。

 思えば、高校時代に突然「文転」して以来、文学的教養に欠けるぼくも、こうした友によって「文章読解力」も徐々に鍛えられてきたのだが、それも実に遅々たる歩みであったことをつくづく思い知る。國分功一郎の「いつもそばには本があった」という本では、「いつもそばに本がある」ことの大切さとともに「いつもそばには友がいた」ことの大切さが強調されていた。まことに宜(むべ)なるかな、である。

 


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