プルサーマル計画を憂慮する有志の会

原発問題に関して投稿します。

 「原発事故関連死」

2014-03-06 10:53:17 | 日記
 東日本大震災後に、(避難時及び)避難生活において体調悪化や自殺など肉体的、精神的な要因で亡くなった方が岩手、宮城、福島の3県で2,973人認定されているそうです。(以下、引用・参照は『朝日新聞』)認定率が最も低い岩手では、審査が終了した730人中認定されたのは434人(認定率59,4%)、宮城では1,163人中879人(75,5%)、福島では2,000人中1,160人(83%)となっています。ちなみに、認定されると、世帯の家計を支えていた関連死亡者には500万円、それ以外の死亡者には250万円の災害弔慰金が支払われるとのことです。

 最も認定死亡者が多かった福島県では、地震や津波などによる死亡者(1、607人)を上回り、原発事故による避難による「原発事故関連死」と呼ばれているそうです。帰還の見通しが立たないストレスなどが、精神的にも肉体的にも大きな影響を及ぼしていると考えられています。また、「関連死」認定に関しては、津波や原発事故を想定した「認定基準」がなく、各自治体の判断に任せられており、「審査方法の違いで認定されるべき関連死が認定されないことや、地域で認定に差が出ること」が(日弁連)指摘されています。

 「原発事故関連死」は、避難生活による疲労や医療事情の悪化による衰弱、そして「生きているうちに今の避難先から出られないかもしれない」という不安によるストレスが専門家によって指摘されています。これ以上「関連死」を出さない為にも、またPTSDの予防、治療のためにも、仮設等で避難生活を強いられている人々への心身のケアが緊急の課題だと思います。実際、震災後には、都道府県などの「こころのケアチーム」が派遣されたそうですが、「活動内容がばらばらで、受け入れ自治体や別の医療チームとの連携不足」が指摘されており、「災害時の専門的な精神医療チームが必要」だとのことです。厚労省は「災害派遣精神医療チーム」の整備を進めているそうですが、一刻も早い対応をお願いしたいと思います・・・

P.S. 高齢者の方は外出が減少すると閉じこもりがちになって、(身体的に)虚弱化を招くそうです。食料品小売店や買い物バス停留所、移動販売までの自宅からの距離が800メートル以上あると、外出が少なくなる傾向が顕著なのだそうです。こうしたインフラやサービスへのアクセスに関しても、もっと細かな対応ができないものでしょうか?(引っ越すまで)坂道を登った先の仮設にほとんど部屋の中で暮らしていた女性(70歳)は、「先のことを考えると、部屋の中で不安な気持ちにな」り、「イライラしてふさぎ込んでしま」い。「精神的に不安定になった」と述懐されています。今はスーパーまで700メートルほどの仮設に移ることが出来、週に2回は買い物に出かけることができるようになったとのことです。(希望者も多いのでしょうが)車のない高齢者への配慮が必要だと思います・・・

P.S.2 やはり仮設に暮らす女性(72歳)は、震災後、持病のリューマチが悪化し着替えやトイレが困難になったそうです。腰も痛め、「ベッドなら楽に寝起きできるが、部屋が狭くて置けない」ので、役場に7度も陳情したけれど、「介護認定を受けるぐらいでないと、ベッドを理由に転居は出来ない」、「一人認めると希望者が殺到する恐れがある」と断られ続けています。彼女は何もわがままを言っているわけではありません。対応できないなら兎も角、対応できるのならば彼女の希望を叶える選択をすべきだと思います。希望者が多いということは、それだけニーズがあるわけですから、きちんと対応すべき事柄だということだと思うのです・・・

P.S.3 心の健康は一般的に、時の経過とともに回復するのだそうですが、被災地では逆に悪化している人が、(調査によると)この1年でやく8%増えたそうです。またこの心の「悪化要因」を見ると、経済的な暮らし向きが苦しい人は、普通の人の約1,8倍、また自分の健康状態が悪いと思っている人は約1,5倍、人との繋がりが薄い人は約1,4倍高いそうです。調査を行った岩手医科大の横山助教は、「所得の低い人は健康が悪化するリスクが高い。失業や離職で今も経済的に困窮している人には、メンタルヘルスの支援が必要」と指摘されています。(雇用情況が好転したとの理由で)「指針」を破り、「減収分」の賠償を来年2月で打ち切る東電の対応は、そうした避難者の生活と精神・肉体に対して、さらなる大きなダメージを与えそうです・・・

P.S. 仮設に暮らす(特に)高齢者の男性の多量飲酒が問題になっているそうです。アルコールによる肝炎で死亡された方もいます。この方も「原発事故関連死」だと(認定されないのでしょうが、私はそう)思います。若い世代や経済力のある人たちは仮設を出て、生活再建ができますが、残された高齢者ではコミュニティーを支えきれず、空洞化が進んでいるとのことです。特に男性は、「茶話会」にも参加しない方が多く、孤立傾向にあるようで、飲酒問題が見えにくくなっているとのことです。14年度から「ふくしま心のケアセンター」では、「特に一人暮らしで、中高年、無職の男性をどう支援してくかが課題」だと話されています。同副センター長は、「今多いのは鬱病の初期症状や疲労感でストレスから来るもの」だそうです。(本当に課題は山積ですが)やはり支援なしでは、「孤独死」という名の「関連死」が益々増え続けていくと思うのです・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年3月8日)

「グローバル・ギセイシャ」

2014-03-06 10:53:17 | 日記
 「グローバル・ヒバクシャ」という概念があるそうです。マーシャル諸島の被曝者を調査した明星大学の竹峰准教授らが提唱したもので、核の被害を広島や長崎の被爆者(被曝者)に限定せず、核実験場の周辺住民、ウラン鉱山の採掘作業員、核実験に携わった兵士、商業用の原発事故の被災者らを含めて考えるというものだそうです。その他にも、原発作業員や(アフガニスタンやイラクでの)劣化ウラン弾による被曝者も含まれると思います。核の「戦争」利用も「平和」利用も、多くの被曝者を生み出してきたのです。

 広島平和研究所のジェイコブズ准教授によると、こうした核による「被害地域は、政治(的)・経済的に力が弱い場所にあり、最低限の補償も得られずに孤立する共通点がある」と指摘しています。原発で言えば、過疎地や主な産業のない地域、そして被差別など、経済的にも政治的にも弱い立場の地域と人々に、危険や痛み、そして(健康)被害が押し付けられてきました。また、原発や核実験場だけでなく、基地や処分場も同様の地域に造られてきました。そうした世界的な「構造」があるということだと思います。

 ウラン採掘場だけでなく、あらゆる鉱物の採掘場やその下流地域の汚染による被害が出ています。木材伐採に伴う環境破壊と生活破壊で被害を受けている人々もいます。経済発展に伴う「公害」による被害も世界中の至るところで「犠牲者」がいます。(余りに犠牲者が多いのが)自動車事故による「犠牲者」です。(ツチ族とフツ族の抗争で)かつて100人の村が全滅したニュースに胸を痛めた方は多いと思いますが、年間100万人といえば、この100人村が10,000も毎年全滅していることになります。しかも、(同時に)100万人の利用者(運転者)が加害者(殺人者)となっているのです。私にとっては、この加害者も(同様に)「犠牲者」であると思います。

 こうした「グローバル・ギセイシャ」を生み出す政治的、軍事的、経済的「構造」が世界にはあって、その中で私たちは生きているということです。木材のみならず鉱物資源の世界有数の輸入国である日本は、当然ながらその「加害者」であり、同時に(アスベスト被害を見ても)世界で有数の「犠牲者」でもあります。犠牲者にも加害者にもなりたくありませんが、(この世界に生きている以上)それを免れる術がないのです。知らぬ間に「犠牲者」となり、或いは気づかぬうちに「加害者」となる社会(世界)の「構造」があるのです・・・

P.S. (上記の)ジェイコブズ准教授は、「繋がることが歴史を動かす力になる」、(被曝をはじめ様々な)被害の実態を若い世代が口述記録で収集し、共有することで、世界的な視点で課題と向き合う手がかりとなる、と述べられています。若い学生には、「まずは友達になることから始めてください」と。(私などは直ぐに悲観的な気持ちに陥ってしまうのですが)こうした取り組みがあるから、世界の「底」が辛うじて抜けずに済んでいるのだと思います。そうした「思い」があるから、何とか過酷なこの世界でも生きていけるかも知れません。(信じることが苦手な私ですが)そのような「絆」を(これからは)信じてみようと思います・・・

P.S.2 気になった被災者の方々の「声」です。
「除染でどこまで下がるのか・・・。遣り切れない。でもちゃんとやって欲しい。帰る気でいますから」
「新居を待ちながら亡くなった人もいる。だから工事が遅れているという話には耳を塞ぎたくなる」
「津波で全部流されて失ったものは大きいけれど、人との出会いや支援といった、目に見えない大きなものを頂いた。それが財産です」
「災害復興住宅は津波被害の場所に建つので入らない。除染も信用していない」
「除染作業が計画よりも遅れていて、帰る見通しが立たない。・・・原発がなければな、と思う。もういらないよ」
「大事に育てた牛はみんな手放したし、飯舘に戻っても何も出来ない。もう戻らない。『頑張れ』と言われてももう限界だけど、前向きにやっていくしかねえのかな」
「地域の繋がりが全部なくなってしまったことが寂しい」
「仮設の部屋は狭くて、家族の喧嘩も増えました」
「双葉の人間は殆どが農業をしていた。仮設には庭も何もない。・・・もう我慢できない。・・・帰りたいけど、帰れるなんて思っていない」
「部屋が狭くて、自分で体を動かさないと足腰が弱ってしまう。・・・早く帰れるなら帰りたい。でも、見通しが立たない」
「住宅兼診療所を建てているが、資材や人手が不足し、いつになるのやら。山間部での仮設暮らしが長引いて生活不活発病が増え、介護認定の申請も増えている」
「出産直後は助けてもらうばかりで『自分ってなんだろう』とふさぎ込みがちになり、体調を崩した。でも・・・今があるのは家族、地域の人、全国の人のお陰だと思うし、子どもにも伝えていきたい」

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年3月6日)