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日本近代文学の森へ (45) 岩野泡鳴はどう見られていたか 2

2018-09-29 15:00:16 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (45) 岩野泡鳴はどう見られていたか 2

2018.9.29


 

 浅見淵が丹羽文雄にインタビューした記事があったので読んでいたら、はからずも泡鳴が話題になっていた。話は、谷崎潤一郎の『鍵』から始まり、漱石の『虞美人草』に及び、泡鳴の漱石評が出て来る。

 このインタヴューは、昭和31年のものだが、『鍵』も昭和31年(1956年)の作品である。



 「潤一郎の『鍵』をどう思うかネ?」劈頭、僕は丹羽文雄に尋ねた。「みんなが避けているイヤな難かしい問題に、よくも正面切って取ッ組んでいると思う。あの年で、エライもんだとおもうネ」丹羽は甚だ好意的だった。「あれは結局、どういうことを書こうとしてるんだろう?」僕は重ねて尋ねた。「人間の表面的な虚飾的なものをスッカリ剥ぎ取ってしまって、性欲だけでギリギリの人間関係を見極めようとしてるんじゃアないかネ? 人間関係の極北点を極めるにはそこまで行かなくちゃア嘘なんだが、困難な、いやアなことを曝け出さなくてはいけない仕事なのでネ。だから、気付いていてもみんな逃げているんだョ」「つまり、性欲を中心にして男女間の心理葛藤を追及し、人間の正体を見究めようとしているというわけだネ?」「そういうことになるかネ。兎に角、まだ誰も手を着けていない世界だヨ。その意味で敬意を表するネ。それに、文章も細かい陰翳がある上になかなか味がある。たいしたもんだヨ」「そして、正確だネ」「ウム、じつに正確だヨ。尤も、世評がうるさいので、主人公を死なすことにしたりして、最初立てた筋とはだいぶ変って来ているらしいがネ」
 僕はフト胸に浮んで来たのでいった。「いつだったか必要あって漱石の『虞美人草』を読み返したのだが、アレは酷いもんだネ。通俗小説だネ。人物が一人として描かれていない。泡鳴が漱石をクサしたのも尤もだネ。また、泡鳴の小説のほうが、これから生きながらえるのではないかネ?」「そんなことはよくあるネ。むかし一応感心して読んだ作品を読み返してみて、ちっとも感心しないということが。年齢によって作品の印象は変わってくるネ」「その漱石の作品だがネ。戦後、坂口安吾が漱石の小説は性欲をオミットして書いている。さてとなると、禅の入口に走らせたりして解決しているが、それは作品の上だけの解決であって、作中人物はちッとも解決されていない。そういって、漱石の小説が性欲の面を閑却していることをひどくケナしていたが、けだし一理あるネ」「漱石の小説が今日なお人気があるのは、そんなふうに文学的解決のキレイごとで終っていることに、確かに原因しているネ。一般の人は人間の醜悪面を見たがらないからネ。しかし、これからはそれで満足しないと思うナ」「戦後、性欲方面のことが可成り自由に書けるようになったということは、悪い面も出て来てはいるが、いいことだネ」「人間生活の根源的なものだからネ。これを抹殺して小説は書けないヨ」「その点、志賀さんの作品は漱石みたいなことはないネ。『暗夜行路』の中で、謙作が直子を動き出した汽車の上から突き飛ばすところがあるが、あそこは圧巻だがネ。志賀さんの奥さんは再婚者だろう? 潔癖な志賀さんは、結婚してから相当このことに悩んだに違いないと思う。その時の実感があそこに生きているんだと思うナ」「それは分るネ」


昭和31年12月「群像」

 


 出たばかりの『鍵』についての二人の評価も面白いが、その「性欲」からの関係で、泡鳴が出て来るわけだが、それが漱石がらみであるところがまた面白い。というのは、正宗白鳥も漱石と泡鳴を比較していたからである。以前にも引用したが、白鳥は、こんなことを言っていた。


当時漱石は官立大学の教師であり、泡鳴は月給二十五円ぐらいの大倉商業学校の教師であったことが、作品に対する世俗の信用を異にした所以(ゆえん)で、さながら、書画骨董の売立に於て大々名の所蔵であるか、一平民の所蔵であるかが、買ひ手の心持に影響するのと同様である。


 泡鳴は漱石より6歳年下だが、ほぼ同時に作品を発表していると言っていい。泡鳴の出世作『耽溺』は1909(明治42年)、『放浪』は1910年(明治43年)、一方、漱石の『虞美人草』は1907年(明治40年)、『三四郎』は1908年(明治41年)であり、泡鳴としては、当然対抗意識があったわけである。しかも、自分のほうはさっぱり売れず、漱石がバカ売れしたのだから、悔しがって批判したのも当然であろう。

 それを正宗白鳥は、大学教授が書いたのと貧乏教師が書いたのじゃ、所詮勝負になるわけないよと、意地悪く言ったわけだが、それはまた「大衆」というものが、どういう「評価」をするのかということに対しての痛烈な皮肉でもあるわけで、白鳥とて、泡鳴を認めることにやぶさかではなかったのである。

 この浅見・丹羽の対談でも、浅見は、「泡鳴の小説のほうが、これから生きながらえるのではないかネ?」と水を向けている。それに対して、丹羽文雄は、「そういうことはよくあるネ」と、曖昧化・普遍化してしまっていて、浅見ほどの熱心さは示していないが、それにしても、今日からみると、将来「泡鳴のほうが漱石より読まれるかもしれない」という推測があったことは驚きである。同時代のものを「正しく」評価することは至難のわざだ。「正しく」と括弧付きにしたのは、もちろん、文学の評価の「正しさ」なんて、あてにならないからに他ならない。

 漱石の文学が、坂口安吾が批判したように、「性欲の面を閑却している」のかどうかは、詳しく検証してみる必要はあるが、確かに、漱石の今に至る異様なまでの人気の一因は、確かに「文学的解決のキレイごとで終っている」ことにあるだろう。

 そうかといって、『それから』とか、『門』とかに、泡鳴ばりの男女関係のドロドロが描かれていたら、やっぱり読む気にならないだろうから、難しいところだが。

 そういえば、最近どこぞの「文学研究者」が、日本の伝統は「包む」ことで、例えば『源氏物語』にはセックスの描写など一切ありません、なんて言って威張っていたが、冗談言って貰ってはこまる。『源氏物語』には、確かに性器と性器の結合の場面こそ描かれていないが、性的関係はそれこそ至るところにあって(というか、そればかりで)、「包まれて」などいない。

 しかし、漱石となると、そうした「性的関係」を『源氏物語』的手法で描いているようにも思えない。(これも検証が必要)そうするとやっぱり「文学的キレイごと」で終わっていると言われてもしかたのないところなのかもしれない。

 漱石を尊敬していたらしい「白樺派」の作家たちは、その傾向をさらに発展させて、武者小路実篤のような、「文学的キレイごと」ですらない男女関係を描いたのではなかろうか。少なくとも、『友情』とか『愛と死』とかに、性的な匂いは、どこにもなかったような気がする。(これも検証が必要)

 しかしまた同じ「白樺派」と言っても、志賀直哉となると全然違っていて、浅見も、「その点、志賀さんの作品は漱石みたいなことはないネ。」と言って、『暗夜行路』のワンシーンを挙げている。この場面の記憶がないので、いつか読み返してみよう。

 話を戻せば、結局小説において、もっとも大事なのは、「人間を描く」ということに尽きるのではなかろうか。どんなに波瀾万丈のストーリーが展開されようとも、そこに「人間」がきちんと描けていなければ、「通俗小説」でしかない。別に「通俗小説」が悪いというわけではないが、やはり「文学的価値」の基準というものはなければならない。その基準が「人間が描けている」という一点なのだ。





 


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一日一書 1484 蟄虫培戸(七十二候)

2018-09-29 10:14:16 | 一日一書

 

蟄虫培戸(むしかくれてとをふさぐ)

 

七十二候

 

9/28〜10/2頃

 

ハガキ

 

 

 

 


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