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日本近代文学の森へ (195) 志賀直哉『暗夜行路』 82  気高い心  「後篇第三  一」 その5

2021-07-25 14:04:39 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (195) 志賀直哉『暗夜行路』 82  気高い心  「後篇第三  一」 その5

2021.7.25


 

 影絵のように見えた「美しい人」のイメージを心に抱きつつ、謙作は、考え、歩く。


 彼は自分の心が、常になく落ちつき、和らぎ、澄み渡り、そして幸福に浸っている事を感じた。そして今、込み合った電車の中でも、自分の動作が知らず知らず落ちつき、何かしら気高くなっていた事に心附いた。彼は嬉しかった。その人を美しく思ったという事が、それで止まらず、自身の中に発展し、自身の心や動作に実際それほど作用したという事は、これは全くそれが通り一遍の気持でない証拠だと思わないではいられなかった。そして何という事なし、あの気高い騎士ドンキホーテの恋を想い出していた。彼は大森でその本を読み、その時はそれほどに感じなかったが、今自身の心持から、ドンキホーテの恋も、それを彼が滑稽を演ずる前提とのみ見るべきではない事に考附(かんがえつ)いた。勿論トボソのダルシニアと今日の人とを比較するのはいやだった。しかしドンキホーテの心に発展し、浄化されたその恋は如何に気高い騎土を更に気高くし、更に勇ましくしたか、──彼には変にそれがピッタリと来た。
 彼は自身のそれをどう進ますべきか、そういう事を考える気もなく、ただ、彼に今、起っている快い和らぎ、それから心の気高さ、それらに浸っていた。四条通りをお旅まで行き、新京極の雑沓を人に押されて抜けながらも彼の心は静かだった。そして寺町を真直ぐに丸太町まで歩き、宿へ婦って来た。


 美しい人を見た謙作は、そのことで心が「常になく落ち着き」「和らぎ」「澄み渡り」「幸福に浸っている」ことを感じる。「外部」としての、「美しい人」を「見た」ことで、自分の心に変化が起きたのだ。その変化のさまを、謙作は、じっくりとたどっていく。

 東京で「見た」女は、謙作の心をひいたけれど、そうした作用を及ぼすことはなく、ただ謙作の心を惑乱させるだけだった。惑乱させて、その挙げ句に幻滅させる、そういう経緯ばかりをたどった。

 それに対して、今度の「美しい人」は、謙作の心を、穏やかな澄んだ状態へと導いた。その心の状態は、やがて「気高さ」へと到達していることに謙作は気づくのだ。

 「その人を美しく思ったという事」は、「その人」が「美しかった」ということではない。人間が「美しい」かどうかなど、客観的に決められるものではない。「美しく思った」というのは、謙作の心がそう捉えたということだ。美はそこにしかないのか、あるいは、「客観的」に存在するのかという問題は、おそらく美学の古くて新しい根本的な問題だろう。謙作の立場は、決定的に、自分の心、つまりは、感覚や感性に重点をおいている。

 志賀直哉の「リアリズム」が、「主観的リアリズム」だと言われることがあるが、それはこういうところから来るのかもしれない。しかし、ここは「リアリズム」ですらないのではなかろうか。「その人」は、確かに、謙作が「美しい」と感じるような「美的要素」を備えてはいただろう。けれども、志賀は「その人」の「美的要素」については一切書かないのだ。問題は、自分が「その人を美しく思ったという事」に絞られる。
単純に言えば、ある女性を見て、「ああ、いいな。きれいだな。」と思ったということだ。それは誰にでもあることで、普通はそのこと自体はすぐに忘れてしまう。もちろん、その女性の面影がいつまでも心に残るということはあるにしてもだ。

 しかし、謙作は、「その人を美しく思ったという事」が「それで止まらず」に、「自身の中に発展し、自身の心や動作に実際それほど作用したという事」を重要なこととして考える。「きれいだな」と思ったことが、自分の行動に作用した──つまりは、家に帰ってからもう一度出かけて行ってその姿を見た──ということ、それを「通り一遍の気持でない証拠」だと謙作は思うわけだが、それとても、「よほどその女性が気に入った」証拠だということに過ぎない。

 真に重要なのは、その心が単にその女性への思慕に止まらずに、「心の気高さ」に到達するということだ。短絡的にいうと、「きれいな人を見たら、気高い心になった。」ということになり、これはあまり目にしない構図である。

 普通は──なにが「普通」なのかほんとは分からないが──こうはならない。ろくでもない人間なら、きれいな女性を見たら、欲情にかられ、なんとかこの女をものしたいとか不埒なことを考えるだろう。「心の気高さ」どころじゃない。「心の醜さ」を自覚──ならまだいいほうで、露呈することにもなりかねない。

 謙作の場合は、極端にいえば、「その人」のことは問題にならない。「その人」がどう自分の心に作用し、どのような心の状態に導いたかだけが問題なのだ。これは、「リアリズム」でもなんでもない。「主観的リアリズム」ですらない。

 その「心の気高さ」をドン・キホーテのそれに比するのは、なんとも滑稽だが、それすらも謙作(志賀)は恐れない。そして、こういうのだ。「彼は自身のそれをどう進ますべきか、そういう事を考える気もなく、ただ、彼に今、起っている快い和らぎ、それから心の気高さ、それらに浸っていた。」と。

 しつこいようだが、謙作の心を占めているのは、「自分の心の状態」であって、「その人」のことではない。なんと不思議なことだろう。普通なら、その人のことで頭がいっぱいで、かろうじて自分の心を覗いたら、「俺はなんて汚い男なんだ、なんて汚れた男なんだ」という自己嫌悪ばかり、というのが相場じゃなかろうか。

 謙作に「自己嫌悪」がなかったわけではない。むしろ東京にいたころの謙作の心を占めていたのは、一種の「自己嫌悪」だった。その「自己嫌悪」が、「美しい人」によって一掃された、ということだろうとも考えられるが、どうにもしっくりこない。

 こういう謙作が、この「美しい人」に対して行動を起こし、やがて妻にするというストーリーのようなのだが、さて、いったい謙作はそのことによってどう変わっていくのか、あるいは変わっていかないのか、怖いようでもあり、また限りなく興味深いことでもある。

 余談だが、最近、小林秀雄と伊藤整の「作家論」を拾い読みしていたら、小林秀雄が初期の評論で志賀直哉を高く評価しているのに対して、伊藤整は、その初期の評論で、「おもしろくない」と一蹴しているのに、ちょっと驚いた。志賀直哉をどう評価するか、そのことで、その批評家や作家の考えがあぶり出されるのは面白い。その意味では、やはり志賀直哉は、「重要な」作家であることは間違いない。

 伊藤整の文章は、まことににべもないが、面白いので、ちょっと紹介しておく。伊藤整が27〜8歳のころの、若々しい評論である。

 

「クローディアスの日記」を少年時代に、しかも小説ということを考えもせず、理解してもいなかった頃に、ある機会で読んだが、消し難い印象を受けた。そして誰の作であったかは忘れていた。後に志賀直哉という小説家を知り、その人の作品を読んでゆくうちにまた「クローディアスの日記」を読み、実にうまい、と思った。ところが志賀直哉という小説家が存在理由を獲ている作品は、「暗夜行路」だとか「和解」だとかいう自伝的な小説であることを知り、殆んどあらゆる文壇人がこれ等の作品を神聖視していたし、またいるので、それ等を読んで見たが、およそ問題にならない位に面白くもなく感銘もないのであった。作文として、ある人間の経験談として、克明に正確に書かれてあるのは事実であったが、特に大哲学者だとか、大詩人だとか別に大きな仕事を残している人の自伝というならばその意味で志賀直哉の問題志賀直哉読みもしようが、単に自分が「クローディアスの日記」なる小説に感心したことのある一小説家の正確な自叙伝を読むということだけでは無益に近いことのように思われた。死んだ梶井基次郎氏が作家として志賀氏を尊敬していて私にも読むことを奨めたが、読んでみて面白くなかった由を言ってやったことがある。志賀氏の自叙伝小説がある量感をもっていることは漠然と感ずるけれども、白樺時代の文学青年の得手勝手な生活やロレンスなどが十枚でも書けるような生存の悩みを何百枚もだらだらと書き続けてそれを他人に読ませうるものとしている気持は、育ちや環境の違う私にはとても我慢出来なかった。自叙伝にしてももっと省略すべきものは省略し、集中すべきものは集中すべきであろう。でなければスタイルや扱い方に何か特殊のものを示さなければなるまい。


「志賀直哉の問題」(「伊藤整全集第19巻」所収。昭和8年)

 


 伊藤整だけでは、公平を欠くので、小林秀雄の方も。こちらも27歳の小林の健筆。いやはや、伊藤整といい小林秀雄といい、今更だけど、頭いいなあ。

 


 嘗て日本にアントン・チェホフが写真術の様に流行した時、志賀氏は屢々(しばしば)チェホフに比された。私は今、氏に封する本質を外れた世の品評、言はば象に向つて、「お前の鼻はちと長過ぎる様だ」と言った様な一切の品評を無視しなければならないと信ずるのだが、志賀氏をチェホフに比するといふ甚しい錯誤は、餘り甚しい錯誤である点で、利用するに便利である。或る批評家は言った。「『或る朝』はチェホフの作品の様にユウモラスだ」と。
 チェホフは廿七歳で「退屈な話」を書いた時、彼の世界観は固定した。それ以来、死に至る迄彼の歌ったものは追憶であり挽歌であった。彼の全作は、彼が獲得した退屈といふ世界観の魔力から少しも逃れてゐない。嘲笑するためには彼の心臓は温く、哄笑する為には彼の理智は冷く、彼は微笑した。この最も宇宙的な自意識を持った作家の笑は、常に二重であった。人間の偉大と弱小との錯交を透して生れた。笑ひつつ彼の口許は歪んだ。彼の全作に定著された笑が、常に理智的であり、倫理的である所以である。
 然るに、志賀直哉氏の問題は、言はば一種のウルトラ・エゴイストの問題なのであり、この作家の魔力は、最も個体的な自意識の最も個体的な行動にあるのだ。氏に重要なのは世界観の獲得ではない、行為の獲得だ。氏の歌ったものは常に現在であり、豫兆であって、少くとも本質的な意味では追憶であった例はないのである。氏の作品は、チェホフの作品の如く、その作品に描かれた以外の人の世の諸風景を、常に暗示してゐるが如き氛気(ふんき)を決して帯びてはゐない。強力な一行為者の肉感と重力とを帯びて、卓れた静物画の様に孤立して見えるのだ。かういふ作家の表現した笑は、必然に単一で審美的なのである。「助六」を見て、意休の頭に下駄がのる時、人々は笑ふであらう。嘗て「助六」の作者が、この行為にひそませた嘲笑が、今日何んの意味を持つてゐないとしても、この表現に一種先験的な笑がある以上、人々は笑ふのである。志賀氏の作品の笑は、この世界の笑である。美の一形態としての笑である。

「志賀直哉──世の若く新しい人々へ」(「新訂 小林秀雄全集 第4巻」所収 昭和4年)

 


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