大子町の北西部、上郷地区にある曹洞宗の高徳寺は地方色豊かな山門で知られています。
鳳林山阿弥陀院と称し、永正元年(1504)の創建と伝わります。本尊は釈迦如来ですが、阿弥陀院という院号から推して、もとは阿弥陀如来を本尊とする天台系の寺であったといわれます。
というのは、この地方はかって陸奥の国で、常陸佐竹氏と白河結城氏の領地争いが激しく、創建当時は白河結城氏が家臣の深谷氏に治めさせていたとされます。寺伝では、永禄6年(1563)に荒蒔駿河守の外護により佐竹氏の本拠地、常陸太田の曹洞宗耕山寺12世の舜霊文芸が中興したとありますので、その頃山入の乱を鎮めて勢力を伸ばしてきた佐竹氏がこの地を攻め取り、家臣の荒蒔氏に約2キロ東の町付に荒蒔城を築かせて支配の拠点にしたと思われます。
山門は木造茅葺き、間口3.46m、奥行3.52m、4本の欅材の丸柱で組み立てられています。
軒垂木の優美な反り、獅子か貘とみられる木鼻にも佐竹時代の特徴が見られます。彩色が全体に施されていたともされますが、素朴な風情が山間部の長閑な風景にピッタリと嵌ります。
丸柱が礎石に載っているだけで、しかも相当痛んでいます。東日本大震災にもよく耐えてきたと感心してしまいます。
参道を覆う二本の巨木、右は銀杏、左は白樫(しらかし)で、伝承樹齢は寺の創建時というので約500年になるそうです。さらにこの白樫は榧(かや)の木と合体して(右方が榧、左方が白樫)樹高25m、目通り5.5mの大木になっています。イチイ科カヤ属とブナ科コナラ属…分類上縁遠い種の合体は珍しいということです。
本堂です。所蔵の涅槃図は、永禄元年(1558)に荒蒔城主の荒蒔駿河守為秀、荒蒔豊後守實秀連名で荒蒔氏の菩提寺である高徳寺へ寄進されたとの裏書があるそうです。
本堂の大棟には、曹洞宗の宗紋である永平寺の「久我竜胆」、総持寺の「五七の桐」、真ん中には佐竹氏紋の「5本骨扇に月」が燦然と輝き、往時の隆盛を偲ぶことができます。
当時佐竹氏は領地としたこの八溝川付近から白河の金山(かなやま)一帯で積極的に金山経営に乗り出していたと伝わっています。
栃木県境に近い八溝川沿いの山間部、500年という歴史以上の雰囲気を感じさせてくれる古刹でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます