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一日一書 1746 寂然法門百首 95

2025-06-10 16:24:44 | 一日一書

 

霊鷲山

 
鷲の山すぐれて高き峰なれやかみなき法(のり)の庭と定むる
 

半紙

 

【題出典】一般に通行した固有名詞であり、出典を特定せず。

 

【題意】 霊鷲山

【語釈】鷲の山=霊鷲山のこと。釈迦が『法華経』を説いた場所。

【歌の通釈】
霊鷲山は、優れて高い山であるよ。この上ない法の庭と定めるのだ。

【考】
法華時の歌。『法華経』は究極最高の教えであることを、その説法の場である霊鷲山の峰の高さを賛嘆することによって表現した。
 

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 

 

 


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一日一書 1745 寂然法門百首 94

2025-06-03 20:12:15 | 一日一書

 

常啼菩薩

 
あはれにもむなしき法(のり)をこひ侘びて涙は色に出でにけるかな

 

半紙

 

【題出典】一般に通行した固有名詞であり、出典を特定せず。
 

【題意】 常啼菩薩


【歌の通釈】

悲しいことに、空しい法(空の教え)を恋い焦がれて、涙が表に出てしまうことだよ。
 

【考】

般若時。空を説く段階。般若を求めて七日七夜泣き暮れたという常啼菩薩の姿を、涙を包み隠せない恋する男の姿のように表現した。


(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

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信仰心の篤さを、恋心に重ねるという発想は、旧約聖書の時代からすでにあったようですね。今でも「雅歌」は、キリスト教では大切な信仰表明として愛されています。

 


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一日一書 1744 寂然法門百首 93

2025-05-23 20:45:46 | 一日一書

 

浄名居士

 

むろの道ふみあやまてば諫(いさ)めつゝ咎みえにくき翁知りけり

 
半紙

 

【題出典】一般に通行した固有名詞であり、出典を特定せず。
 
浄名居士(維摩居士)


【歌の通釈】

無漏(小乗)の道を踏み誤ったので、いましめながら、欠点の見えにくい維摩翁を知ったのだよ。

 

【註】「むろの道」:ここでは小乗仏教のことを言う。「無漏」:煩悩のない状態。「浄名居士」:「浄名」とは「維摩経」の主人公維摩のこと。在家の修道者であるので居士と呼ぶ。「方等」:狭い小乗に対して、大乗が広大であるところから、「大方等」という言い方が出てきた。五時の中では、般若経、法華経、涅槃経を除いた大乗経典を説いた時を指す。

 

【考】方等時。小乗を叱り付け、大乗に導く段階である。小乗の段階でつまづく時、それを諫めながらその非の打ち所のない維摩翁に出会った喜びを詠む。

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 


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一日一書 1743 寂然法門百首 92

2025-05-17 13:43:10 | 一日一書

遊化鹿苑

 

きゝそめしかせぎがそのの法(のり)の声世をあきはつるつまにぞ有りける

 

半紙

 

【題出典】『法華玄義』一・上
 

【題意】鹿苑に遊化す。

 鹿苑寺で教化する。


【歌の通釈】

聞き始めた鹿の苑の法の声は、世を飽き果てるきっかけであったのだよ。

【考】

鹿苑時。まだ理解の浅い凡夫に対し小乗の教えを説く段階。『阿含経』がこれに当たる。歌は、この段階での教えが世を出離するきっかけであると、次の大乗の段階への移行の心を詠む。

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

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「鹿苑寺」といえば、金閣寺のことがすぐに思い浮かびますが、なるほど、「鹿苑時」には、そのような意味があったのかと初めて知りました。金閣寺は、創設者である足利義満の法号、鹿苑院殿(ろくおんいんどの)から名付けられたとのことですが、足利義満の法号が「鹿苑院殿」だったということは、まだまだ自分は「理解の浅い凡夫」に過ぎないとの思いからだったのでしょうか。あるいは、義満に法号を与えた方のそのような思いだったのでしょうか。

★この「寂然法門百首」シリーズもあと8回。このgoo blogも、今年の11月でサービス終了とのことですので、なるべく速やかに完結させたいと思っております。

 


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一日一書 1742 寂然法門百首 91

2024-11-18 10:42:00 | 一日一書

 

先照高山

 

朝日出でて峰の梢を照らせども光りも知らぬ谷の埋木

 
半紙

 

【題出典】『法華玄義』一〇・上
 

【題意】 先に高山を照らす

(華厳経の教えは、たとえば)日が出るとまず高い山を照らす(ようなものだ。)


【歌の通釈】

朝日が出て、山の峰を照らすけれども、光も知らない谷底の土に埋もれた木だよ。(仏が世に出て『華厳経』を高位の菩薩に説くけれど、それを知らない二乗の凡夫であるよ。)
 

【考】

以下の六首は「五時」を詠む。天台大師が説いた「教相判釈」説で、釈迦の生涯における説法を五つの段階に分けたもの。すなわち華厳時・鹿苑時(阿含経)・方等時(維摩経など)・般若時・法華涅槃時の五時である。ここでは法華涅槃時を二つに分けて六首構成としている。第一の華厳時は、まず凡夫の理解できない高度な教えを説く。朝日はまず山の峰を照らすが、谷の底にはまだ光が当らないことに譬えた。

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

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★この「91」からは、「雑」の部となります。
★仏の教えは、高度で凡夫の理解できないところから、やがて、凡夫にも分かるものへと進んでいく。「小乗」から「大乗」へということのようです。
★教えが、段階的に深化していくさまが、キリスト教とはだいぶ違っていて、興味深いところ。イエスの教えは、まず「凡夫」に向かって、きわめて分かりやすい形で語られています。いわば「谷底の埋れ木」にまずイエスは降りていったように思います。

 

 

 


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