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顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

入り江に浮かぶ…真崎城と茨城県内最低山

2019年10月12日 | 歴史散歩
東海村の245号国道沿い、村松虚空蔵尊駐車場からみた、水田に立つ細い半島上の丘の上に真崎城址があります。

中世にはここは太平洋に繋がった入り江になっており、その真崎浦と細浦の間に突き出た先端部は、三方を海に囲まれた天然の要害であったと想像できます。

鎌倉末期の弘安年間(1278-1287)に、佐竹氏5代義重の三男義澄の子の義連が築城し真崎三郎義連を名乗り、その後佐竹氏の忠実な家臣として秋田移封までこの地を領し、久慈川河口域の海運、製塩の管理、水軍を統率していたといわれます。また、秀吉の朝鮮出兵時には、真崎氏が船奉行として佐竹軍の渡海の役目を果たした記録が残っているそうです。

比高10m程度の細長い半島台地は長さ約350m、幅は20mくらいの細長い連郭式平山城で、居住性には適さず、水運の管理と万一の場合の詰城という説もあります。

城郭は半島先端を1郭として3郭(4郭という説も)に区切られていたとされます。Ⅱ郭とⅢ郭間の堀切は比高約8m、細い台地を鋭く切断しています。

堀切で隔てられた両側の曲輪は平坦になっており、空堀側には土塁が築かれています。

車も通れる最西端の堀切は、地元では切り通しとも呼ばれ柔らかい凝灰質泥岩が露出しており、西側の切岸に明神山の案内板と斜面に登り口があります。

三角点が国土地理院地形図の17.4mのピークです。半島東側の城址中央には標高22mのピークがあり、この一帯が明神山と呼ばれているそうですが、この三角点が明神山頂とする地元有志の方の建てた案内板があります。国土地理院地形図に記載のある茨城県内の山で一番低い標高の山だそうです。

案内板の裏面には、茨城県内の2番目、3番目に低い山が書かれています。天妃山は北茨城市磯原の海辺に立つ山、山海館というホテルがありましたが、東日本大震災の津波で廃館になりました。梵天山は常陸太田市にある古墳群の山です。

ところで茨城県内最高峰としては、北茨城市の栄蔵室(882m)という山に茨城県内最高峰の看板が建っています。
通常最高峰とされる八溝山(1022m)は県境にまたがるためという地元の主張に賛成しましょう。確かに福島県の山としても八溝山が載っていますので…。ちなみに日本百名山の筑波山は877mです。
栄蔵室は何度も登った山なので、写真データを探しましたが見つかりませんでした。