臨済宗大徳寺派佛日山常照禅寺の石柱の立つ山門には、中世吉田城址の碑も建っています。
ここは平安時代末期に常陸平氏の一族吉田氏の居城があったところで、その後江戸氏の支配を経て佐竹氏の家臣車丹波守斯忠の居城となりますが、佐竹氏が出羽に移封されたことに伴い廃城となり、現在は、土塁・空堀などが残っています。
吉田城については拙ブログ「中世の城館…吉田城 2018.8.29」で紹介させていただきました。
水戸徳川家の時代になり、2代藩主光圀公が元禄13年(1700)大徳寺の敬峰和尚を迎えて勧請開山され、光圀公が創建した最後の寺院となりました。
山門の扁額「佛日山」は光圀公の書です。
ここの魅力は山門から続くスギ林の中の長い参道の静寂な空間です。まずは石段を登ります。
石段が終わると苔むした石畳の参道が続きます。その先に中門が見えてきました。
中門をくぐると明るい桜の境内が広がります。まるで、トンネルを抜けると、そこは一面の桜…。
境内いっぱいに薄紅色や白い枝垂れ桜、ソメイヨシノなどが迎えてくれます。
お寺に枝垂れ桜が多いのは、仏教では極楽浄土を表現するために、花の咲く木を境内に植えることが多く、枝垂れ桜にしたのは、天井から吊るす仏具、天蓋に見立てたという説もあるようです。
墓地も桜で覆われています。
本堂前にあるのは高野槙の大木です。
本堂の大屋根には、水戸徳川家の葵紋がしっかと付いていました。
帰路の中門、見送りの桜まで用意されていました。