地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

中山道六十九次を行く-17-

2008年12月03日 | 【17】中山道(予備)
(11月30日~12月2日)

紅葉の近江路を南下
  鳥居本宿、高宮宿、愛知川宿、武佐宿、守山宿へ

     (彦根、多賀大社、近江八幡に寄り道)










摺針峠では琵琶湖を見そびれてしまったが、彦根城からは静かな琵琶湖が見えた。
広重の絵のように、遠くの湖水が何ともいえない青というか藍色の色で、綺麗だった。


玄宮園より彦根城を望む。


玄宮園の景色。人気が無く、ただ我々のためにそこにあるような。


玄宮園の景色を見ながら、一服のお茶を。この旅では珍しく、ゆっくりしたひと時であった。


彦根城博物館の中で。

【彦根城】(国宝の一つ。後は、犬山城、姫路城、松本城)
姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)
によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。佐和(さわ)山城・安土城・
長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つ
に数えられています。
明治時代の廃城令や戦火を免れた彦根城の勇壮な姿を、城内散策で眺められます。また、彦根城の
別名金亀城(こんきじょう)の名は、彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像
が安置されていたため、と言われています。国指定の特別史跡です。(滋賀県観光情報より)
(天守、玄宮園、博物館見学セットで1000円。年中無休)

司馬遼太郎「街道を行く<24>近江散歩、奈良散歩」より
武田家が勝頼の代でほろんだとき、家康は織田信長のゆるしをえて武田家のめぼしい将士を大量に吸
収した。しかもそのほとんどを直政の家来にした。武田家は、赤備(あかぞなえ)といわれた。
・・・「井伊の赤備」とよばれるようになった。・・・
佐和山城 ・・・戦後、直政が近江における三成の旧領をひきついだとき、この一点に気を使った。・・・
彦根城の築城は、家康の意図から出た。・・・
金阿弥 一遍上人(時宗の開祖) 直政一代は佐和山城に居た。
井伊直孝(庶子) 家康が介入して後継に決めた。(異例)

 
【上品寺(じょうぼんじ)】(鳥居本宿)
歌舞伎で演じられる「法界坊和尚」の鐘が残る上品寺がある。遠い江戸から大八車に乗せてきた。
その鐘には、遊女たちを含めた寄進者たちの名前が刻まれている。
歌舞伎での法界坊は、破戒坊として演じられているが、じっさいは全く逆で、遊女を救った良いお
坊さんだったと。この地まで運んだという鐘は、吉原の花魁(おいらん)たちの浄財を受け、悲運
の遊女たちを供養するために作られたという。

 
【赤玉神教丸本舗】腹痛や下痢止め薬
【本家合羽所】
神教丸の他、もう一つの名産は鳥居本合羽。桐油紙製の折り畳み式道中合羽で、雨具として必需品
であった。雨の多い木曽山中へ向かう旅人達が盛んに買って行ったという。柿渋や紅殻も使い保温、
防水、防湿を高めたらしい。

 
【石清水神社】(高宮宿)

 




多賀大社前の「一休庵」で昼食。山菜おこわ、うどん、豆腐セット。結構うまかった。

【多賀大社】近江鉄道多賀線 高宮駅から多賀大社前まで6分。
多賀大社は「寿命長久」「縁むすび」の御霊徳高く、古くから「お多賀さん」と呼び親しまれた淡海国
(近江国)第一の大社。
 「お伊勢参らばお多賀へまいれ、お伊勢お多賀の子でござる」
 「伊勢へ七たび、熊野へ三たび、お多賀さんへは月まいり」


【老蘇森(おいそのもり)】(武佐宿)
平家物語にも登場するなど古くからの文学の題材になった。
  世やはうき 霜より霜に 結びおく おいその杜の もとのくち葉は (定家)

 
【奥石(おいそ)神社】豪壮な檜皮葺きの本殿は信長の寄進で、天正年間の建築

 
【鎌若宮神社】(もう一つの奥石(おいそ)神社)




【日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)】(近江八幡市)
991年(正暦2)に宇佐八幡宮を勧請して以来、近江商人の信仰を集めてきた古社。エノキやムク、
杉などの古木が生い茂る境内には、どっしりとした拝殿や本殿が静かに佇んでいる。

 近江八幡でのお土産


 
【鏡神社】(武佐宿)
新羅から渡来してきた王族を祀るといわれ、その子孫がこの地に陶芸を伝えたとされる。
神社入り口左手の松(上部なし)は、義経が鞍馬山を出て奥州に向かう途中、ここで元服した際に
烏帽子を掛けた松といわれる松。その先の元服之池は、義経が前髪を落として元服したところだと。


でっかい太陽が沈んでからも歩き続けること1時間、野洲までの道が長かったこと。

【今回の旅】
・実施日 平成20年(08)11月30日(日)は東京駅から夜行列車「ムーンライトながら」で。
       12月2日(火)はJR草津駅から夜行バス「びわこドリーム号」にて。

・天 候  2日間とも云うことのない日。晴れ、気温よしで、今までの中で一番とも云える絶好の
       日和だった。感謝。

・メンバー4人(65歳2人、64歳2人)

・距 離 
     1日目・・・35,850歩( 26,89Km)
     2日目・・・40,120歩( 30,09Km)
    
・見 所
     ・彦根城(残念なのは、天守の鳥避けのための金網。人間が鳥みたいだ)
     ・多賀大社     
     ・老蘇森(おいそのもり)と奥石(おいそ)神社
     ・日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)(残念なのは、食事をするところが少ないこと)

・食 事(うまかった、よかった)
     ・多賀大社前の「一休庵」での昼食 
     ・野洲へ向かう途中で食べた、カップヌードルとおにぎり    
     
・腹立たしい奴
     ・日牟禮八幡宮(近江八幡市)の近くのカレー屋兼うどん屋
      (態度は悪い、カレーはまずい、量は少ない、料金は高い)
      一人でやっている初老の男だが、完全に勘違いしていると断言。
      近江商人ではないのだろう。中山道の旅の中で、ワースト1に登録する。

・満足度 天候には大満足。見所もまああってよかったが、食の方は全く駄目だったのが残念。
      満足度55%というところか。古くからの同僚が合流、うまい酒ではあった。

【どこまで来たか?】
・宿  :六十九次中、67番目の宿(守山宿)
・距離 :534Km中、492Km

【俳句駄作集】
・玄宮園 茶一服の 秋日かな
・秋の湖 広重描いた 藍の色
・行く秋に 渋柿合羽や 鳥居本
・秋多賀や お参り前の おこわかな
・古き友 出会いの愛知川 夜長し
・静けさに おいその森の 紅葉ゆれ
・晩秋の 日牟礼八幡 麩の土産
・足早に 野洲へ野洲への 秋の暮れ

来春 桜の季節、この旅もいよいよ最終回
 
  守山宿、草津宿、大津宿から京 三条大橋へ!!

    少し、残念のような、寂しいような・・・。とりあえず、冬休み。
  

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