プルサーマル計画を憂慮する有志の会

原発問題に関して投稿します。

石綿での「周辺住民死亡」問題

2014-10-30 11:05:57 | 日記
 (被害者の支援団体・関西労働者安全センターによると)自宅がアスベスト用の麻袋のリサイクル業者の裏にあった(当時50歳の)堺市の女性が2009年に死亡、また事業所近くで暮らしていた大阪市港区の女性(当時57歳)が2010年に亡くなった「周辺住民死亡」問題で、新たにリサイクル事業者の近くに在住していた男性1人が死亡していたことが判明しました。(以下、参照・引用は『朝日新聞』)

 男性は堺市の元職員で、事業者から約160メートルのところに自宅があり、生まれてから(大学時代を除いて)定年まで自宅で暮らしていました。リサイクル業者は、1970年代まで操業しており、操業停止から30年近く経った2012年に腹痛を訴え、石綿特有のがんである腹膜中皮腫と診断され、数ヵ月後には(65歳で)亡くなっています。

これまで、堺市内の5つのリサイクル事業所の従業員が8人、中皮腫や肺癌などアスベストに起因する病気で亡くなっています。(以前にも書きましたが)同「センター」と「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」は、麻袋リサイクル業者周辺の住民に被害が広がっている可能性があるとして、堺市に実態調査を、国には国が実施する健康リスク調査の対象地域に堺市を加えるように申し入れていますが、実態調査は進んでいません。

アスベストは「静かな時限爆弾」と言われていますが、その被害の実態が良く分かっていません。つまり、知らずに亡くなっている方が多いと推測され、「見えない時限爆弾」ともいえるかと思います。(私には戦前から戦後に渡る最大の「公害」だと思うのですが)関心も薄く、そうした意識や自覚を持たない患者さんが多いのではないかと思っています。同「センター」では、被害者はまだまだいると見ており、相談を受け付けています。連絡先(電話番号)は、06-6943-1528です。

P.S. 日本は(戦前から)世界最大のアスベスト消費地ですが、特に近畿地方には1970年ごろまで、麻袋リサイクル業者が100業者以上あったそうです。さらに大阪や兵庫、奈良などアスベストの関連産業が集積し、国内最大級のアスベストの消費地だったとのことです。事業者従業員やその家族だけでなく、その周辺の住民にも被害者がおられますが、なかなか認定されません。ちなみに、同男性が「石綿健康被害救済法」で救済認定されたのは、死亡後の今年10月ということです。(堺市で)3人目ということですが、その意義は大きいと思います・・・

P.S.2 建材メーカーのニチアスの前身である「日本アスベスト」の王寺工場で1年から11年勤務した3人の男性が、胸膜プラークなど「アスベスト対策に不備があったために健康被害を受けた」として損害賠償を請求していた裁判で奈良地裁は、呼吸機能の低下は「喫煙の影響」、がんを発症する精神的苦痛に関しても、「法律上の請求権が発生する損害が生じているとは言えない」と請求を棄却しました。(精神的苦痛に関しては、さて置いても)国が粉塵対策の通達を出したのが1958年、それ以前に働いていた従業員へのニチアスの注意義務はないとの判断です。その国のアスベスト対策の不備を最高裁が認めているわけですから、本来なら「注意義務」はあったわけです。被害それまでに既に出ていたわけで、それをニチアスが当然知っていたわけですから、責任がないはずはないと思うのですが・・・

P.S. 泉南の裁判での最高裁判決を受けて政府は、塩崎厚生労働大臣が原告に「謝罪」、早期解決に向けて「和解」を申し出ました。共同代表で原告の岡田さんは、「国が和解のテーブルに着くのは嬉しい」と語りました。しかし、記者会見での岡田さんの表情は重く、暗かった。亡くなったご両親の被害を裁判は認めたけれど、ご自身の被害については認定されませんでした。また、亡くなった原告の方も多くおられます。また、裁判に訴えられなかった患者さんはもっと多いはずです。別の原告の男性は、「石綿の被害者が裁判をしなくても救済されるよう制度を整えて欲しい」と訴えられています。ちなみに、認定されなかった岡田さんは、よく工場に遊びに行っていたそうです。そこでアスベストを吸引、曝露したと思われます。被害者の方は、もっともっと多いと思うのです。岡田さんは酸素吸入器を携えて謝罪会見場に行かれていますが、体調から行けなかった患者さんもおられます。謝罪に来て欲しいとの声もありました。(職務が忙しいと思いますが)これより重大な「職務」など厚労相にあるでしょうか?呼吸すら困難な被害者を呼び立てる謝罪など、謝罪の体を為しているとは思えないのですが・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年10月30日)

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