苦不盡甜不来
半紙
苦は尽きず、甜(てん)は来たらず。
(苦しみは尽きることはなく、楽しいことは来ないだろう。)
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この言葉は、今井凌雪著「書を学ぶ人のために」で見つけたもの。
出典は分かりませんが、こんな文章の中にありました。
この文章の前には、主宰する雪心会の会員に対して手厳しい言葉を書き付けています。
先日僕の学生時代の中国語の先生がお嬢さんとお孫さんに習字させてほしいというので僕の家へ見えた。もう七十歳ということである。大変な努力家で、今なお毎日、放送を聞き、新たに広東語をマスターするのに大童である。奈良の警察関係の委託学生の指導を担当されているとかで、お嬢さんたちのお稽古をまっている間に警察へ電話をかけられた。何をされるのかと思っていると、担当の学生達を呼び出し、電話で会話の練習である。誰々君誰々君と次々に呼び出し、「何でもよいから一口中国語で言ってみなさい」などと言って二、三十分もやっておられた。警察の学生さんもえらい台風が来たと思ったであろうが、この先生が僕に、「君ね、すまんが、この字の手本を書いてくれんかね。僕は何か書いてくれといわれたら、必ずこれを書くことにしているんだ」といってメモに書かれたのが標題の「苦不尽、甜不来」の六字である。苦はにがにがしいとか苦しいとかの意、苦しいことは尽きることはない。甜は甘いである。甘いこと、楽しいことは絶対来ないであろう、という意味である。五十何年にわたって中国語一本にうちこんで来られ、今なお努力を続けられる先生が、七十歳になって漸く到達されたのが、「苦不尽、甜不来」の悲壮な境地だったのである。メモに書かれたベン字には人生の苦汁がにじみ出ているようで、とてもお手本なんて書けそうもない。僕はこのメモを大切にとっておこうと思う。そして、この覚悟で書をやって行こうと改めて決心をした。
書はそんななまやさしいものではない。書をなめるな。
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ぼくには、このような覚悟はありませんが、
今井凌雪にしてこうした覚悟があったのだということは
覚えておきたいと思います。
■本日の蔵出しエッセイ 「自由」な先生(6/26)
「覚悟」という語の出てくるエッセイです。