老体にムチ打つ。
正しくは、
老骨にムチ打つ、だそうですが、
「老体」を認める辞書もあるとか。
老骨というと、自分のことで、
老体となると、他の人にもなるとか。
ムチ打つには、励ますというような意味があるとしましても、老体にムチ打つなど、誰かが、お年寄りを、ムチ打っているような非情なことにも感じられるわけですね。
励ますの比喩としても、
自分で自分に、ムチ打つって、ちょっと、難しそうですし、僕だったら手加減してしまいそうです。
自作自演でしょうか。
踏んだり蹴ったり、というのは、
どっちかというと、自分が踏まれたり蹴られたり、散々な目にあった時に使いますね。
踏まれたり蹴られたり、でなく、
なんで、踏んだり蹴ったりなのか、
ふと、思ったのは、これは、やはり、なにか、踏んだり蹴ったりしてはいけないようなものを、踏んだり蹴ったりして、大変な場面なのでは、と。
犬の落し物。
にかぎらず、昔は、馬や牛なども沢山歩いてたかもしれませんし、履き物だって、今のような、しっかりしたクツなんかなく、ぞうりか、下手すると裸足でしょう。
ま、そうしうものを、燃料や肥料などと、ありがたいものとして使用していたとしたら、それはまた、違うでしょうか。
釘とか、画鋲とか、箪笥の角っことか。
ムチ打たれも、踏まれも、蹴られもせず、元気いっぱい、今日も頑張ろう。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司
正しくは、
老骨にムチ打つ、だそうですが、
「老体」を認める辞書もあるとか。
老骨というと、自分のことで、
老体となると、他の人にもなるとか。
ムチ打つには、励ますというような意味があるとしましても、老体にムチ打つなど、誰かが、お年寄りを、ムチ打っているような非情なことにも感じられるわけですね。
励ますの比喩としても、
自分で自分に、ムチ打つって、ちょっと、難しそうですし、僕だったら手加減してしまいそうです。
自作自演でしょうか。
踏んだり蹴ったり、というのは、
どっちかというと、自分が踏まれたり蹴られたり、散々な目にあった時に使いますね。
踏まれたり蹴られたり、でなく、
なんで、踏んだり蹴ったりなのか、
ふと、思ったのは、これは、やはり、なにか、踏んだり蹴ったりしてはいけないようなものを、踏んだり蹴ったりして、大変な場面なのでは、と。
犬の落し物。
にかぎらず、昔は、馬や牛なども沢山歩いてたかもしれませんし、履き物だって、今のような、しっかりしたクツなんかなく、ぞうりか、下手すると裸足でしょう。
ま、そうしうものを、燃料や肥料などと、ありがたいものとして使用していたとしたら、それはまた、違うでしょうか。
釘とか、画鋲とか、箪笥の角っことか。
ムチ打たれも、踏まれも、蹴られもせず、元気いっぱい、今日も頑張ろう。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司