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一日一書 1727 寂然法門百首 75

2022-11-11 15:51:08 | 一日一書

 

由妄念故沈生死

 

夏引きのいとふべき世にまとはれしこの心ゆゑかきこもりける
 

半紙

 

【題出典】原拠不明。

【題意】 由妄念故沈生死

妄念に由(よ)るが故に生死に沈む

妄念によってこの輪廻の世界に沈む。


【歌の通釈】
夏に紡ぐ糸に巻きつかれるように、厭うべき世の中に縛られた。この縛られた心ゆえに、世の中に引きこもっているのだよ。

 

 【参考】行方なくかきこもるにぞひき繭のいとふ心のほどは知らるる(金葉集二・恋下・四七五・待賢門院堀河)

 

【考】
離れるべき世に対する執着ゆえに生死の輪廻を繰り返すことを嘆いた歌。特に糸に巻きつかれたような愛の妄執からは逃れ難い。「糸(繭)」を中心とした縁語仕立ての歌で、【参考】に挙げた、堀河の一首に倣っている。
 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 


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一日一書 1726 寂然法門百首 74

2022-10-27 10:19:55 | 一日一書

 

事与願違

 

何事も思うふすぢには違ひつつそむけとなれるこの世なりけり
 

半紙

 

【題出典】『往生要集』大文二

【題意】 事与願違

事と願と違ひ

実際の事と願う事は違う。


【歌の通釈】
何事も思い通りにはいかなくて、出家せよと言っているようなこの世のありさまだよ。

 

【考】
願うことは叶わぬばかりの世の中から離れ、浄土を求めようという歌。左注は、『往生要集』の文を踏まえながら、いかに我々の世の中が思い通りにいかないものであるか、富貴であっても貧しくても、長寿であっても、楽があってもなくても、必ず難点があることを執拗に説き、浄土に心を向けようとする。『方丈記』の「すべて世の中のありにくく」以下の一節に通うような筆の跡。
 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 

 


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一日一書 1725 寂然法門百首 73

2022-10-14 11:47:35 | 一日一書

 

自惟孤露

 

みなしごとなりにし日より世中を厭ふべき身のほどは知りにき
 

半紙

 

【題出典】『法華経』寿量品

【題意】 自惟孤露

自ら惟(おもい)みるに孤露にして

自分を振り返ってみると、孤独で、(頼りにする人もいない。)


【歌の通釈】
孤児となった日から、世の中を遁れ出家するべき身だと知ったのだよ。


【語釈】
「みなしごと……」『法華経』寿量品の良医病子の場面について言っている。良医である父が海外へ行っている間に、子どもたちが誤って毒を飲んでしまう。帰国した父は薬を与えたが、本心を失った子どもは薬を飲もうとしない。そこで父は再び国外に出て、自らが死んだことを告げさせる。すると本心を失った子どもは悲しみの中、本心を取り戻し薬を服用し、病を治した。この比喩により、仏が涅槃に入ったのは迷う衆生を救うための方便であり、真実には永遠に存在するという久遠の仏の心を示したのである。この歌は、父の死を告げられた毒を服した子どもの心境を表したもの。

【考】
 この歌は「法華経」良医病子の比喩の中の子が、父の死を告げられた時の心境を詠むが、釈迦が入滅した後に生きる自分は、その子のように父に死に別れたみなしごであり、出家して仏を求めるべき身だと自覚したという歌。寂然が涅槃会を詠んだ「墨染めのたもとぞけふは露深き鶴の林のあとのみなしご」(寂然法師集・九二)は、釈迦に先立たれた人々を「みなしご」と詠んだ同発想の歌である。
 寂超「法門百首」は「とことはにたのむかげなきねをぞ泣く鶴の林の空を恋ひつつ」(新勅撰集・釈教・六一三)と詠む。仏の涅槃の空を恋いながら、いつまでたっても泣き続けるという意で、良医病子の比嚥の場面ではなく、直接に仏の涅槃を詠む。

 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)


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一日一書 1724 寂然法門百首 72

2022-09-14 14:01:51 | 一日一書

 

志楽於静処

 

事しげき世をのがれにし深山辺に嵐の風よ心して吹け
 

半紙

 

【題出典】『法華経』従地湧出品

【題意】 志楽於静処

静かなる処を志し楽(ねが)いて

(地湧の菩薩は)静かなところを求めて、(多くの人がいる騒がしい所を避ける。)


【歌の通釈】
煩わしい世間を遁れてきた深山の辺に、嵐よ、私の行を妨げぬよう心して吹け。

【参考】
夏衣まだひとへなるうたたねに心して吹け秋の初風(拾遺集・秋・一三七・安法法師)


【考】
前歌同様、地湧菩薩のように、俗世間から離れて山林に住み、閑寂の中で修行しようという決意の歌。この歌は、題しらずとして、『新古今集』の雑部に入っている。当百首を出典としながら、釈教部に入るものと、その他の部に入るものとが分かれる現象は、『千載集』にも見られた。(63番歌参照)。また、『拾玉集』巻五散文にこの題文が引かれる。


(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)


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一日一書 1723 寂然法門百首 71

2022-08-22 14:17:30 | 一日一書

 

不染世間法

 

世の中の濁りになにかけがるべき御法(みのり)の水にすすぐ心は

 

半紙

 

【題出典】『法華経』16番歌題に同じ。


【題意】 不染世間法

世間の法に染まらざること


【歌の通釈】
世の中の濁りにどうして汚されるだろうか。御法の水に漱(そそ)がれた心は。

【参考】
いさぎよき人の道にも入りぬればむつの塵にもけがれざりけり(発心和歌集・……不染世間法……・三九)


【考】
地湧菩薩のように、自らも世間に染まらず流されず、菩薩の道を歩もうと決意した歌。【参考】に挙げたように同題で詠まれた『発心和歌集』び一首があり、また俊成はこの場面を、「池水の底より出づる蓬葉のいかで濁りにしまずなりけん」(長秋詠藻・湧出品、従地面湧出・四一七)と詠んでいる。


(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 

★「寂然法門百首」の、71〜80までは、「述懐部」となっています。

 

 

 


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