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日本近代文学の森へ (151) 志賀直哉『暗夜行路』 38 放蕩のすえに 「前篇第一  十二」

2020-05-03 11:05:48 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (151) 志賀直哉『暗夜行路』 38 放蕩のすえに 「前篇第一  十二」

2020.5.3



 次第に激しくなっていく放蕩の中で、不安にかられる謙作を描いたあと、「第一・12」に入ると、様相は一変する。ごく短い「第一・12」は、こんなふうに始まる。


 仔山羊(こやぎ)だと思っているうちに僅か二、三ヶ月の間に何時か角も三寸ほどになり、頤(あご)の下からは先の尖った仔細らしい髯が生えていた。
 「この頃山羊が変に臭いの。洗ってやったら、どうでしょう」と茶の間で一緒に食事をしている時にお栄は顔をしかめながらいった。
 「洗っても駄目でしょう」
 「そうかしら、それに段々気が荒くなって、由(よし)なんかこわがって中へ入れないのよ。突っかかるものがないと、餌(え)さ函をひっくりかえしたり、棒杭と押しっこしたり、一人で怒っているの」
 「何処(どこ)かへやりましょうか」
 「鳥清? 鳥清ならいくらかで引き取ってくれるかも知れないのね」
 「鳥清でもいいが、あすこへやればきっと伝染病研究所へ売るから、殺しにやるようなものですね」
 「それもいやあね。──おかみさんを持たしてやればいいのかしら」
 「しかし何処かへやった方がいいでしょう。何故ならもしかしたら僕は暫く旅行しようかと思ってる」
 「何処へ?」お栄はちょっと意外な顔をした。
 「はっきり場所をきめてないんですが、半年か一年、何処か地方へ行って住まおうかと思うんです」
 「また、どうして不意にそんな事を考え出したの?」
 「そうだな、そうはっきりした理由もないが、とにかく僕はもう少し生活をどうかしなければ駄目なんです」


 放蕩生活に区切りをつけて、謙作はどこか地方へ行って、長い小説を書こうと思ったのだ。

 それにしても、いきなり山羊の話から始まるこの章は、今までが遊郭で煮詰まった場面の連続だったので妙に爽やかな気分に包まれている。お栄との会話も、親密なうちにも、お栄の謙作に対する愛情、それも家族というのではない愛情が滲みでていて、なるほど、こういう二人なのかと思わせる。

 このころ、家で山羊を飼うということは結構あったようで、たぶん乳をとるためだろう。家内が幼いころを過ごした高知の家でも山羊を飼っていたと聞いたことがある。横浜の下町のぼくの家では考えられないことだ。

 山羊を「鳥清」に売る際に、「おかみさんを持たしてやればいいのかしら」というのもなんとも面白い。そうすれば、子供を産むだろうから、それをあてに「鳥清」は、伝染病研究所に売ろうなんて思わないだろうというのである。どうでもいいところかもしれないが、面白い。

 どこへ行くかを兄の信行に相談すると、尾道がいいと勧められる。汽車が嫌いな謙作に、横浜から船でいくといいと信行は言う。そういう時代もあったんだなあと感慨深い。尾道に行くのに、横浜から船! 不便なようだが、また優雅でもある。


 その晩彼は電話で信行の在宅を確めてから本郷の家へ行った。
 「ちょっと羨しいな」信行は直ぐこんなに答えた。「尾の道へ行くといい。尾の道はいい処だよ」
 「そうかね。何処でもいい処ならいいが、船のつく処だね」
 「そうだ。お前は汽車が嫌いだから、それもいいかも知れない。一(い)っそ、横浜から船で行くといい」
 謙作はそれも面白いと思った。そして最近に出る船を調べてもらって、切符を買う事を信行に頼んで、そして翌日また会う約束をして別れて来た。
 翌日(あくるひ)午後四時少し前、彼は三越の角で、近くの火災保険会社から出て来るはずの信行を待っていた。年の暮れ近い夕方の忙しい室町通りで、電車は北からも南からも絶えず来てはその前で留まり、車掌が同じ事をいって、また動いて行った。俥(くるま)、自動車、荷馬車、自転車、それからその間々(あいだあいだ)を縫って人間が四方へ勝手な速さで歩いていた。犬も通った。彼は鼻先をかすめて通る男の肩の風を顔に受けながら、もう直(じ)き自分は前に海を見晴らす遠い静かな処へ行くのだと思った。楽みでもありちょっと淋しい気持もした。


 この室町界隈の雑踏の描写は生き生きとしていて、まるで映画を見ているようだ。

「彼は鼻先をかすめて通る男の肩の風を顔に受けながら、もう直(じ)き自分は前に海を見晴らす遠い静かな処へ行くのだと思った。」という表現の素晴らしさ! 都会の風は、「男の肩の風」だ。それに対して謙作を待っているのは、「前に海を見晴らす遠い静かな処」の爽やかな風だ。都会での「人事」に疲弊した謙作の心が見事に描かれている。しかも、「楽みでもありちょっと淋しい気持もした。」とある。疲弊しながらも、放蕩に日々に心が残るのだ。

 会社から出てきた信行と鳥屋に行くことにして、日本橋の「仮橋」へ来た。日本橋は、明治44(1944)に現在の石造りの橋が架けられたということなので、そのための工事だろう。この工事現場の様子が詳しく描かれている。


 日本橋の仮橋へ来た。土台を築くために囲(かこい)をした、その中へ浸み込む水を石油エンジンで絶えず汲み出している。亜鉛板(トタンいた)の変に反りかえった屋根から、細いのと太いのと二本の煙突が出ていて、細い方はスポッスポッと勢いよく蒸気を吐くたび震えていた。そして太い方は赤さびて、その頭から元気のない姻を僅かにたてている。
 セメントに小砂利を混ぜたのを畚簣(もっこ)で陸から運ぶ者がある。頬髯のいかめしい土方がそれをシャベルでならしている。一方ではその上へ蓆(むしろ)を敷いて、向い合った二人が、堂突きで、よいさよいさと突いていた。
 背広に日本脚絆をはいた男が測量をしている。その彼方で、丸太を二本立て、それヘ貫き板をX 字なりに打ちつけている者がいる。そして、その下の油のギラギラ浮いた水溜で顔を洗っている女労働者があった。
 二人はちょっと立止って欄干へ椅り、それらを眺めた。そしてまたそれを離れて歩き出した。
 「働く事がその日その日の食う手段になっている奴はまだいいがね。俺のしている事なんかそれだけの必然さもないからね」突然信行はこんな事をいい出した。「時々変な不安な気持になって仕方がない」
 謙作はちょっと不思議な気がした。信行にもそういう事があるというのが思いがけない気がした。

 


 裕福な階級の信行は、日本橋の工事に従事する労働者を眺めながら、自分の仕事への不安を口にする。

 その後、二人は鳥屋に入る。

 一時間ほどして二人は其処を出た。銀座まで歩いて、其処で信行は駱駝の襟巻を買って、謙作への餞別とした。

 この一文で、「暗夜行路 第一」は終了する。岩波文庫で150ページ。小説全体のおよそ四分の一ほどだ。

 きわめてゆっくりとしたペースで読んできたのだが、あらためてこの小説の魅力を感じている。内容はなんていうこともない。ストーリーもほとんど展開しない。深い思想が語られているわけでもないし、謙作が特別に魅力的な人物であるわけでもない。むしろイライラさせられることばかりだ。

 今同時進行で読んでいるプルーストの「失われた時を求めて」に比べると、その内容の深み、物語の広がりなど、どこをとっても「暗夜行路」は遙かに及ばないといっていいだろう。けれども、「読む」ということにおいては、「暗夜行路」にも大きな利点がある。利点というのも変だが、それは、なんといっても「暗夜行路」は原語(日本語)だということだ。

 翻訳は、その点でどうしても不満が残る。ああ、原語ならどんなに素敵だろうという嘆きから離れることはできない。それはそれでもうどうしようもないことだから、今更原語を学ぼうなどとは思わないが、やはり、「読む」のは「言葉」だから、その「言葉」が「作者の言葉そのもの」であることはなんといっても大きな利点だ。

 「暗夜行路」のすべてが素晴らしいということではなく、うんざりする箇所だってある。けれども、そういう箇所でさえ、志賀直哉の息づかいが直に聞こえる、というのはありがたいことなのだ。

 さて、暗いトンネルのような「第一」だったが、この後「第二」に入ると、海の上だ。楽しみである。

 

 

 

 

 


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