何度か訪れた大内宿(福島県下郷町)、ねぎ蕎麦というものがあることは知っていましたが、いつも昼食時間を過ぎていたので今回初めての注文でした。
ドーンとネギ一本が添えられた「ねぎ蕎麦 1100円」です。載っているのは大根おろしと梅干、刻みネギ、大葉と刻み海苔…頼んだのは冷たい蕎麦でしたので、そばつゆをかけていただきます。
さて、箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べるので、蕎麦をすくいあげて口元に持ってくるのが、滑ってなかなかうまくいきません。途中でネギを齧ると、その辛さが蕎麦に合うことは確かですが…。
蕎麦好き仙人にはちょっと邪道という印象は残りました。しかし蕎麦は美味しく、もちろん途中から箸の出番になりましたが、完食です。
この蕎麦ですが、会津松平家初代藩主で徳川秀忠の庶子、保科正之が長野県の高遠藩から移封されてきたときに、蕎麦文化が持ち込まれたともいわれています。
大内宿は会津若松と日光を結ぶ会津西街道の宿場です。江戸時代には会津藩が江戸と結ぶ幹線道路の一つとして整備し、物資の輸送や会津藩主の参勤交代にも利用した重要な街道の宿場でした。
明治になってこの街道が東の阿賀川沿いに付け替えられたため、開発に取り残された集落は当時の面影を今に残すようになりました。
街道に沿った南北500m、東西約200mに寄棟造りの家が道路と直角に整然と並んでいる景観は見事で、他には何もない場所ですが観光客で賑わっています。
主屋の多くは江戸時代後期から明治にかけて建てられたもので、道路側に半間幅の縁側を付けその奥の二室を座敷にしています。その縁側にはほとんどの家でお土産類を並べてあり、座敷で蕎麦類を提供する家も多く見かけました。
大内宿観光協会の店舗マップには、このような店舗兼住宅が45軒載っていました。
道路の中央には広い溝が設けられ宿場の用水路として利用されていましたが、明治以後は道路の両側に側溝が掘られて各戸の洗い場が設けられています。
伝統的な茅葺屋根は、茅手(かやで)と呼ばれる職人を中心に住民が協力して屋根の葺き替えを行って維持しているそうです。 (写真大内宿観光協会ホームページより)
「街道の両側に均等に並ぶ寄棟の家屋」が江戸時代の宿駅制度に基づいた宿場の形態を残すとして、昭和56年(1981)「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
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