プルサーマル計画を憂慮する有志の会

原発問題に関して投稿します。

福島県民世論調査

2014-03-04 11:12:05 | 日記
 原発事故から約3年が経過、福島県民への世論調査が行われ、県民の「意識」が浮き彫りになっています。(以下、引用・参照は『朝日新聞』

①福島第1原発の放射能汚染水問題への対応について
 「評価しない」が83%
*状況は段々悪くなっていますから、余りに酷過ぎる、評価のしようがないということではないでしょうか?

②除染作業について
 「大いに」、「ある程度評価する」が36%
 「あまり」、「全く評価しない」は62%

③人が住んでいる地域について、費用や時間がかかっても、政府目標の年間(被曝)放射線量1mSvmade除染する必要があるか?
 「必要がない」27%
 「必要がある」63%
 *たとえ追加被曝が年間1mSv以下だったとしても、50年で50mSv被曝することになります。特に小さな子どもさんを持つ親ならば(孫がいればおじいちゃん、おばあちゃんだって)、(効果に疑問の余地はあっても、それだけに)徹底した除染を望むのは当然だと思います。

④中間貯蔵施設に保存された放射性廃棄物が、30年以内に県外に移す約束が守られると思うか?
 「あまり」、「全く思わない」が87%
*これも、思えないのが当然だと思います。政府や政治家は(二枚舌を使わずに)正直に、最終処分場を福島に造らせて下さいと言うべきです。そして、帰ってはいけない汚染された場所に、住民を帰還させる「封じ込め」政策を止めて、移住先の住居や雇用など、再出発のために最大限の支援を行うべきだと思います。

⑤国民の間で、福島第1原発への関心が薄れ、風化しつつあると思うか?
 「風化しつつある」が77%
 *1年前より、「風化しつつあると思う」と感じている人が5%増えています。

⑥福島の復興に道筋は付いたか?
 「あまり」(60%)、「全く付いてない」(22%)で82%
 *福島県民のみならず、岩手や宮城などの被災者の方々の実感だと思います。

⑦東京オリンピック開催について
 「復興に弾みがつく」12%
 「後回しにされる」77%
 *後回しにされなくても、資材や人材が逼迫、高騰しますから、大いに「復興」が遅れることは免れないと思います。オリンピック開催は辞退して、復興に専念すべきだと思います。

⑧福島に住んでいることにストレスを感じているか?
 「大いに」(20%)、「ある程度感じている」(47%)の67%
 *昨年は75%でしたので、8%下がってはいますが、多数の方がストレスを感じているようです。心のケアが必要だと思います。物質的な支援も必要ですが、精神的な支援はもっと重要だと思います。

⑨放射性物質が家族や自分に与える影響について不安を感じるか?
 「大いに」(24%)、「ある程度感じている」(44%)で68%
 *歯医者でのレントゲン撮影ですら、コンクリートで造られたレントゲン室で、鉛のベストを着せられ、自分でカメラを押さえさせられて、看護婦さんは外に出てたった一人で撮影するほど、厳重な放射線の管理を行なっているのに、放射線を出し続ける放射性物質に「不安」すら感じないということの意味が、私には分かりません。

⑩福島県産の食べ物について抵抗を感じるか?
 「大いに」(8%)、「ある程度」(38%)で46%(1年前より6%アップ)
 「あまり」(30%)、「全く感じない」で54%(1年前より5%ダウン)
 *(上記に書いた理由で)私には以外な結果です。検知不可能(ND)な食物なら、自分は仕方ないと思えますが、子どもには与えたくない、買う時に躊躇したり、抵抗を感じてしまうのが親心(私の場合は爺心)だと思うのですが。抵抗は感じるけれど(現実的には)致し方ない、だから考えないようにしている、というのなら理解できるのですが。それでも、感じる人が増えて、感じない人は減ってきてはいます。

P.S. 「最近、試験操業で獲れた魚で、初めて基準値を超すセシウムが検出された」と新聞にありました。何処で獲れた魚なのか分かりませんが(初めてという意味も良く分からないのですが)、食の汚染状況が、たった3年で良くなるとは到底思えません。(これまでにも何回も書いていますが)意識している人としていない人では、追加被曝(特に内部被曝)に大きな隔たりが出ています。不安になるのではなく、(冷静に)親としてできる限り汚染のないものを選んでいくのは当然なことだと思います。その差は、必ず顕われてくると思うのです・・・

P.S.2 厚労省の調査によると、岩手、宮城、福島3県の子どもたち(198人)の34%(3人に1人)に、心的外傷後ストレス症候群(PTSD)の症状が見られたそうです。被災体験のない子どもたちの約9倍多かったそうです。症状には、辛い体験が蘇る「フラッシュ・バック」や被災体験の夢を繰り返し見る、(逆に)体験を思い出せない、ちょっとした物音に驚く、眠れないなどがあるそうです。「子どもは自分の状態を上手く説明できないため、(PTSD)が見逃されてしまうことが多い」とのことで、子どもたちへの精神的ケアが必要です。また、親にPTSDの症状がある子どもに症状が出た割合は、1.7倍になるそうで、子ども親ともに、ケアできる体制を是非作って戴きたいと思います。ちなみに、これら症状のある子どもは、「無表情」でいる時間が長い傾向があるとのことです・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年3月4日)

「アトムド・ピース」に利用された「第五福竜丸」被曝被害

2014-03-03 11:06:19 | 日記
 (某テレビ局の「報道特集」によると)水爆による(第五福竜丸乗組員の)被曝被害に対する「見舞金」と「アトムド・ピース」(「原子力の平和利用」)が表裏一体のものとして進められていた実態があったということです。(以下、要約しながらまとめてみたいと思います)

 1953年、アイゼン・ハワー大統領は「平和のための原子力」という演説で、「アトムド・ピース」(「原子力の平和利用」)を提唱しました。(これまでにも書いてきましたが)「核抑止」という名の「核威嚇」と「原子力の平和利用」という名の「核発電」は、正しく米国の核戦略においては「表裏一体」のものです。核で脅しつけながら、一方で原発をプレゼントすることによって「支配」を行なう「飴と鞭」政策です。

そうした中、1954年の水爆(「ブラボー」)実験が行なわれ、(一帯の島民は勿論)第五福竜丸をはじめとする多くの船舶の乗組員が被曝する「事件」が起こります。アイゼン・ハワー大統領は(原子力は危険だとの)「日本人の誤解を解くため」に「見舞金」という小さな小さな「キャンディー」を用意します。しかも大統領が「非公式に承認」したこの200万ドルの「見舞金」は、(極秘文書によると)「相互安全保障法」(MSA)に基づく、軍事支出でした。軍事費が実質的な賠償に支出されるなど異例のことだそうです。

しかもこの(1955年の)日本政府と米国政府による「200万ドル合意」(被曝事件の幕引き)と、原子力の平和利用の「二国間合意」は表裏一体のものとして進められたということです。被曝被害とその賠償が、原発をプレゼントすることで核による支配を実行しようとする米国に利用されたのです。日本政府もまた、(世界的な核戦略の)「大勢から乗り遅れる」とした中曽根氏や正力氏(読売新聞オーナー)らによって、その「プレゼント」を喜んで受け入れます。

 1956年には原子力博覧会が全国各地で行なわれます。(「弥彦丸」を含む多くの船舶の被曝事件は隠蔽され)「第五福竜丸事件」が皮肉にも原発の推進役となってしまったのです。ちなみに、米国が一番最初に博覧会の候補地に挙げたのが広島でした。原爆を投下した広島から始めることで、非人道的な原爆投下という「歴史的事実」をなきものとし、さらに「平和」な原発をプレゼントすることで日本と日本人の心を掌握する「心理作戦」だったのです。結果、日本はまんまとその戦略に乗り、福島第1原発事故という大敗戦を喫することになるのです。その犠牲の、如何に大きいことでしょう・・・

P.S.  「第五福竜丸事件」の乗組員だった大石さんは、この(米国は認めていませんが)被曝被害とその賠償が、原発のプレゼントと「表裏一体」だったことに、「酷い話」だと述べられていました。被害とその賠償まで「利用」される、それがこの世の習いというものなのでしょう・・・

P.S.2 「核なき世界」の実現を訴える式典が、ビキニ環礁首都のマジュロで開かれたそうです。クリストファー大統領は、「私たちは痛みを日常的に味わっている」と述べられています。また、マーシャル諸島から多くの島民が移住していいるアーカンソー州でも集会が開かれ、駐米大使のチャールズ氏は、「(クリントン政権時に解除された文書によって)核実験の影響の大きさや住民の病気と(被曝と)の因果関係が明らかになった」と述べた一方で、米国で核実験があったことすら知らない人が増えていることを指摘してます。60年経っても帰還できない島民、被曝による健康被害と「痛み」が癒えることはない現実が、風化(忘れられる)するのではなく、(自国民すら)知らない「現実」があるということのようです・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年3月3日)

水爆実験の60年後

2014-03-01 12:17:17 | 日記
 今日で水爆実験から60年目なのだそうです。米国は実験の際、世界の122ヶ所に「死の灰」の観測点を設けていました。水爆「ブラボー」実験はその破壊力と共に、放射能の与える影響を測る壮大な「人体実験」でもあったということだと思います。一方で米国政府は、日本が汚染されたマグロの放射能検査を止めるよう圧力を掛けています。さらに、米国政府は賠償責任を認めず、「200万ドルの金額を法律上の責任と関係なく、慰謝料として日本政府に提供する」との文書を日本政府と交わし、強引に幕引きを図りました。(以下、参照・引用は『朝日新聞』)

 米国は1954年3月から4月にかけて、ビキニ環礁で水爆実験を含む6回の核実験を実施しましたが、そのビキニ環礁一帯には、日本の船舶だけで実に1,000艘もの船がいました。その被曝船の一艘が「弥彦丸」です。(水爆実験の時は、北東約500キロの海上にいました)被曝後6人の乗組員が、放射性物質による「白血球減少症」の疑いがあるとして入院しています。そのお一人だった操舵手だった平さんは、被曝直後にめまいと吐き気で倒れ、その後も貧血や狭心症などで入退院を繰り返し、被曝から21年目に「被爆者健康手帳」の交付を求めていますが認められていません。当然ながら、「見舞金」すら受け取ることはできず他界されています。娘さんは「うやむやにされた気がしてならない」と話されています。

 また、操機長の三浦さんはリンパ節がん亡くなられていますが、(やはり)娘さんは「被曝を証明できていればちゃんと診てもらえた」と悔やんでいます。また、コックだった中島さんも胃癌で亡くなられていますが、(やはり)娘さんが、「記録がないと、がんになっても『原因不明』で終わる。追跡調査を続けなければ、将来何があっても『分からない』とされると語っています。被曝した船員を診察した岡山大学の6人の医師も、1960年に「・・・ビキニ水爆症の血液並びに骨髄所見について」という研究報告を出し、検査を続ける必要性を訴えています。

 しかしあらゆる被害に関して、国が被害の実態を調査することはありません。「太平洋核被災支援センター」事務局長の山下さんは、「国が調査をしなかったことで、60年たっても被害の全容が分からない。福島も追跡調査をしていくべきだ」と指摘されています。(初期被曝とその後の追加被曝の)被曝総量を確定し、その後の追跡調査で発症した疾病を調べ、さらに被曝した人(グループ)としなかった人(グループ)を比較して有意な差を見つける「疫学調査」を実施しなければ(膨大な時間と労力とお金が掛かりますが)、被曝と疾病との因果関係を証明する「手立て」はないのです・・・

P.S. 歯の表面のエナメル質は、放射線を照射されるとエナメル質の化学結合が変化するそうで、その変化した部分を分析すると被曝量が推定されるそうです。チェルノブイリ原発事故や旧ソ連最大の核実験場「セミパラチンクス」(カザフスタン)周辺の住民の被曝を調査するのに使われた手法とのことです。上記の山下さんは、広島大学の星教授らの研究チームに、「弥彦丸」の元乗組員の被曝量を調べるように依頼し、現在、歯や血液から被曝線量を推定する試みを始めたそうですが、星教授は、「何処まで解明にたどり着けるか分からない。それでも放って置けないのは 私自身、長い間、ビキニ被災に無関心だった悔いがあるから」だと述べられています。また、被曝量はある程度推定できても、60年も経てば、(追跡調査もなく、また)疫学調査のための対象者を十分確保することは困難です。放置され続けてきた被害の現実に、言うべき言葉がありません・・・

P.S.2 お釈迦様は、「自分を苦しめず、また他人を害しない言葉のみを語れ」(『スッタニパータ』)と仰っています。(高田明和さんの『ブッダのひと言』からの引用です)いつも暗い話ばかりで、私の書くもので、読者の方々の「気」が下がってしまっているのではないかと、いつも気になっています。実は私は最近、嬉しかったことや有り難いと思ったことを、些細なことでも出来るだけ見つけようと「努力」しています。そうすると、(今更ですが)有り難いことが意外と多いことに気づきました。真央ちゃんの演技に感動して泣かれた方が実に多いようなので、そうだろうなあと思いました。(彼女の存在だけで)実にありがたいのです。辛い現実、暗いニュースも沢山ありますが、ありがたいことも同じだけ「用意」されているように感じるのです・・・

P.S.3 (突然)話は変わりますが、春の陽気に誘われ、靴下を脱いで庭の土の上に「坐り」ました。結跏趺坐(パドマ・アーサナ)を組み黙想しました。陽射しが暖かく、足裏がひんやりした大気に触れて気持ちが良かったです。(ほんの5分ほどでしたが)少しだけ気が上がった「気」がしました。嬉しく思いました。読者の皆様、(真民先生ではありませんが)「下坐」(げざ)してみませんか? それでは、本日も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年3月1日)