顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

残念!生田の大滝…そして来迎院

2021年08月09日 | 日記

山の中の滝に涼しさを求めて常陸太田市の「生田(おいた)の大滝」へ、ここ里見富士(638m)のある一帯は山菜採りに何度も訪れたところで、登り口にある大小さまざまな滝を目指しました。通行止めの看板が出ていますが、気にかけず上って行ったところ、狭い林道の端が崩れたり、川のようになっていたり…、とても我が年代物の愛車では先へ進むのは危険とあきらめました。
どうも東日本大震災後の維持管理はいまだに行われていないようでした。(滝は8年前の写真を載せました)

車を方向転換するのに夢中で、林道の証拠写真は撮るのを忘れましたが、沢沿いの林道の両脇はヤマアジサイが群生していました。

下りてきて振り返った里見富士のある山塊です。標高差400m位の山ですが、水が豊富に湧き出して急流をつくり、小さな滝をいくつも出現させています。

里川を挟んで反対側に見える鍋足山(528m)は、3つのピークが鉄鍋の足のようだと名付けられました。頂上付近は岩山で、ハイキングの人気コースですが、もはや仙人は眺めるだけになってしまいました。


さて、帰り道に偶然茅葺きの楼門を見つけて車を停めました。後で調べてみると「お阿弥陀様」と親しまれている来迎院(らいごういん)という天台宗の無住寺で、地域の方が保存会を立ちあげて管理しているということでした。

もともと真言宗の富貴山阿弥陀院安楽寺でしたが、江戸時代初期に当時の住職が大罪を犯して廃寺となっていたところに、天和3年(1683)、水戸藩主光圀公の神仏分離政策により大洗磯前神社(大洗明神)の別当寺、大洗山普賢院般若寺が移転されてきました。元禄5年(1688)には日光の輪王寺から来迎院の寺名を授かり光明山安養寺来迎院と改称しました。

茅葺きの山門は宝暦10年(1760)に建てられた三間一戸の八脚楼門形式、2層目には高欄を廻した江戸時代中期の楼門建築の貴重な遺構となっています。

金網の間から撮った左右の仁王像が何とも親しみやすい顔でした。

享保3年(1718)に建てられ、移築再建されたと伝えられる茅葺きの阿弥陀堂は、桁行3間、梁間3間の正方形で、お堂と回廊を一体にした堂宇造りという様式です。

やはり無住寺、埃の積もった堂内でした。1間四方の四天柱を立てた内陣の御本尊は、鎌倉時代とされる木造阿弥陀如来坐像で、普賢院の本尊として大洗から運ばれてきたと伝えられます。
秋に常陸太田市で開かれる集中曝涼の際には、お披露目になるそうです。

阿弥陀堂の回廊を取り巻く木鼻彫刻がすごい!正面には龍、四方には獅子や獏などが睨みをきかせています。
木鼻は「木の端」が転じた、頭貫などの横木が柱から突き出した部分に彫られた彫刻ですが、その美しさを競うようになると、別の木に彫刻した木鼻を張り付けるようになりました。

滝を撮りに行ったのが不発でも、途中で見ごたえのある寺院に立ち寄ることができました。


一年延期のオリンピックが様々な感涙をとどけて閉幕、会期中には国内のコロナ感染が急増しています。オリンピックを中止にしても感染増加は避けられなかったと個人の考えですが、コロナ禍の中での開催を後世はどんな評価を下すのでしょうか。
いずれにしても沈滞していた気持ちが、久しぶりに清々しい高揚感に包まれました。あとはワクチン接種効果が早く表れることを願うばかりです。

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