顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

弘願寺…くすぐり地蔵のある花の寺

2023年05月24日 | 歴史散歩
茨城県の北西部の寺院八ヶ寺が宗旨を超えて設けた、十二支の守り本尊と花めぐりの「花の寺」の8番目は、那珂市下大賀にある臨済宗円覚寺派の帝青山弘願寺です。

中世に当地を治めた佐竹氏8代貞義(1287-1352)が静神社の神宮寺として弘願寺、西方寺、静宮寺を設けたと伝わっています。その後水戸徳川家の治世になり、2代藩主徳川光圀の神仏分離を図った寺社改革により寛文8年(1668)現在の下大賀の地に移され、西方寺、静宮寺も弘願寺の塔頭の西方庵、静宮庵として移転されました。文政6年(1823)年には火災で焼失、天保年間(1830~44)には9代藩主斉昭の廃仏政策により廃寺となるも弘化3年(1846)再興…、と苦難の歴史が残っています。

山門の前には金剛力士像が佐竹氏の紋の付いた台座の上に立っています。「くすぐり地蔵」「聴だけ観音」の幟も立っていました。

門の左右で金剛杵を携えて邪悪なものの侵入を防ぐ…、すごい迫力の表情です。




門をくぐると左手に薬師堂、弁天堂の案内があり、橋を渡った先に薬師堂があります。


薬師堂の右奥にあるのが、この寺のパワーポイント、「くすぐり地蔵」です。
身体の痛い部分と、お地蔵様の同じ部分をくすぐるように撫でて祈願するそうです。かってはその部分の欠片を患部に当てたそうなので、削られた顔や腹部は原型をとどめていません。
脊柱管狭窄症の仙人も痛む場所をそっと撫でてお賽銭を入れてきましたが、御利益は…??




参道右手の観音堂には「聴だけ観音」の扁額があり、堂内には世間の私たち衆生の悩みや苦しみ、救いを求める声を聞きつけて馳せ参じてくださる観音様ですと書かれていました。


東日本大震災で被災して再建された立派な本堂…御本尊は戌亥年の守り本尊、阿弥陀如来です。


天水桶や香炉、鬼瓦など各所に五本骨扇に月丸の佐竹紋がしっかりと付いているお寺でした。

花の寺なのでいろんな樹木や草花の表札が立っていますが、ほとんど花期が終わっていました。

変わった白い花を調べてみると、イボタノキ(水蝋樹)でした。この樹皮に寄生するイボタロウムシの分泌する「いぼた蝋」は、古来よりローソクの原料や家具のつや出し、日本刀の手入れなどに用いられてきました。


ハコネウツギ (箱根空木)です。日本全国で自生していますが箱根ではあまり見かけないので、よく似ていて箱根に多く自生しているニシキウツギ(二色空木)と間違われたのではという説があります。


かって弘願寺が神宮寺だった常陸二ノ宮の静神社は、弘願寺の約1500m西の小高い山の上に建っています。弘願寺の山号「帝青山」はこの神社のある小高い山のことです。

茨城の県北にある寺院にはいまだに佐竹氏の紋が付いている所が多いのを改めて認識しました。佐竹氏の統治は約400年ですが、関ヶ原の戦い後に家康から出羽国に移封されてからも約400年経っています。その後の変遷も乗り越えて開基の時代の紋を守り続けているのは、水戸徳川家時代に行われた神仏分離、寺社改革などに対しての反発もあったのでしょうか。

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