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日本近代文学の森へ 283 志賀直哉『暗夜行路』 170 「ChatGPT」の力を借りて 「後篇第四 十六」 その4

2025-06-20 20:37:59 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 283 志賀直哉『暗夜行路』 170 「ChatGPT」の力を借りて 「後篇第四 十六」 その4

2025.6.21


 

 今日の手紙は早くて、明後日(あさって)、隔日しか登って来ない郵便脚夫が今日来なければもう一日遅れて直子の手に入るわけだと思った。彼は机に向い、読みかけて、そのままになっていた、元三大師(がんさんだいし)の伝を読み始めた。よく田舎家の入口などに貼ってある元三大師鬼形(きぎょう)の像のいわれを面白く思った。上野にある両大師の一人が元三大師だという事も初めて知った。


 よく言われることだが、今のネット社会からすれば、悠長な話である。といっても、そんなに大昔のことではない。つい50年ほど前、ぼくが学生だったころは、手紙をポストに入れてから、返事が返ってくるのは、はやくても1週間後ぐらいだったのではなかろうか。メールの返事が、翌日になってもない、なんて怒るのは贅沢というものだ。

 家に帰った謙作は、読みかけになっている帝国文庫の『高僧伝』の元三大師のくだりを読み始めた。この元三大師というのは、文庫本の注によれば、「天台宗の僧、良源のこと。永観三年(九八五)正月三日に入滅したのでこう呼ばれた。」とある。この元三大師は、疫病などが流行したとき、自らが鬼の姿に変身して魔を退けたという伝説があり、その鬼になった姿を絵にしたのが「角大師(つのだいし)」で、この絵を玄関や門口にはっておくと、魔除けになるといわれ、大変にはやったらしい。これが、謙作が言う「よく田舎家の入口などに貼ってある元三大師鬼形(きぎょう)の像」だろう。

 当時は、そんなお札はごく普通に見られたのだろうが、現在のぼくらがここを読んでも何のことやらわからない。ちなみに、ぼくもそんなお札は見たことがない。ただ一般に「厄除け大師」と言われるときの「大師」は、この「元三大師」を指すらしい。ただし、ぼくも行ったことがある川崎大師も厄除けで有名だが、それは「弘法大師」ということだ。また、今でもはやりの「おみくじ」も、元三大師が創始したという説がある。

 などと知ったかぶりして書いているが、この辺は、ぜんぶ「ChatGPT」にぼくが質問して得た回答をまとめたもの。だから、絶対正しいっていえないかもしれないが、案外ちゃんとしているようだ。

 それにしても、そろそろ大詰めだというのに、こんな寄り道をしていていいのだろうか。ここに元三大師が出てきてもこなくても、話の展開には関係なさそうなのだが。

 さて、話はつぎのように展開する。


 その時、彼は玄関に聴き馴れない男の声を聴いたが、自分に客のあるはずはなく、庫裏への客が間違えているのだろうと少時(しばらく)そのままにしていたが、また、同じ声がしたので、出て行った。四十前後の坊主が如何にも慇懃(いんぎん)な様子で立っていた。
 「ちょっとお邪魔致してもお差支(さしつか)えございませんか」
 何か間違いだろうと思ったが、謙作は書院と玄関とのあいだの間(ま)に通した。坊主は具合悪そうに奥の間、玄関の間などを見廻していたが、本の積んである床の間に眼をやると、
 「何か御研究でもなさっておいでですか」といった。
 「いいえ」謙作は坊主の何となく俗な感じがいやだった。間違いでないとすれば、どうせ《ろく》な用ではないだろうと思い、故意に不愛想に黙っていた。

 

 初対面の人間に対して(いや、初対面じゃなくても)、謙作は、すぐに「好き・嫌い」の感情をむき出しにする。表面には出さなくても、心の中でむき出しにする。ここでも、「謙作は坊主の何となく俗な感じがいやだった。」といきなり感じるのだが、「坊主」は、ただ、挨拶して、入ってきて、本棚の本をみて、質問をしただけである。それなのに、謙作は、そこから「俗な感じ」を受け取る。「坊主」の描写をあまりしないから分からないのだが、あえていえば「如何にも慇懃(いんぎん)な様子で立っていた。」といったところに、「俗な感じ」を受ける理由があるのかもしれない。「慇懃」というのは「人に接する物腰が丁寧で礼儀正しいこと。」であるが、その前に「如何にも」という言葉が挿入されている。つまりは、その丁寧で礼儀正しい物腰が、「わざとらしい」と謙作は受け取るのだ。敏感といえば敏感である。今でいえば、訪問販売員の物腰みたいなものだろう。しかし、ここは「坊主」なのだから、そこまで「俗」(つまりは欲得目当て)であるはずもないのだが、案外謙作のこの直感は当たるのである。

 それはまた『暗夜行路』冒頭の、幼い謙作がいきなり現れた「祖父」に感じた「嫌悪」を思い起こさせる。

 で、この「坊主」は、謙作を禅の講習会に誘いに来たのだが、その裏には、謙作の使っている広い部屋を講習会のために貸してもらえないかと言いだすのだ。

 この辺のことを、引用すると長いので、かいつまんで書いておくと、こんなふうになる。(ここでも「ChatGPT」にお願いして、まとめてもらいました。いやあ、便利だなあ。ちなみに、「ChatGPT」にお願いしたのは、今回が初めてです。「ChatGPT」のご紹介も兼ねてということで。)


 ある日、謙作のもとに、万松寺の住職を名乗る坊主が訪れ、金剛院で開かれる十日間の禅の講習会への参加を勧める。講習会は小学校教員の希望で企画されたもので、講義をするのは住職本人ではなく、天竜寺の峨山和尚に師事した修行僧だという。住職自身は禅宗ではないが、主催者として協力しているという立場であった。
 謙作は最初は無関心だったが、信行から以前聞いていた「峨山の弟子」ならば一通りの修行を積んだ坊主かもしれないと少し関心を持つ。「臨済録」をテキストにするという話を聞くと、ちょうど兄からその本をもらって持っていることを話し、住職を驚かせる。
 住職は謙作が禅に詳しいのではと期待するが、謙作は「全然知りません」と答える。それでも住職は、「それも因縁」として、難しく考えずぜひ参加してほしいと熱心に勧誘を続ける。公案の話題にも触れるが、謙作は「考えてから返事します」とやや曖昧に返す。
 しかし謙作の内心には、今目の前にいるこの住職と十日間も関わることになるのかと思うと、すでに気が重く、気乗りしない気持ちがあった。住職はなおも言葉を尽くして誘うが、謙作は最後まで返事をしなかった。

 

 これが文庫本で3ページにわたる、ほぼ会話で描かれる事情である。それを「ChatGPT」は、会話文をつかわず、話し合われた内容をじつに見事にまとめている。しかも、このまとめには、ぼくは一切手を加えていない。いやあまったく何という世の中になったんだろう。

 さて、「あとでお返事します。」という謙作に住職は「そう仰有(おっしゃ)らんでぜひ……」と食い下がる。その後を引用しておこう。


 謙作は返事をしなかった。坊主はちょっと具合悪そうにしていたが、急に改った調子で、
 「実は、そこで一つお願い致したい事があるのでありますが……」といいだした。
 話の要領は、下の金剛院には離れがなく、師家と講習生とが襖(ふすま)一重で隣合っているため、一人一人に授ける公案が他(た)に漏れてしまう。それが困るので、もし謙作が講習生の一人になり、他の人々と合宿してくれれば、この離れを師家のために使う事が出来る。もしそうしてもらえれば非常に好都合なのだ、幸い禅に理解があり、公案がどういうものかを御存知なので、お願いするにもし易く、大変幸であった。────こういう話だった。
 謙作はすっかり腹を立ててしまった。坊主の話にいくらか釣られた形だったのでなお腹を立てた。
「最初から、それをいうなら、考えようもありますが、おだてるような事を貴方はいわれた。それでは貴方に乗せられる事になる」謙作は腹立(はらだち)から、こういう言葉を繰返した。
「それは誤解です。私は最初からそんな目的で伺ったのではないのです。一人でも多く、求道の方を得たいと思いまして、それで、お勧めに伺ったのですが、伺うて初めて、この離れが師家に大変好都合な御部屋だと考えたので、甚だ不躾(ぶしつけ)とは思いましたが、ついお願いして見たまでで、最初から此所(ここ)を空渡(あけわた)して頂きたい────そんな考で伺ったのではないのです。この点をよく御諒解戴かんことには私が如何にもずるい人間かなぞのよ
うで……」
 「それは嘘だ!」とうとう、謙作は怒鳴った。
 「どうしてですか」坊主もちょっと調子を変え、青い顔をした。
 「そんな見えすいた嘘をいっても駄目だ」
 二人は黙って暫く睨合(にらみあ)っていた。そのうち、坊主は不意に衣の袖をばっと両方へ拡げると、おかしいほど平蜘蛛になって、
 「御海容を願います」といった。その急な変り方に謙作はちょっと呆気にとられた。
 結局、静かな部屋を他に探してくれれば此処を空渡してもいい、必ずしもこの寺でなければならぬという事はないのだから、と謙作もいい、坊主ももしそうしてもらえればありがたい事だ、といって帰って行った。謙作は下らぬ事で、折角(せっかく)の静かな気分を打壊した事を馬鹿馬鹿しく思った。しかしそれに余り拘泥しない事にした。


 でました! 謙作の癇癪、ってとこだね。怒鳴ってしまってから、「下らぬ事で、折角の静かな気分を打壊した事を馬鹿馬鹿しく思った。」なんて反省しているけど、「しかしそれに余り拘泥しない事にした。」と開き直っている。謙作の自然と同化したかのような境地は、実に馬鹿馬鹿しいこんなレベルのことで、簡単に壊れてしまい、なんのことはない、いつもの癇癪持ちの謙作に戻ってしまう。こんなことなら、今後の直子との生活だって、どうなることやらと思いやられる。

 しかし、「それに余り拘泥しない事にした」というのは、開き直りではなくて、そういう癇癪を起こすことはあっても、すぐに「静かな気持ち」に戻ることができるだろうという自信の表れなのかもしれない。これからの直子との生活で、謙作がまったく癇癪を起こさずにいられるということは、現実的ではない。なんども、癇癪を起こしながら、何度もそれをやりすごしながら生きて行く、それしか謙作にはできないだろう。そのことを、謙作自身が深く納得しているのかもしれない。

 それにしても、この二人のやりとりは妙にリアルで、おもしろい。大の大人が睨み合って、そのあと、「坊主」が「平蜘蛛」になってしまう。それを「おかしいほど」と書く。謙作は呆気にとられて思わず心の中で笑ってしまったのだろう。それで急に話がまとまってしまう。こういった事の成り行きは、謙作には珍しい体験だったのかもしれない。都会の知識人では、あり得ないような「坊主」の行動だろう。話をどこまで詰めていっても、煮詰まるだけで、解決の糸口がみつからないような状況で、とつぜん「平蜘蛛になる」という行為は、案外効果的なのだ。

 ちなみに、「平蜘蛛」というのは、「ヒラグモ」という薄べったい蜘蛛の一種らしいが、かなり古くから「平身低頭する。はいつくばるさま。」(日本国語大辞典)で、江戸時代の浄瑠璃にすでに用例がみえ、また森鷗外も「平蜘蛛になってあやまる」という用例が「ヰタ・セクスアリス」にある。今では、まず使わない言い方だが、当時はかなり一般的だったのだろう。

 そんなこんなで、「十六」は終わる。残るは、あと四章である。

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ 282 志賀直哉『暗夜行路』 169 爽やかな「竹さん」 「後篇第四 十六」 その3

2025-06-07 11:30:34 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 282 志賀直哉『暗夜行路』 169 爽やかな「竹さん」 「後篇第四 十六」 その3

2025.6.7


 


 彼は机に凭(もた)れたまま開放しの書院窓をとおしてぼんやり戸外を眺めていた。座敷の前、三間ほどの所が白壁の低い土塀で、それから下が白っぽい苔の着いた旧い石垣で路、路から更らに二、三間下がって金剛院という寺がある。朝からの霧がまだ睛れず、その大きな萱屋根(かややね)が坐っている彼の眼の高さに鼠色に見えている。
 彼はまだ何か書き足りないような気がした。それよりも直子には寝耳に水で何の事か分らぬかも知れぬという不安を感じた。急に自家(うち)が恋しくなり、発作的にこんな手紙を書いたと思われそうな気もした。彼は洋罫紙(ようけいし)の雑記帳を取り、その中から三枚ほど破って、余白に「こんなものを時々書いている」と書き、手紙に同封した。二、三日前この書院窓の所で蠅取蜘蛛(はえとりぐも)が小さな甲虫を捕り、とうとう、それが成功しなかった様子を精(くわ)しく書いておいたものだった。自分の生活の断片を知る足しになると思ったのだ。

 

 手紙を書き終えた謙作は、しばし、ぼんやり外を眺める。「書院窓」からみえる光景が、カメラが移動していくかのように描かれる。視線は、土塀から石垣、路、金剛院へと移る。そうした「部分」を包みこむ「霧」が後から描かれ、視線は「大きな萱屋根」へと上昇する。映画なら、カメラをわざわざ移動して撮影することなく、ワンシーンで描くだろうが、この細かい移動は、やはり小説ならではのものだ。もちろん、映画でも、こうした移動撮影は可能だが、そんなことをすると、やけに大げさで何かそこに意味があるのかと勘ぐられてしまうだろう。

 謙作は「書き足りない」ような気がする。自分の気持ちは丁寧に書いた。直子への思いもちゃんと書いた。でも、この手紙を書くに至った自分の心境というか、状況というか、そういうことを書いていないので、直子にとっては「寝耳に水」の手紙と思われるんじゃないだろうかと「不安」になったというのだ。

 そんなことはないだろうとは思う。直子にしてみれば、待ちに待った手紙だ。びっくりはするだろうけど、「急に自家が恋しくなり、発作的にこんな手紙を書いたと」と直子が思うとは思えないが、そう思ったとしたら何が不都合なのだろうか。それは、恐らく、自分が「発作的」に、あらぬことを口走っているかのようの思われたら困るということだろう。自分は考えに考えた末にこういう心境に至ったのだということを、正確に直子に伝えたいのだろう。自分は、「発作的」にこんなことを考えたのではなく、自分は落ち着いているのだ。冷静なのだ。それを分かってほしい。そう思ったのだろう。

 だから、ハエトリグモのことを書いた断片を同封したのだ。それにしても、ハエトリグモの観察の文章が、「自分の生活の断片を知る足しになると思った」というのはおもしろい。「ハエトリグモの失敗」の描写が「自分の生活の断片」なのだということは、この頃の謙作にとって、「小さな自然」がいかに重要な意味をもっていたかを示唆しているといえるだろう。これはあの『城の崎にて』とつながっている志賀文学の「芯」のようなものだ。

 そういえば、しばらく読み返していないが、尾崎一雄の『虫のいろいろ』という短編も、こうした「自分の生活の断片」を記したものだ。志賀よりも、もっと即物的だったような気がするけど。


 彼は買置きの煙草が断(き)れたので、それを買いかたがた、今の手紙を出しに河原を越し、鳥居の所まで行った。霧で湿ったバットをよく買わされるので、新しい函を開けさせ、その一つを吸って見てからいくつか買い、また同じ道を引還(ひきかえ)して来た。何となく、睛々した気持になっていた。彼は自分の部屋の窓から余分の煙草を擲込(なげこ)んで、今度は今行った方向とは反対の方へ出かけた。杉の葉の大きな塊が水気を含んで、重く、下を向いていくつも下がっている。彼はその下を行った。間からもれて来る陽が、濡れた下草の所々に色々な形を作って、それが眼に眩(まぶ)しかった。山の臭(にお)いが、いい気持だった。

 


 タバコを買うついでに、手紙を出しに外へ出る。こんな単純で、当たり前なことが、現代では失われつつある。タバコは買わない、手紙は出さない。たとえタバコを買いがてら手紙を出しに出かけたることがあっても、こんな豊かな自然は、ない。まあ、100年も前の話なのだから、そんなことを言っても詮無きことだけど、でも、現代のぼくらが、生活の大切なディテールを喪失していることは確かで、それは不幸なことだと思う。しかし現代には現代の「生活のディテール」はきっとあるのだろう。でもそれは、ジイサンには分からないことだ。それはそれで仕方がない。

 「バット」(念のために書いておくがこれはタバコの銘柄です。)一つ買うにも、いつも湿ってるから、函を明けさせて確かめてから買う、なんてことはそうはできないにしても(謙作の傲岸不遜ともいえる態度が垣間見える。それは一種の階級意識からくるものだろう。)、そこには自動販売機で買うことからは生まれない、人情の機微のようなもの、感情の揺らぎのようなものが、ある。

 その後の、杉の下を歩いていく描写の素晴らしさ。書き写していても、うっとりとしてしまう。その緻密な描写のあとにくる、「山の臭いが、いい気持だった。」という小学生のような素朴で直接な言葉は、ぼくらの心をさっと明るくし、解放する。


 路傍(みちばた)に山水(やまみず)を引いた手洗石(てあらいいし)があり、其所だけ路幅が広くなっている所で、竹さんが仕事をしていた。枝を拡げた大きな水楢(みずなら)がその辺一帯を被(おお)い、その葉越しの光りが、柔かく美しかった。竹さんは短く切った水楢の幹から折板(へぎ)を作っている。既に出来た分が傍(わき)に山と積んであった。彼を見ると、竹さんは軽いお辞儀をした。

 

 「竹さん」の登場である。やっぱりこの人は重要人物なのだ。

 「水楢」がさりげなく登場するが、スギや、ヤマザクラなんかと違って、この類いの木はみんな似ていて、「ミズナラ」「コナラ」「イヌシデ」「アカシデ」など、そんなに簡単に識別できるものではない。現代人は、よほどの趣味がないと、下手をするとイチョウだって識別できないだろう。

 こういうところは、昔の文学者の知識というのはなかなかすごくて、謙作は一目で「ミズナラ」だと分かるわけである。ということは、志賀も知っているということだ。

 ミズナラの「葉越しの光」、つまりは「木洩れ日」が「柔らかく美しかった」というのは、それを見たものにしか伝わらない。こうした光を「木洩れ日」と名づけたのは誰だったのだろう。

 「日本国語大辞典」によれば、最古の用例は「「杉の木の間ものおもふわが顔のまへ木漏日(コモレビ)のかげに坐りたる犬」という若山牧水の歌(1911)だから、古語にはないようだ。国木田独歩の『武蔵野』とか、二葉亭四迷の『あひびき』あたりに出てきそうな言葉だが、出でこない。堀辰雄の『風立ちぬ』には、一例だけあった。ちなみに、英語にも中国語にも、「木洩れ日」にあたる特別な言い回しはないようだ。中国人の水墨画の師匠、姚先生にも伺ったら、そういう言葉もないし、そういう現象に注目もしないとのことだった。

 で、この「折板(へぎ)」とは何だろう。辞書には、「杉または檜(ひのき)の材を薄くはいで作った板。」(日本国語大辞典)とあるが、これを何に使うかというと、この後の二人の会話で詳細に語られる。


「そんなに要(い)るのかね」
「どうして、この三倍位は要るんですよ」
「材料から拵(こしら)えてかかるのだから大変だな」謙作は其所に転がしてある、幹の一つに腰を下ろした。「第一こんな立派な木を無闇と伐(き)ってしまうのは勿体ない話じゃないか。やはりこの辺にある奴を伐るのかね」
「まあ、なるべく人の行かないような所から伐って来るんです」
「それにしても、そう木の多い山ではないから惜しいものだね」
「水屋の屋根にする位、知れたもんですよ」
竹さんはよく桶屋が使っている、折れた刀の両端に柄をつけたような刃物を、傍に置くと、カーキー色の古い乗馬ズボンのポケットからバットを出して吸い始めた。
「こんな大木を伐るのは、自分でやるのかしら」
「これは本職でないと駄目だね。本職の木挽(こびき)が挽(ひ)いて、持って来てくれるんです」
「そうだろうね」
「それはそうと、山へはいつ登ります?」
「僕はいつでもいいよ。竹さんの都合のいい時でいい」
「実は明日の晩、一卜組案内を頼まれているんだがね。学生四、五人という話で、それと一緒にどうです?」
「うん、いいよ」
「中学生なんか、かえって、無邪気でいいでしょう」
「そうだ」
 濡れて、苔の一杯についた手洗石のふちに何か分らない、見馴れない虫がウヨウヨ這廻っている。桜にいる毛虫より小さく、黒い地肌の見える、毛の少い奴で、何千だか何万だか、重なり合って、脈を打っている。群をなしているのが堪らなかった。虫もこういうのに会っては興醒(きょうざめ)だと思った。
「やはり毛虫の類かね」
「昨日は一疋もいなかったが、今日急に出て来たね」
「普通の奴とは大分(だいぶん)異(ちが)うが、やはり、毛虫の類だろうな」
「……寺を十二時に出て、ゆっくり登って、頂上で御来迎(ごらいこう)を拝む事になるんだが、月があると楽なんだが、この頃は宵のうちに入ってしまうね」
「そうかな。月がないとすると提灯をつけて行くのか」
「晴れてさえいれば星明りで充分ですよ。登り出せば木がないからね。もっともその用意だけはして行くが」
「少し昼寝をしておかないと弱りそうだが、そいつが出来ないんで困る」
「夜、早く寝ておけばいい。いい頃に行って、私が起して上げましょう」
「そのまた、早寝も習慣で出来ないんだ」
「そりゃあ、困ったね」と竹さんは笑い出した。
 竹さんは煙草を喫いおわると、足で踏消し、また仕事にかかった。謙作はいつも行く阿弥陀堂の方を廻って帰って来た。

 


 この「折板」は、「水屋」の屋根に使うのだと分かる。「水屋」には、いろいろ意味があるが、ここでは「社寺の前にあって参詣人が手や口をすすぎ清めるための手水(ちようず)鉢を備えた吹放ちの建物。」(平凡社・世界大百科事典)の意味。「竹さん」は、寺の仕事をしているので、こういう仕事もあるのだろう。

 この場面での物語進行上の大事なことは、山へは、明日の晩に行く事にきまったということだけなのだが、竹さんの仕事の細かい内容とか、突然現れた毛虫のこととか、ずいぶん余計なことが書き込まれている。この「余計なこと」が、小説の細部として、よく生きている。それがなくちゃ困るという情報ではないが、小説は、情報ではないのだ。

 月がなければ、真っ暗だけど、それでも「星明かりで充分」というのは、「情報」としてではなくて、「情景」として美しい。月明かりで、真夜中の林道を歩いた経験は忘れがたいが、星明かりで歩いたという経験はついぞない。残念なことだ。

 竹さんには、謙作の「不眠」が理解できない。「そりゃあ、困ったね」と笑う竹さんには、近代知識人の悩みは無縁なのである。それだけに、爽やかだ。

 

 

 


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日本近代文学の森へ 281 志賀直哉『暗夜行路』 168 謙作の手紙 「後篇第四 十六」 その2

2025-05-17 09:05:44 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 281 志賀直哉『暗夜行路』 168 謙作の手紙 「後篇第四 十六」 その2

2025.5.17


 

 謙作は、こんな手紙を直子に書いた。

 

 「皆御無事か、御無事の事と思っている。手紙出さぬようにいったが、急に出したくなって出す。私は旅へ出て大変元気になり、落ちついている。お前に話したかどうか忘れたが、数年来自分にこぴりついていた、想い上った考が、こういう事で気持よく溶け始めた感がある。尾道に一人いた頃そういう考で独り無闇に苛々(いらいら)したが、今は丁度その反対だ。この気分本統に自分のものになれば、自分ももう他人に対し、自分に対し危険人物ではないという自信が持てる。とにかく謙遜な気持から来る喜び(対人的な意味ではないが)を感ずるようになった。今思えばこれは旅に出る時から漠然望んでいたもので、思いがけなく来た変化ではないが、案外早く、自然にその気持に入れた事を大変嬉しく感じている。お前に対しても今までの自分はあれで仕方がなかった。後悔してもお互に始まらない事だ。しかしこれからはお互に安心したい。お前も二人の間に決して不安を感じてもらいたくない。一人で山にいて遠く自家(うち)の事を考えると、この気持は一層強い。これからも私は怒り、お前を困らす事もあるだろうが、それにはもう何の根もない事を信じてもらいたい。そんな事は決してないつもりだが、山を下りるとまた元の杢阿弥(もくあみ)になるようではつまらない。私はこの気持をもっと確(しっか)り掴(つか)み、本物にしてお前の所へ還(かえ)るつもりだ。それもそう長い事ではない。
 赤ちゃんの事は時々憶出(おもいだ)している。病気させぬよう充分注意。この寺にも《うち》のより半年早生れの赤坊(あかんぼ)いるが、乱暴な育て方をしている。医者も薬屋もない山だから、ひと事ながら心配な事もある。
 此所(ここ)の飯の不味(まず)い事、大閉口(おおへいこう)。炊き方が悪いのではなく、米自体が悪いのだ。こんな経験初めてだ。
 手紙来ていたら送るよう。信(のぶ)さんから便りあるか。お栄さんには尾道の時とは大異(おおちが)い故、御心配無用といってもらいたい。お前も身体(からだ)を気をつけるよう。私も身体は元気だが、食いもの悪く、知らず知らず減食する結果となり、少し瘠(や)せたようだ。しかし何も食物は送らぬよう」

 


 謙作は、今の心境は、尾道で過ごしたころの「丁度その反対」だと言っている。謙作が、突然尾道に行ったのは、愛子との結婚話が破談となり、挙げ句、お栄と結婚したいと思うようになっていく自分の「性欲」を持て余し、旅に出て頭を冷やしたいといった動機からでもあったのだが、その尾道で、謙作は兄信行から「衝撃的」な事実を手紙で知らされる。

 それは、自分の出生の秘密で、謙作は、母と祖父(父の父)との間に生まれた不義の子だったというのだ。これがどれほど衝撃的であったかは、想像もつかない。それでも、謙作は、頑張ったのだ。頑張った、というのも変な言い方だが、そういうしかない。そのことで、自分を見失い、またもとの放蕩の生活に溺れてしまっても仕方のないくらいの衝撃だったはずだ。でも、頑張ったのだ。しっかりと己を持したのだ。

 その思いを、謙作は、「数年来自分にこびりついていた、想い上った考」と言っているのだが、どこが「想い上がっ」っているというのだろうか。普通なら、むしろ「卑屈になった」はずだろう。しかし、自分の出自が「恥ずべき」ものであったと知った謙作は、卑屈になったり、絶望したりするのではなく、むしろ、「強い自我」を持とうとした。この運命に絶対にオレは負けないと心に決めたのだ。だからこそ、「頑張った」といえるのだ。けれども、そのために、謙作はあまりにも自己中心的になってしまった。謙作にとっては「自分」だけが、興味の中心だったし、その「自分」がいかにしてまっとうに生きていくかだけを考えていたのだと言っていい。そのためには、何が何でも「強い自分」でなければならなかったのだ。

 そういう謙作は、直子の過ちを知っても、直子に対して暴力を振るったり、わめいたり、罵ったりはしなかった。「許す」といって、あとは、全部自分の問題なのだから、お前は口を出すなと言い放った。あり得ないような不義密通によって生まれた自分が、やっとのことで乗り越えてきた人生なのに、今度はまた、その不義密通によって自分を台無しにしたくなかった。心のなかで、「許せない」とどんなに思っても、「許す」と「言う」ことが、謙作にとってはギリギリの線だったのだ。

 もちろん、謙作の感情がそれでスッキリするわけではなく、直子を駅のホームに突き落とすという「暴挙」をしてしまう謙作だったが、それでもなお謙作は、どうしたら、本当に直子を許すことができるのだろうかを切実に考えたのだ。しかし、いくら考えても、分からない。自分の感情をどう始末していいか分からない。考えて分かることではなかったのだ。
だからこそ、謙作は、また旅に出た。それが今回の大山行きだったのだ。

 

此所(ここ)へ来た事は色々な意味で、大変よかった。毎日読んだり、何かしら書いたりしている。雨さえ降らねば、よく近くの山や森や河原などへ散歩に出かける。私はこの山に来て小鳥や虫や木や草や水や石や、色々なものを観ている。一人で叮嚀(ていねい)に見ると、これまでそれらに就いて気がつかず、考えなかった事まで考える。そして今までなかった世界が自分に展(ひら)けた喜びを感じている。

 

 手紙の中のこの部分は非常に重要だ。今まで、謙作は自然を見なかったわけではない。小説としても、随所に美しい自然描写がある。しかし、それらの「自然」は、謙作の心を根本的に変えるものではなかった。謙作の心に直接訴えかけてくるものではなかった。いわば「外側の自然」に過ぎなかったのだ。

 しかし、ここへきて、謙作は「小鳥や虫や木や草や水や石や、色々なもの」を「一人で叮嚀に見る」と、「それらに就いて気がつかず、考えなかった事まで考える」ようになったというのだ。「自然」はもはや謙作の「外部」にあって、観賞の対象ではなく、謙作に「気づかず、考えなかった事」を考えさせるものとなっている。それが具体的にはどのようなことなのかは分からない。しかし、謙作が今まで考えてきたことは、すべて、「自分」および、その「自分」に関わってくる人間のことだった。「自分を中心とした人間関係」だけが、謙作の生活のすべてだったのだ。「自然」は、そこからの解放を意味するようになった。

 だから謙作は言うのだ。「今までなかった世界が自分に展(ひら)けた喜びを感じている。」と。つまり、謙作は、やっと「自分」から一歩抜け出すきっかけを与えられたのだといっていい。

 「自分」が直子を「許す」と言っても、「許さない」と言っても、事態は変わりはしない。「許す」といっても、直子は信じないだろう。「許さない」と言ってしまえば、直子は離れていくしかない。かといって、直子がほんとうに謙作から「許された」と感じるように謙作が行動することもまたできない。どこまでいっても堂々巡りなのだ。

 もう、そんなことはどうでもよろしい。自分の感情をどのように言語化しても、感情は変わらない。それなら、「自分」という存在を、新しく捉え直すしかない。

 

お前に対しても今までの自分はあれで仕方がなかった。後悔してもお互に始まらない事だ。しかしこれからはお互に安心したい。お前も二人の間に決して不安を感じてもらいたくない。

 

 「今までの自分はあれで仕方がなかった」というのは、あまりに無責任ではないかという見方もあるだろうが、今までの謙作だったら、「今までの自分」をそんなに簡単に「あれで仕方がなかった」とは言えなかっただろう。そんなに「自分」に甘くなれなかっただろう。とことん反省して、「あれではダメだったのだ」と思うのが謙作だったはずだ。謙作だけに限らない。読者としても、そんなに甘いことは謙作に言えない。口では「許す」なんて言っていながら、直子をホームに突き落とすなどというとんでもないことをしでかした謙作は、度しがたい男にしか見えない。

 けれども、その「度しがたさ」を含めて、謙作は「自分」を素直に認め、受け入れるのだ。


そしてお前には色々な意味で本統に安心してもらいたい。実際これまでの事も馬鹿馬鹿しいという事はよく知っているのだが、病気のように一卜通りの経過をとらねば駄目なものだ。今の私は本統にその経過をとり終った。もう何の心配の種もない。

 

 謙作は、直子との間にあった一連の経緯が、「馬鹿馬鹿しい」としながらも、「病気のように一卜通(ひととお)りの経過をとらねば駄目なものだ」という。どんなに度しがたくても、馬鹿馬鹿しくても、それは「病気の経過」であって、どうしても通らねばならない道だったのだ。「病気」であれば、「一通りの経過」をとれば、治るはずだ。辛いけれど、その「経過」を耐えねばならない。自分はそれに耐えた。おそらく直子も耐えたのだろう。だから「もう何の心配の種もない。」と断言できるのだ。

 単純な感想だが、スゴイなあと思ってしまう。謙作という男は、自分勝手なエゴイストで、いつでも感情に左右されて、自分の「気分」だけで物事を判断し、他人のことなんかちっとも考えないワガママ男とも言えるのだが、そういう「自分」を否定せず、かといって安易に肯定もせず、いやむしろ常に「自分」を批判しつつ、それでも、真っ直ぐに生きてきた。肝の据わった人間である。

 

 

 


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日本近代文学の森へ 280 志賀直哉『暗夜行路』 167 「不憫」と「不愉快」 「後篇第四 十六」 その1

2025-04-23 09:40:39 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 280 志賀直哉『暗夜行路』 167 「不憫」と「不愉快」 「後篇第四 十六」 その1

2025.4.23


 

 旅の出がけに謙作は、手紙は待たぬように、便がなければ無事と思っていていい、といい置いて来た。そしている所を知らせなかったから、直子からの便もなかったわけだが、今日お由から竹さんの話を聴くと、急に手紙を書く気になった。出発前と同じ自分を直子に考えさせておく事が可哀そうになり、かつ、それはよくないことに思われて来た。
 悲し気な眼つきをしながら、子供のように首を傾け、「本統に、もう僻まなくていいのね」という直子の姿を憶い、彼は不憫にもなるが、不愉快な気持にもなる。直子はどうしても完全に赦されたという自信が持てない。たとえ赦されても自分だけは赦されたと思ってはならぬと思っている。赦されたと安心すれば、その時、不意に謙作から平手で顔を叩かれるような事が起ると思っている。これは謙作の寛大になりきれない気持が直子にそう思わせるので、謙作自身にとってはこの意識は苦しかった。直子がつい犯した過失に対し、それほど執拗に拘泥するのはつまらない、そのため、更に二人が不幸になるのは馬鹿気ている。しかしそう思うのは功利的な気持も含まれていて、謙作自身としては愉快でなかった。また直子からいえば、それでは本統に安心する事が出来ないのだ。しかし腹から寛大になれないなら、せめて、これより仕方がないではないかと、謙作は腹立たしく思うのだ。そして、こういう自分の気持を純化するのが、この旅の目的だったが、幸にも、それが案外に早く彼に来たのだ。

 


 「便がなければ無事と思っていていい」とはよく言われることだが、夫が長期に、それも勝手に家を出ていったわけだから、そんなことは全然あてはまらない。待っている直子からすれば、「便がない」ということが、「無事の証拠」と思えるわけがない。むしろ、あれやこれやとよくないことばかり考えてしまう。それが人間というものだろう。

 それなのに、謙作は、そんな常套句を盾にして手紙を書かない。なんでそんなに意地になっているかのように、頑とし書かないのか、理解に苦しむところだ。その上、自分の居場所も教えてないとは、まったく呆れる他はない。なんて身勝手な男なのだろう。
それが、今度は、「今日お由から竹さんの話を聴くと、急に手紙を書く気になった。」という。竹さんのほとんどマゾヒスティックな生き方に衝撃を受けてのことのようだが、その心境の変化が分かりにくい。

 オレは竹さんのような人間じゃないぞ、オレはちゃんとした「自分」を持って生きているんだ。しかし、このままでは、「竹さんレベル」になっちゃう、ということなんだろうか。そしてこう続ける。「悲し気な眼つきをしながら、子供のように首を傾け、「本統に、もう僻まなくていいのね」という直子の姿を憶い、彼は不憫にもなるが、不愉快な気持にもなる。」

 不憫になるのは、当然だろう。かわいそすぎるもの。しかし、そういう「不憫な」直子を思うと「不愉快にもなる」というのだ。「不愉快」! 最後までこの「不愉快」が出てくるのだ。
いったい何がそんなに「不愉快」なのか。

 一つには、自分が赦しているのに直子がそれを信じ切れない。信じ切れないのは、直子が悪いのではなくて、自分が「寛大になりきれない気持」を持っているからだ、ということはすぐに分かる。しかし、その中に、「赦されたと安心すれば、その時、不意に謙作から平手で顔を叩かれるような事が起ると思っている。」ということが入っている。

 どうして直子がそんなふうに思うと謙作は考えるのか。どうして、直子が「赦されたと安心」すると、謙作が直子をひっぱたくというような事態が予想されるのか。ここは、複雑である。直子がそう想像するだろうと謙作が思っていると書かれているが、実際には、直子はそこまでは予想はしていないだろう。けれども、謙作は、「赦されたと思って安心している直子」に、突然怒りを感じるかもしれないと思っているのだ。それが直子の気持ちへ反映しているのだろう。

 ここで思い出すのは、前編に出てきた「栄花」と「蝮のお政」の「罪」の話だ。そこで問題となっていたのは、一度罪を犯した人間が、どんなに懺悔したって、そこに「偽善」に匂いは免れない。結局、罪を犯した人間は、その罪を背負ったまま生きていくしかないのだという謙作の感じ方だった。

 「蝮のお政」は、自分の犯した罪を懺悔する芝居を全国を回って演じているのだが、謙作は、その芝居に感心しない。その芝居を演じることでお政が救われているとは思えない。芝居の中にも「偽善」を意識して、苦しい思いをしているだろう。それなら、むしろ罪を犯している時の心の躍動のほうが、彼女にとっては幸せだったのではないか、そんなことを思ったりしていたわけである。

 その、「罪の赦し」の問題が、その後の謙作の心の中にずっと流れているのだ。だからこそ「赦されたと安心」している直子を、謙作は単純には喜べないのである。ひっぱたきたくなるのである。直子が、単純に晴れ晴れした気分で安心して暮らすということは、現実にはなかなか難しい。だから謙作がひっぱたきたくなるような顔を直子はしたくてもできないだろう。それにも関わらず、謙作はそんなふうに想像する。どうしても想像してしまうのだ。

 謙作が寛大になりきれない、というのは、むしろ当然である。言葉では「赦す」といいながら、心の中では決して完全には「赦してはいない」というのは、人間として当然なのだ。だから直子はそんな「完全な赦し」を謙作に求めてはいないだろうし、自分の「罪」を背負って生きていくしかないと思っているに違いないのだ。ただ、自分が納得できる「赦し方」を謙作にしてもらいたいだけなのだ。理屈をあれこれ並べて、「赦す」と言うのではなく、感情を爆発させて怒りまくっても、その上で、泣きながらでも「それでも、オレはお前を赦す」と言ってほしいのだ。

 謙作が、なかば自暴自棄になって、もうこれしか仕方がないだろうと思った結論というのは、論理的でありつつも、やけっぱちのような気分でもあったわけで、そこに至ってはじめて謙作は、手紙を書きたくなったわけである。謙作は、直子のことを「不憫だ」と思った感情を大事にして、自分の「不愉快」は自分こととして胸にしまって生きていかねばと思ったのだ。

 謙作は、ようやくここへたどり着いたわけだ。自分の気持ちが「不愉快」だろうと「功利的」だろうと、「腹から寛大になれないなら、せめて、これより仕方がないではないか」というのが結論である。それは「腹立たしさ」を伴うけれど、やっぱり「これより仕方がない」のだ。そう思ったとき、謙作の心は「純化」されたということなのだろう。

 この「純化」は、自分の「不愉快」が消失したということではなくて、「不愉快」を超越したということだろう。謙作は、今まで、なんとかして「不愉快」という感情を自分の中から追い出したかったのだろうが、謙作にとっては「不愉快」こそが、自分自身である証だったのだ。「不愉快」こそが、善悪の判断基準だったし、生きて行く上での絶対的な「砦」だったのだ。だから「不愉快」の消失は自我の消失を意味する。それは謙作にはできないことだった。しかし、「不憫」という相手に対する感情によって、その「不愉快」を乗り越えることができそうだ、そう謙作はようやく悟ったといえるだろう。

 思えば、竹さんこそは、その生き方の体現者だった。妻の放蕩三昧が、竹さんにとって「不愉快」でないはずはない。それがもし「愉快」だというのなら、謙作のいう「変態」以外の何ものでもないだろう。けれども、竹さんは、悩んでいる以上、「不愉快」なのだ。その「不愉快」を心にしまいこんで、表面上はごく普通に生活している。そんな心のうちを決して人に悟られない。そういう生き方もあるのだと謙作は気づいたのだ。自分の中の「不愉快」を後生大事に守り続け、守り続けることだけが、正しい生き方だと知らず知らず思い込んでいた謙作にとっては、竹さんとの出会いは、大きな意味を持っていたわけである。

 


 

このブログ記事を掲載している「goo blog」は、2025年11月18日をもってサービス終了とのことです。

この「暗夜行路」の連載は、あと10回以内で完結する予定ですので、このまま、この「goo blog」に掲載いたします。

ちなみに「寂然法門百首」のシリーズもあと9回を残すのみですので、まもなく完結の予定です。

それ以後は、別のブログサービスに引っ越しをするつもりですが、そちらは、あくまで「アーカイブ」として、残し

そちらでの更新はしないつもりです。

「木洩れ日抄」などのエッセイは、今後は、1997年に私が始めた「Yoz Home Page」に掲載していこうと思っております。

「Yoz Home Page」は、今までは、主にブログのアーカイブとして使用してきましたが、今後はこちらが、メインとなります。

フェイスブックの方は、今までどおり使っていきますので、どうぞよろしくお願い致します。

 

 


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日本近代文学の森へ 279 志賀直哉『暗夜行路』 166 「信じる」ということ 「後篇第四 十五」 その2

2025-04-12 14:16:33 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 279 志賀直哉『暗夜行路』 166 「信じる」ということ 「後篇第四 十五」 その2

2025.4.12


 

 謙作は、昨晩、お由が天理教の創始者のような「生神様」になる夢を見たとお由に語った。すると、お由は、竹さんの父親が天理教にのめり込み、竹さんが子どものころに家をつぶしたこと、それでも竹さんは、「感心な人」で、「村でもあの人は別ものらしいです。」という。謙作が、「何所か老成したような所がある。それだけに若々しい所も少いが」と言うと、お由は、「お父さんに家をつぶされたのは竹さんが子供の時ですからね、それだけでも大変なのに近頃また、人にもいえない苦労があるらしい噂です」と言う。

 朝食のときに、お由は、その竹さんの苦労を話しだす。印象的なエピソードである。

 

 「へえ、そんな人なのかな。──それはそうと、昨日から手伝に来てるんですか?」
 「いいえ。お母さん、頼まんかったらしいです」
 彼が朝飯の膳についた時、お由は竹さんの人にもいえない苦労というのを話した。
 竹さんには三つ年上のまだ子供を産まない嫁がある。生来の淫婦で、竹さん以前にも、以後にも、また現在にも一人ならず、情夫というような男を持っている女だった。そして竹さんは亭主と呼ばれるだけの相違で、事実は何人かの一人に過ぎなかった。それを承知で結婚した竹さんではあるが、やはりそのため大分苦しんだ。人からは別れろといわれ、自分でも幾度かそれを考えた。しかし竹さんには何故か、この女を念(おも)い断(き)る事が出来なかった。意気地がないからだ、そう思い、また実際それに違いないが、竹さんはどうしてもこの女を憎めなかった。
 絶えず面倒な事が起った。それは竹さんを入れたいわゆる三角関係ではなく、竹さんを除いたそういう関係で、面倒が絶えなかったのである。竹さんは女の不身持よりもこの面倒を見る事に堪えられなくなった。さりとてきっぱり別れようとはしなかった。
 「それはお話にならんですわ。男が来て嫁さんと奥の間にいる間、竹さんは台所で御飯拵えから汚れ物の洗濯までするというのですから。時には嫁さんに呼びつけられ、酒買いの走り使いまでするというのですから」
 「少し変ってるな。それで竹さんが腹を立てなければ、よっぽどの聖人か、変態だな。一種の変態としか考えられない」
 謙作は竹さんを想い浮べ、そういう人らしい面影を探して見たが、分らなかった。しかし彼にもそういう変態的な気持は想像出来ない事はなかった。
 「竹さん自身はどういってるんです」
 「自家(うち)のお母さんなどには何か愚痴をいってるらしいです」
 「うむ」
 「もう諦めてるんでしょう」
 「諦められるかな」
 「どうせ、そういう嫁さんらしいです。で、それは諦めても狭い土地の事で、人のロがうるさいから、一つはそれで山に来ているらしいんです」
 「苦労した人と聴けばそんな所も見えるけど、現在そういう事がある人とはとても考えられませんね。よく松江節を唄いながら木を割っているが、そんな時の様子が如何にも屈託なさそうで羨しい気がした」
 「時々は沈んでいる事もありますわ」
 「そう。それが本統だろうけど、あの人の顔を見て、そんな事があろうとは全く想像出来なかった」
 「誰だって」お由は急に笑い出した。「顔だけ見て、その人が間男をされているかどうかは、分らんでしょうが」
 「そうだ。それは正にそうだ」謙作も一緒に笑った。
 「其所で私の顔を見て、あなたはどう思う。そういう事があると思うか、どうですか」
 「ハハハハハハ」

 


 謙作は竹さんを「変態的」だと突き放して見ているが、その一方で、「しかし彼にもそういう変態的な気持は想像出来ない事はなかった。」と考える。どんなにひどい仕打ちにあっても、自分が多くの「情夫」の一人に過ぎないことを分かっていても、自分の家に「情夫」が上がり込んで奥の座敷で妻とむつみ合っていても、洗濯したり、洗い物をしたりしている──お由に言わせれば「お話にならん」状況でも、竹さんに「別れる」という選択肢はない。どうしても、この妻を思いきることができない。そんな男を身近には知らないが、それでも謙作は、そういう「変態的な」気持ちは、「想像出来ない事はなかった」という。

 今ではまず使われないが「淫婦」という言葉が、竹さんの妻に使われているが、『暗夜行路』には、この「淫婦」に属するような女が、初めのほうにたびたび登場する。「栄花」とか、「まむしのお政」とかいった女である。特に栄花は、彼女を登場人物にして謙作は小説を書こうと思ったりするのである。

 芸者遊びに浸っていたころの謙作にとっては、栄花は、淫蕩ではあっても、魅力的な女性だったわけで、竹さんの気持ちもそういう意味では、分からなくもないといったところだったのだろう。

 それにしても、謙作は、その話を聞いて、そうかあ、竹さんってそんな苦労を背負っているのかあ、とてもそんなふうには見えないなあと言うわけだが、田舎者のお由に笑われてしまう。「誰だって、顔だけ見て、その人が間男をされているかどうかは、分らんでしょうが」

 この言葉は、まさに庶民感覚といったもので、落語の「紙入れ」みたいなものだ。誰がどんなことをするかわかったもんじゃないというのは、普通に人間生活を送っている人間にとっては常識というか前提のようなものだ。謙作は、まさに「一本取られた」といった感じで、「そうだ。それは正にそうだ」と懸命に(と思える)笑ってごまかすが、どんなに人間心理の奥まで探っている文学者でも、庶民感覚にはかなわないということなのかもしれない。

 それなら、自分はどう見えているのか? 自分が、「間男」されたマヌケな男とこのお由に見えているだろうか。ふとそんなことを思って、お由に聞いてみるが、笑ってごまかされしまう。当たり前だが、わかりはしないのだ。

 こんな山奥で、松江節(註)なんかうたって、木を割っている平凡極まる男にも、一編の小説になりそうな「苦労話」がある。しかもその「苦労」たるや、自分の悩んでいる「苦労」など屁でもないほど深刻なものだ。謙作は、自分の悩みなど、微々たるものではないかと、この時、ふと思ったかもしれないが、謙作の思いは直子へと向かう。

 

 この時謙作はふと、留守を知ってまた要が衣笠村を訪ねていはしまいかという不安を感じ、胸を轟かした。しかし直子が再び過失を繰返すとは思えなかった。──思いたくなかった。そしてそう信じているつもりではあるが、それでもまだ何所かに腹からは信じきれない何か滓のようなものが残った。
 あの女は決して盗みをしない、これは素直に信じられても、あの女は決して不義を働かない、この方は信じても信じても何か滓のようなものが残った。女というものが弱く、そういう事では受身であるから、そう感ぜられるのか、それとも彼の境遇がそういう考え方をさせるのか分らなかった。が、とにかく、直子にはもうそういう事はあり得ない、彼は無理にも信じようとした。ただ、要の方だけはその時は後悔しても、若い独身者の事で自分の留守を知れば心にもなく、また訪ねたい誘惑にかられないとはいえない気がするのであった。お栄という女がもう少し確(しっか)りし、かつ賢い女ならとにかく、人がいいだけで、そんな事には余り頼りにならないのを彼は歯がゆく思った。

 

 
 相変わらず、直子を「許せる」かどうか、「信じることができる」かどうかというところにとどまっている。あくまでも、これは謙作自身の問題で、直子の側に立つことができないのだ。

 直子を信じても、信じても、「何か滓のようなもの」がどうして残るのか。その「滓」とは何なのか。「信じきれない」と言ってしまえばいいようなものだが、「滓」が残ると言う。そこにリアルがある。

 「信じる」とか「信じられない」とかいったことは、あくまで心の問題で、同時にそれは「言葉」の問題でもある。「信じる」と言い切ったところで、それで、本当に自分の心の中を説明し尽くしたことにはならないのだ。直子はもう絶対に過ちを犯さないと「信じる」と自分に言ってみても、自分の心の中にはその言葉では言い尽くせない「何か」が残る。かといってそれが「信じることができない」という言葉によって表されるわけでもない「何か」なのだ。

 ちょうどそれは、ビンの中の白ワインのようなもので、上澄みがきれいに澄んでいても、ビンの底に「滓のようなもの」が沈んでいて、ちょっとビンを揺らすと、その「滓のようなもの」がふわっと浮いてきて、ワインを濁らせてしまう。(そんな白ワインがあるかどうか知りません。あくまで比喩です。)

 謙作は、直子を「信じることができない」わけではない。けれども、彼の「信じる」は、常に不安定なのだ。その不安定さを「滓」という比喩が表現しているように思える。比喩というものは、言葉が掬い得ないものを指示することができる。「詩」が、比喩を多用するのも、そのためだろう。

 ところで、「女というものが弱く、そういう事では受身であるから、そう感ぜられるのか」といったくだりは、いまではアウトだろうけど、そういう「通念」がかつて(今も?)あったということは確かだ。また「独身者」に対する「偏見」も垣間見える。そして、ここでも「お栄」に対する不満が出てくる。「賢い女ならとにかく、人がいいだけ」というのも、あんまりだよね。

 「十五」は、これで終わる。


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【註】松江節について、ChatGPTに聞いてみたら、こんな回答が得られました。


「松江節(まつえぶし)」は、島根県松江市を中心に伝わる日本の伝統的な民謡の一つです。松江の地域文化や風情を表現しており、地元ではお祭りや踊りの際によく歌われたり踊られたりします。

以下のような特徴があります:

🎵 松江節の特徴
起源:江戸時代から伝わるとされ、武家文化や茶の湯文化が盛んな松江らしい、雅(みやび)な雰囲気を持つ節です。
歌詞:宍道湖の夕景や松江城、堀川など、松江の名所や自然の美しさを歌詞に取り入れたものが多いです。
踊り:松江踊り(松江おどり)という盆踊りのスタイルもあり、松江節に合わせて優雅に踊るのが特徴です。
行事での活用:松江水郷祭や観光イベントなどで披露され、地元の人々や観光客に親しまれています。

🎵 松江節の代表的な歌詞(一例)

松江名所は 城山さまよ
櫓(やぐら)太鼓に 月が出る
松江しぐれか 城山しぐれ
粋な殿さん 誰じゃいな


この歌詞は、松江城(別名:千鳥城)や、宍道湖に映る月、そしてしっとりと降る雨(松江しぐれ)など、松江の情緒あふれる風景を描いています。

 


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