いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

清代の轎(かご)のお話6、スピンオフ、明代・張居正

2015年12月26日 19時35分35秒 | 清代の轎(かご)のお話
スピンオフ。
清代ではなく、明代のお話を少し。


明の万暦年間の宰相・張居正のお痛の話。

万暦帝はまだ幼く、政務を自ら見れる年齢にはなく、
張居正が実質的に国の政策決定で最も大きな権力を発揮していた時期。

父親が亡くなった時、帰郷することになった張居正は、
故郷である現在の湖北省荆州まで帰るのに、32人かつぎの巨大な轎に乗って帰ったという。


  

どこの博物館かよくわからんが、これがその模型とされるもの。

轎の中は二部屋あり、寝室一部屋、書斎一部屋。
さらにキッチンとトイレもつき、中には侍童(じどう)が二人かしづき、身の回りの世話を行ったそうな。


北京から湖北省荊州までの距離といえば、当時なら数ヶ月はかかったであろう道中、
しんどい思いはいやじゃ、道中でも仕事ができないのはいやじゃ、
という気持ちはわからんでもない。


ましてや国のすべてを自分が決めているという驕り、
うなるほどの財力があれば、これくらいやらかしたくなる気持ちもわからいでもない。


このドでかい轎は、もちろん「僭越」(せんえつ)。
身分不相応の規格である。


その当時、そのことを訴えて弾劾する奏文を出した官僚がいたが、少年・万暦帝はそれを退け、逆に相手を罰した。

しかし少年皇帝は次第に成長し、
ある日、ついに年老いた張居正が、万暦帝に後を託して命尽きる時がきた。


皇帝は遺族の面倒を見ると約束して宰相を見送ったが、実際に彼がやったことといえば、
口実を見つけて、張居正の家を家宅捜査して財産を没収することだった。
その子孫は、ことごとく死刑にするか、辺境への流刑に処した。


皇帝が腹に据えかねていたのは、巨大かご一つの問題ではなかろうが、
すべてが一事が万事だったことの長年の蓄積だったことはまちがいない。


巨大かごは、うたかたの夢の跡かや・・・。


   

   前門・大柵欄。鋏の老舗ですな。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
祝再開 (~弥勒~)
2015-12-27 18:10:42
もうNETを止められたのかな?それとも追放になり日本に帰ったのか?と思ってました。
本日数か月ぶりにチェックしたところ再開してるではありませんか。カレンダーで追っかけてすべて読みました。毎回「ポチッ」ってしましたけど励みになりましたでしょうか。
清代のかごの話面白いです。本を16冊も買うなど、すごい!中国語を読めたら見たい本だらけです、いいなぁ。
福島かおりさんは今、毎週1回TBSラジオで「今週の中国ニュースクリップ」ってのをやってます。
引き続き頻繁にチェックします。
返信する
トイレ付キター (炎のクリエイター)
2015-12-29 08:26:55
おはようです。(*⌒ー⌒*)ゞ

キッチンとトイレも付いているって・・・・
冗談で書かかせてもらったんですが、
本当にあったなんて・・・
身の回りの世話をする人も一緒に乗るって!

少し、常識からはずれていますよね。(笑)
いつもありがとうです。(^_-)-☆ぽち!
返信する
Unknown (いーちんたん)
2016-01-03 10:06:44
>弥勒さんへ

お久しぶりです!

しばらくお休みしておりましたが、
また見に来ていただいて、大変嬉しく思っています。

はい。。。。
追放されずにまだ何とかやっております(笑)。

「ポチッ」ももちろん励みになっていますー。
ありがとうございます!

また今後ともよろしくお願いしますー。

>炎のクリエイターさんへ

はいー。
炎のクリエイターさん、予知能力を
お持ちなのかと思ってしまいましたよー(笑)。

中央集権の集約力にいつも驚きが
隠せないですねー。
返信する

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