『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
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2009年6月25日(木)

2009年06月25日 00時00分01秒 | Weblog
昨日は、夜リハーサルに出掛ける頃には、
雨もあがっていて、
湿度は高いものの、やや涼しく、
それらは、潤い、というものであった。

背負ったギターも、
抱えたエフェクターボードも、
その重みを、エネルギーに変換してくれているような、
頼もしい重さに、感じられるのであった。

大音量、大声リハーサル。

ビートルズが、1966年頃には、
大出力のギターアンプで、
ライブをやっていて、
それは、今みたいなPAシステムが、
なかったからでもあるが、
そのころのライブ映像を見ると、
ジョン・レノンなど、
ものすごい大音量で、
ギターアンプを鳴らしているのがわかる。

実際は、演奏しづらかったかも、
と思われる。

なにしろ、モニタースピーカーも、
ないのであるから、
広い会場、大歓声の中、
アンプのボリュームだけが、
頼りである。

でも、大音量は、
それだけで、発散するような、
気持ち良さもある。

僕は、ライブでは、
それほど、大音量にはしないが、
リハーサルで、それに慣れておくと、
何かあっても平気という気がする。

リハを終えて、
ドアを開けると、
隣のスタジオから、
チューリップの古い曲を演奏している音。
今時、どんな若者が、
と思って、ちらと、
窓から覗いてみれば、
白髪のオジ様方であった。

かつての、若者の音楽も、
時を経て、
今はこうして、
かつての若者であったところの、
方々に、そのまま、楽しまれている。

若者には、
若いから、それだけで、
面白く、素晴らしいことも、
いっぱいある。

逆に言って、
年輩は、
つまらない、ということには、
ならない。

僕なども、
ずっと歌えるものを、
と思って、作っている。

さて、今朝は、万葉集の講座。
出掛けてくるところである。

洋司

2009年6月24日(水)

2009年06月24日 00時00分01秒 | Weblog
ライブ用には、曲目ごとに、
ギターのエフェクトを設定している。

曲順が変わると、
それに合わせて、
エフェクターボードのプログラムを、
並べ替える。

ま、それは、たいした作業ではない。
それで、
曲順にそって、
どの曲で、どのボタンを踏むか、
というのを、覚えながら、
練習をする。

違うボタンを踏むと、
別の曲用の音が出たり、
音を、ミュートに設定している、
チューニングメーターに繋がって、
音が途切れたり、する。

ギターだけ、弾いているぶんには、
踏み間違えなど、しなくてもすむが、
歌を歌っていると、
精神状態が、だいぶ普通ではないと思われ、
冷静、というものでは、ない。
さらに、マイクで、視界の下半分は、あまり見えない。
だからといって、いつも冷静に歌ったり、
下ばかり気にしているようでは、
ステージ上では、あまり、良くない。

なので、ある程度、感覚的に、
曲と、ボタンの位置関係を、把握しておく必要がある。

このごろは、
「尾道万博」
「シネマ尾道」でのライブの曲順で、
主に、足元の練習中なのである。

本日は、夜、スタジオリハーサルであるが、
今、朝8時の段階で、外はどしゃ降り。

天気予報では、午後には、雨も上がる、
ということであるが、
ギターとエフェクターを担いで、スタジオ。

こういうときは、車を運転できると、
いいんだろうなぁ、と、一瞬、思うのであった。

洋司

2009年6月23日(火)

2009年06月23日 00時00分01秒 | Weblog
昨日は、
「万葉集~ココロ・ニ・マド・ヲ~」
(http://www.manyoshu.jp/top.html)
の収録で、
赤坂。

毎回、映像と音楽を、スタジオで、見聞きするのが、
楽しみである。

今月の初めの、明日香村での勉強会の内容の、
数作が、早速、映像化されている。

奈良の四季。
柳。
簾。
川。
垂水。
風。
空。
雲。
山。
草花。

みんな、とってもきれいで、
心癒される。

すでに、心に馴染んだ、しかも新しい音楽が、
やさしく重なり、気持ちがいい。

「万葉集~」の、
いつも映像の編集をされている方は、
昨年12月までの、「万葉集~」の作品で、
業界の銀賞を受賞されたそう。

横では、あの映像は、あそこだ、とか、
これが、大変だった、とか、
あの寺が良かった、とか、
いい仏像が、とか、
いろんな、話が聞こえてきて、
また、非常に楽しい。

中西進先生の、お話に、
万葉集が顧みられる時代、というのは、
世の中が大きく変わろうとする時なのだ、
というのがあった。

ここに、詳しくは、書けないけれど、
これも、大変面白いお話で、
ずっと、繋がっているもの、とか、
その中の、一瞬を、生きていること、とか、
いろいろを、
ありがたく、感じられることであった。

洋司

2009年6月22日(月)

2009年06月22日 00時00分01秒 | Weblog
雨が続くことである。

前にも、書いたが、
ずいぶん前、
朝のテレビ番組に毎週出ていた頃に、
とっても良い天気の日があって、
番組終了後、
テレビ局の食堂で、食事をしながら、
いつもこうだったらいいですねぇ、などと、
話していたら、
天気予報担当の気象庁の方から、
それでは、米が育ちませんよ、と言われ、
確かに、とそこにいた皆、首肯したことであった。

地球が、このぐらいに、いつも曇っていて、
雨の降っている星だったとしても、
それはそれで、
それに適応した生命が、暮らしていたろう。

いつも雨なのだから、傘などいらないね。
などというのは、傘を知るものの発想であるが、
今の人たちに、まったく想像も出来ない、発想が、
どこかに、あることを思うと、
それが、あると思うだけで、なにか幸せである。
これから、発想されようとする、ある発想。
未必の故意みたいな。
しかし、それは、
まったく別の場所だとか、未来に限らず、
ちょっと、昔、あるいは、今、ここにもあったことかもしれない。

もし、電子メールしか知らなかったら、
この、「今日の出来心」、
手書きのFAXで、MMRに送ろう、などという、
発想が、出てこない。

出てこない場合、
電子メールが使えない、となると、
あわてんぼうの僕などは、
白紙に手書きしたものを、
電車に乗って、MMRまで、持って行きそうである。
電車もなければ、歩いて行きそうである。
白紙もなければ、口頭で、か。
そっちのほうが、楽しいじゃないか、など、
思いもする。

FAXを知らないのなら、そうしてしまいそうである。
だんだん、今、ここ、から離れていくが。

今を、便利な世の中、と思うことが多いけれど、
電車で届ける、的なことを、毎日しているような、
気もするのであった。

洋司

2009年6月21日(日)

2009年06月21日 00時00分01秒 | Weblog
「日めくり万葉集」、
先ほど見たのであるが、
ある歌の時に、瀬戸内海の、
青い海と、緑の島々が、映り、
とってもきれいであった。

あるミュージシャンが、そこで、
サキソフォンを吹くのである。

はじめに、瀬戸内海の風景だけが映り、
そこに、サキソフォンの、ちょっと低い音が、
ボー、という感じで、重なってきた。

何の音か、と思った。

別の歌の時に、
土笛を、吹く人が出たこともあったので、
そういう、どこか、原始の音色というか、
そんなもののような気がして、
なにが出てくるだろう、とわくわくしたのであった。

カメラがゆっくりターンし、
その音の正体を、映し出した。

キラキラに輝くサキソフォン。
フレーズは、そこから、半音階で、
お洒落な展開をするのであった。

しかし、それでも、なお、
自然の中にある、なにか、
波の音だとか、
動物の鳴き声だとか、
風が木を揺らしながら、吹く音だとか、
そういうものを、感じさせられて、
さっきの、わくわくが、増したのであった。

こんなことを、書いていると、
たまらず、そばにある、ナイロン弦のギターをとり、
数曲、自分のためだけに、弾いてみたところである。

頭で覚えている感じもなく、
手、が覚えるものでもなかろう、と思いながら、
別のことなど、考えられない。
よけいなことを考えると、間違えそうである。

習字をしている時とは、全く違って、
こっちは、意外に、無心なような、気がするのであった。

洋司