顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

稲田石と稲田神社

2020年06月25日 | 歴史散歩

笠間市稲田地区一帯で産出される花崗岩「稲田石」は、恐竜が絶滅した後の時代、今から約6000万年前に地下深く貫入したマグマが固まってできました。

花崗岩の主成分、石英(薄い灰色)、長石(白色)、雲母(黒色)のうち、稲田石は白色の長石が約60%を占めるため、際立った白さと美しい光沢、耐久性で知られ、国会議事堂、最高裁判所、東京駅、日本橋など日本を代表する数々の建築物に使用されてきたブランド石材です。

今年2月に復元された水戸城大手門の基礎や足周りにも光沢のある白い稲田石が敷かれています。工事関係者が現場の発掘にも立ち会い、上質な材を選んできたそうです。

本格的な採掘が始まったのは明治22年、採掘規模は日本一と言われ、東西8㎞、南北6㎞、深さ1.5kmにおよぶ岩脈は通称「石切り山脈」と呼ばれています。

ここはその中でも、インスタ映えの聖地、現在採掘休止中ですが、35mの深さに水が溜まり垂直な白い石の壁と相まって独特の景観になっています。

著名なグラフィックデザイナーと稲田の石職人のコラボレーションによる多くの作品も展示されています。

一帯は石材工場が数多く立ち並んでいます。放置された花崗岩を彩るノイバラ(野茨)が一輪…

さて稲田石の玄関口、水戸線稲田駅は無人駅で、隣には「石の百年館」が建っています。先人たちが100年以上築き上げてきた歴史と未来へ発展の100年を願って命名された石の博物館です。

館内には稲田石に関する資料や海外のいろんな花崗岩、県内で採れる岩石、日本の「国の石」とされる糸魚川のヒスイ(翡翠)などが展示されています。稲田石の中には結晶化した水晶なども現れることがあり、大きな現物展示が目を惹きました。

すぐ近くには「稲田」という地名のもとになった神話が生まれた稲田神社があります。茨城県内に7社しかない名神大社の一つ、祭神は奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)で、古事記によると八岐の大蛇退治の縁で素盞嗚之命(すさのおのみこと)と結ばれ夫婦になった女の神様です。

稲田姫神社縁起によると当地の邑長武持の家童が稲田好井の水を汲もうとすると、泉の傍らに女性が現れた。家童の知らせで武持が尋ねると「自分は奇稲田姫で当地の地主神である」と答え、姫の父母の宮・夫婦の宮を建て、好井の水で稲を作り祀るよう神託を下したと伝わります。

境内には父母の宮(母神・手摩乳(てなづち)神社、父神・脚摩乳(あしなづち)神社)と夫婦の宮(本殿、夫神・八雲神社)があり、写真は本殿と右隣の素盞嗚之命を祀る八雲神社です。

左は樹齢数百年と伝えられるシイの御神木。現在の社殿は火災消失後、嘉永元年(1848)の再建とされています。

稲田神社より約400m西の稲田山中腹に稲田神社奥の院があります。本宮とも稲田姫奥の院ともよばれる稲田神社の神宮寺で、奇稲田姫が降臨した地と伝わります。