地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

中山道六十九次を行く-14-その②

2008年07月30日 | 【17】中山道(予備)
【第三日目 08-7-29】

 
【大黒屋】http://www.tono-gifu.net/daikokuya/main/index.htm
  細久手宿は、慶長15年(1610年)に新宿として設けられた。
江戸時代後期の天保14年(1843)の記録によると、戸数65軒を数え、うち24軒が旅籠を営んでいた。
その1軒が、『尾州家定本陣大黒屋』であった。
細久手宿の本陣・脇本陣が手狭になリ、他領主との合宿を嫌った領主尾洲家が、問屋役
酒井吉右衛門宅を「尾州家本陣」として定めたのが、『尾州家定本陣大黒屋』のはじまりである。

大名気分で泊まった。ミシミシ、ギシギシの音が何とも。






料理は美味かった。中山道を歩き始めて一番だろう。(値段もいいが。)
一品一品丁寧に料理され、味もよく、酒にもよく合った。器もいい感じだった。


蓮の花に朝顔の花。
下はどこかからの引用です。
  「ひ~らいた、ひ~らいた、蓮華の花がひ~らいた」
  この蓮華とは、春に畑に咲くれんげではなく、蓮の花だとか。
  蓮の根っこは言わずと知れた、蓮根。
  年配の方の中には、れんこんと音読みせず、はすねと呼ぶ人もいます。
  私は蓮の花を初めて見たのですが、とても大きいのでびっくりしました。

  「よく、蓮の花が咲く時に『ポン』という音がすると言われているようです
  が、実際に音はしません。」  そうなのか。早起きして、『ポンッ』という
  音を録音してみたいと思っていたのだけれど・・・。

 「蕾から花開くまでの期間が短いのと、この花の大きさから一気に『ポンッ』
  と咲くようなイメージがあるんでしょうね。


御嵩宿へ向かう。昔の中山道が残されていた。


 
【願興寺】(御嵩宿)別名 蟹薬師
願興寺の門前町として栄えた御嵩宿は、江戸時代中山道の宿場として大いに栄えた。
815年伝教大師最澄による開創と伝わる願興寺は、2度の兵火で焼失したが、
その度に仏像など多くの文化財は難を逃れ、1581年には地区の多くの人たちによって再興され、
現在の本堂はその時のものである。
その造りは四周の回廊の広さに独特のものがあり、また材を持ち寄った痕跡が残る民の寺である。


【今回の旅】
・実施日 平成20年(08)7月27日(日)~29日(火)
・天 候 初日は晴れて順調に大井宿に到着。2日目は雨、雷で歩きにくく残念だった。
      が、熱中症の心配は無くなった。
      3日目は晴れ。暑さが戻って、終日歩くんであれば大変だったと思う。
・メンバー4人(65歳2人、64歳2人)

・距 離 1日目・・・13,200歩( 9.90Km)
      2日目・・・32,127歩(23.07Km)
      3日目・・・20,354歩(15.02Km)
・見 所
     ・田園風景
     ・石畳
     ・林間の美濃路
     
・食 事(うまかった、よかった)
     ・大黒屋(細久手宿)の夕飯。これは良かったし、素晴らしかった。酒も良かった。

・満足度 雨と雷のお陰で、行動がやや鈍ったことで、満足度は中程度。
      余り突出した見所も無く、黙々と歩いたと云うような感じの旅だった。
      ただ十三峠越えなど、相当体への負担は重く、それを乗り切ったと言う点では
      満足感がある。これを越えなければ、中山道は踏破できない訳だから。

【どこまで来たか?】
・宿  :六十九次中、49番目の宿(御嵩(みたけ)宿)
・距離 :534Km中、383Km

【駄作俳句】
 青田道 足取り軽し 美濃路かな
 緑さす 十曲峠や 石に汗
 雷に 追われて登る 琵琶峠
 築150 大黒屋では 朝涼し
 御嶽へは 蚊を払い払い 謡坂
 夏の峰 ゆったり回廊 願興寺


【次回(9月)の旅】
 御嵩宿をスタート、太田宿、鵜沼宿、加納宿、河度宿、
               美江寺宿までか(計画中)
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