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一日一書 1664 寂然法門百首 31

2020-10-16 08:57:05 | 一日一書

 

即脱瓔珞細軟上服

 

 
そむけどもこの世のさまにしたがへば思はぬ今日の衣替へかな 

 

半紙

 

 

【題出典】『法華経』信解品


 

【題意】 即ち瓔珞と細軟(なよらか)なる上服 (「而+大」の文字は「軟」に同じ)

  珠玉の飾り玉と柔らかな立派な服を脱ぐ。
 

【歌の通釈】

  世をそむいたけれど、この俗世の習慣に従えば、思ってもみなかった今日の衣替えであるよ。(如来長者も愚かな息子に近づくために、思ってもみなかった衣替えをするよ。)
 

【考】
  『法華経』信解品、長者窮子の比喩において、我が子に近づくために、長者が賤しい衣に着替えた場面を、出家者の「初冬」の更衣の心により詠んだもの。

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)


 

いよいよ「冬」の巻が始まります。

山本章博によれば、この「寂然法門百首」は、経典の中から、あえて季節感のある字句を抜き出しているところに、特徴があるそうです。この「題」などは、季節感はありませんが、「立派な服を脱いで粗末な着物に着替える」というところを、日本の季節にあわせて「衣替え」としたわけです。

「俗世を捨てたけれど、この世の習慣に従う」といったあたりは、西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」がすぐに思い浮かびます。西行の歌では、出家の身にも秋の情緒は感じられる、ということで、「季節の情緒」が主になっていますが、この寂然の歌では、「子への愛」が歌われています。子どもに会うためならば、あえて俗世の習慣にも従うというかのような、「愛」の姿でしょうか。

仏教でも、キリスト教でも、信仰は、人間本来の感性や感情を否定するものではない、ということなのかもしれません。

 

 

 


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