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日本近代文学の森へ (173) 志賀直哉『暗夜行路』 60  フィクションの中のリアル  「前篇第二  七」 その2

2020-10-26 17:08:26 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (173) 志賀直哉『暗夜行路』 60  フィクションの中のリアル  「前篇第二  七」 その2

2020.10.26


 

 外から声をかけて、隣りの婆さんが恐る恐る障子を開けた。夕食の飯を持って来たのである。そして彼が何も菜(さい)の支度をしてないのを見ると、
「《でべら》ないと焼きやんしょうかの」といった。
彼にはほとんど食慾がなかった。
「後で食うから其処へ置いてって下さい」
 婆さんはお櫃(ひつ)を其処へ置いて帰ると、また湯がいたほうれん草を山盛りにつけた皿を持って其処へ置いて行った。

 


 兄信行からの衝撃の手紙を読みおえ、それでも、どこかに「自由」を感じた謙作だったが、その謙作の気持ちの描写を断ち切るように、この短い部分が来る。

 婆さんは「夕食の飯」を持ってきたのだが、おかずは、謙作が用意することになっていたらしい。けれども謙作は「何も菜の支度をしてな」かった。すると婆さんが「でべら」でも焼いてきましょうか? と聞く。

 「でべら」という名前にかすかに記憶があった。昔尾道に行ったときに、見かけたのだろう。「でべら」は「出平鰈」と呼ばれるが正式には「タマガンゾウヒラメ」というらしい。尾道の冬の風物詩だ。

 お櫃を置いて帰った婆さんは、その焼いた「でべら」と、「湯がいたほうれん草を山盛りにつけた皿」を持ってきたのだろう。このほうれん草も旨そうだ。

 こういうのがさりげなく出てくるところがいい。こういうシーンというのは、実際に志賀直哉が尾道に住んだ時に経験したことなのだろう。尾道に住んだこともなく、尾道のことをまったく知らない作家が、調査や想像だけで、こういうシーンを描くことができないということは言えないが、なかなか難しいだろう。

 小説はフィクションだというけれど、そしてこの「暗夜行路」もフィクションだけど、そのフィクションを支えるのは、こうした細部の「リアル」だ。そして細部の「リアル」に魅力を感じはじめると、読書のスピードはとたんに落ちる。別に言い訳じゃないけれどね。

 


 彼はやはり何となく家へ落ちついていられない気持になった。丁度新地の芝居小屋に大阪役者が来ている時で、彼は隣りの老人夫婦を誘って其処へ行って見ようと思った。しかし隣りではその晩三原という処へやってある孫娘が泊りがけで来るはずだったので、行けなかった。爺さんは婆さんにお前だけ行けと切りに勧めたが、婆さんは「へえ、わしもやめやんしょう」こんな事をいって笑いながらなかなか応じなかった。婆さんは後妻で子がなかった。それ故それは義理の孫娘だった。
「折角じゃ、お前だけ供をせえ」爺さんはいい機会を逃すことを惜むように押していった。が、婆さんはどうしても応じなかった。切りがないので、
「そんならまたこの次ぎにすればいい」こういって謙作は婆さんのつけてくれた小さいぶら提灯を下げて一人坂路を下りて行った。

 


 夕食を食べたのか食べなかったのか分からないが、謙作は芝居を見にいく。その芝居を見にいくか行かないかで、ちょっとした老夫婦のやりとりである。

 この当時は、地方に「大阪の役者」が来て芝居をするというのも、そうそう頻繁にあったわけではないだろう。しかも、二人で行くとなればそれなりに出費もかさむ。誘うからには、謙作持ちに決まっているから、爺さんも婆さんも行きたいに決まっている。けれども、そこへ孫が来るという事情が加わっている。しかも、この婆さんは、爺さんの後添いである。当然婆さんとしては、その「義理の孫」をそっちのけにして芝居に行くことはできない。そんな義理立てをする婆さんに、爺さんは、そんなことは気にしなくてもいいからお前だけでも行ってこいと強く言う。爺さんも、婆さんに気を使っているのだ。

 老夫婦の感情の襞を、短い文章で繊細に描いていて見事だ。この老夫婦をめぐって、一篇の短編小説ができそうだ。

 こうしたリアルな庶民の哀歓をさらりと描いた後、もういちど謙作の内面が描かれる。

 


 盛綱の芝居をしていた。それは今までとは異った平舞台に沢山の金屏風を立て廻してする首実検で、盛綱になった役者が、浄瑠璃の三味線に乗ってむしろよく踊っていた。少しも内面的な所がなく、しかし気楽に見ているにはそれも面白かった。そして三幕ほど見て其処を出た。彼はぶらぶらと一人海添(うみぞい)の往来を帰って来た。彼の胸には淋しい、謙遜な澄んだ気持が往来していた。お栄でも信行でも、咲子でも、妙子でも、その姿が丁度双眼鏡を逆に見た時のように急に自分から遠のき、小さくなってしまったように感ぜられた。そして誰も彼もが。それは本統に孤独の味だった。しかも彼にはそれらの人々に対し、実に懐かしい気持が湧き起っていた。そして彼はまた亡き母を憶い、何といっても自分には母だけだった、という事を今更に想った。幼時の様々な記憶が甦って来た。彼は臆面もなく感傷的な気持に浸ってそれらへ振り返った。それがせめてもの安全弁だった。彼は此処でも屋根に乗った時の記憶を想い浮べ、涙ぐんだ。しかし母の床に深くもぐって行った時の事を憶うと、彼は不意に何かから突き返されたような気がした。その時の母の情けない気持が彼に映ったのだ。母にはそれが自身の罪を突きつけられる事だったに違いない。罪の子、自分は本統に罪の子なるが故に生れながらにして、そう出来ていたのではなかったか。こんなに考えられた。

 


 芝居のことはそうそうに切り上げられて、謙作が内面が語られる。孤独感のなかに、母の姿が浮かぶ。それは、幼いころに屋根に上ってしまった謙作を下から涙をためて心配した母の姿だったが、それとどうじに、母の蒲団のなかに潜り込んだときに手厳しく叱った母でもあった。感傷的な気分のなかに、自分が「罪の子」であることが実感されるのだった。

 しかし、謙作は、そういう自分をなんとか立ち直らせようとする。

 


 彼は段々自分が、そういう気分に惹き込まれつつある事を意識した。坂路で惰性のままに段々早くなる。それを踏み止るような心持で、むしろ意志的に彼は気分を惹きもどそうとした。手段として、彼は広い広い世界を想い浮べた。地球、それから、星、(生憎曇っていて、星は見えなかったが)宇宙、そう想い広めて行って、更にその一原子ほどもない自身へ想い返す。すると今まで頭一杯に拡がっていた暗い惨めな彼だけの世界が急に芥子粒ほどのものになる。──これは彼のこういう場合の手段で、今も或る程度には成功した。
 少し腹が空いて来た。彼は時々行く西洋料理屋まで引きかえそうかと思ったが、新地をまた通って、行く事がいやに思えた。そして暗い海添い道をちょっと後もどりして蠣船料理へ行った。

 


 自分の悩みでいっぱいになったとき、自分を「宇宙」の中に置いてみる。そうすることで、自分の世界が「芥子粒ほどのもの」に見える。つまりは自分の存在を相対化するということだ。

 高校生のころ、何かにつけて悩みが多かったが、あるとき、山下公園のマリンタワーに一人でのぼったことがある。その展望台から見ると、山下公園を歩く人々がまるで蟻のように見えた。なんだオレもあの蟻のようなものじゃないか、と、実に通俗的な「発見」で、一時的にではあれ、救われたような気がしたことがあったが、ひょっとしたら、あのとき、「暗夜行路」を読んでいたんじゃないだろうかと、ふと思った。

 

 


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