顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

常照寺の枝垂れ桜…中世の吉田城址(水戸市)

2022年04月06日 | 水戸の観光

臨済宗大徳寺派佛日山常照禅寺の石柱の立つ山門には、中世吉田城址の碑も建っています。
ここは平安時代末期に常陸平氏の一族吉田氏の居城があったところで、その後江戸氏の支配を経て佐竹氏の家臣車丹波守斯忠の居城となりますが、佐竹氏が出羽に移封されたことに伴い廃城となり、現在は、土塁・空堀などが残っています。
吉田城については拙ブログ「中世の城館…吉田城  2018.8.29」で紹介させていただきました。


水戸徳川家の時代になり、2代藩主光圀公が元禄13年(1700)大徳寺の敬峰和尚を迎えて勧請開山され、光圀公が創建した最後の寺院となりました。
山門の扁額「佛日山」は光圀公の書です。


ここの魅力は山門から続くスギ林の中の長い参道の静寂な空間です。まずは石段を登ります。


石段が終わると苔むした石畳の参道が続きます。その先に中門が見えてきました。


中門をくぐると明るい桜の境内が広がります。まるで、トンネルを抜けると、そこは一面の桜…。




境内いっぱいに薄紅色や白い枝垂れ桜、ソメイヨシノなどが迎えてくれます。




お寺に枝垂れ桜が多いのは、仏教では極楽浄土を表現するために、花の咲く木を境内に植えることが多く、枝垂れ桜にしたのは、天井から吊るす仏具、天蓋に見立てたという説もあるようです。


墓地も桜で覆われています。


本堂前にあるのは高野槙の大木です。


本堂の大屋根には、水戸徳川家の葵紋がしっかと付いていました。


帰路の中門、見送りの桜まで用意されていました。

ホトケノザとヒメオドリコソウ…似ている春の花

2022年04月01日 | 季節の花

よく見かける野草でこの時期一番元気なこの二つは、どちらもシソ科オドリコソウ属、シソ科独特の唇形花 (しんけいか)と呼ばれる咲き方で花の形がよく似ていて間違いますが、葉の色と出方をよく見ると区別できます。


ホトケノザ(仏の座)は薄紫の花で大きさは約2㎝、茎を抱くような葉の出方が、「仏の座」という名の由来になりました。


また、この葉が茎に段々に付くので、「三階草」とも呼ばれます。


春の花に分類されていますが、今では一年中見かけるようになりました。偕楽園公園でも一面に紫色の絨毯になることもあります。


よく間違われていますが、春の七草の「仏の座」は、キク科のコオニタビラコ(小鬼田平子)のことです。

春に出るロゼット葉の形から「仏の座」の名が付きましたが、この標準和名はシソ科の方にとられてしまったようです。


ヒメオドリコソウ(姫踊り子草)は明るい赤紫色で花の大きさは約1㎝、重なった葉の下から顔を出しています。


縁がギザギザの葉は、上の方は赤紫色でその葉の間から小さな花が顔を覗かせています。笠をかぶった踊り子の姿から付いた名前ですが、小さすぎてよくわかりません。

一方、こちらが本家のオドリコソウです。

本家のオドリコソウは、花の大きさが3.5cmくらいあるので、笠をかぶった踊り子が並んで手を打っている感じがよりはっきりします。


俳句では、新年の季語としてキク科の仏の座(田平子)が主ですが、シソ科の仏の座も春の季語として出てきているようです。同じように、歳時記には夏の季語の踊子草しか載っていませんが、姫踊子草の句もネットでは春の季語として見かけるようになりました。  

児の声の届く辺に摘む仏の座  磯貝ひろし
たびらこの花に憩ひて古戦場  北田桃代
むらさきを地に低くして仏の座  笹木弘
散りゆくも踊るさまなり踊り花  石井青歩
摘みし手に踊子草をおどらせて  稲畑汀子
幾重もの御衣越しの姫踊子草  顎鬚仙人   

なお先日、河原で菜の花を摘んでいて目にした花ですが、一回り大きくても感じが似ていましたので携帯で撮って調べたら、カキドオシ(垣通し)でした。同じシソ科の唇形花です。

垣根を通り抜けて蔓状の茎が勢いよく伸びるのが名の由来、また小児の癇の薬草にするのでカントリソウ(癇取り草)などの名前でも知られています。

これからは身の回りにいろんな花が見られる季節ですが、大国の狂気の指導者に蹂躙されている国の春はまだ遠く、考えると痛ましくてなりません。