6月8日7時30分に宿泊先の西鉄イン天神を出発。8時に関西のTさんと合流し[特急]リレーつばめ35号 博多発8時28分に乗車、熊本へ9時55分着。
駅には熊本のIさんが出迎えてくれていた。 ホテルニューオオタニにて中津のMさん、Jさん、関東のSさんと合流。
全員揃うまでに時間があったので花岡山へ。JR熊本駅の近くにあり、標高133mである。頂上に立つインドから寄贈されたお釈迦様の骨である仏舎利を納めた白い仏舎利塔(写真1)があり、 ここからは熊本市街(写真2)も一望できる。
写真1 仏舎利塔
写真2 花岡山から市街地を望む
昼食はニューオオタニ中国料理大観苑。関東よりNさん到着。 Iさんのお薦めの新鮮な海の幸を使った鶏ガラベースの具だくさん春雨スープ太平燕(写真3)を頂く。大変美味であった。
写真3 春雨スープ太平燕
水前寺公園で関東のYさんと合流。8人全員が揃う。
水前寺公園は1632年肥後の領主細川忠利によって築造され、「桃山式回遊庭園」東海道五十三次になぞらえたと言われている。
写真4 水前寺公園 富士山に見立てられた築山
成趣園「古今伝授の間」(写真5)にて美しい水前寺公園を眺めながらお茶席を。
「古今伝授の間」は、1912年に京都から移築したものだということです。
県指定有形文化財になっています。
細川家古流のお手前のお抹茶を頂く。
私は千宗旦の流れを組む裏千家の茶道を少しばかり嗜みました。
細川家古流のお点前とは何処が違うのだろうと興味深くお点前を拝見。
肥後古流(ひごこりゅう)は、熊本藩で伝承された茶道の流派の一つである。
お辞儀からして武士の茶道といった感じ。お道具類はどの流派も似たようなものですがお点前をするときの正面が床の間ではなく、正客と同方向をむいて点てることや袱紗のたたみ方、また袱紗を右につけたりお茶碗を2つ重ねるなど細かいところが違っていて、面白い。
袱紗を右腰につけるのは、左腰は刀をつけるからだそうです。
茶道流派は表千家、裏千家、武者小路千家流、藪内流、小堀流などは知っていたが何と 30数種の流派があったのです。
茶碗は高田(こうだ)焼き、菓子皿は小岱(しょうだい)焼きでした。(写真6)(現在は小代の文字を使っているということです)
白い満月を思わせるこの和菓子は、皇室へも御献上されたという「望月」です。
我が家では高田焼きの花瓶、小岱焼きの湯飲み茶碗は50年間愛用しています。
お菓子、お抹茶と頂き至福の時に浸りました。
茶室よりの水前寺公園池は額に入れられたような眺め。(写真7)
写真5 古今伝受の間
写真6 お茶菓子
写真6 細川家紋入りの菓子皿
写真7 茶室より水前寺公園の眺め
次に立田自然公園へ
細川家の菩提寺として建立された泰勝寺(たいしょうじ)(写真8)跡を公園化したもので立田山の麓に位置します。
細川藩初代藤孝夫妻と二代忠興とその妻玉子(ガラシャ)の御廟があります。
元国会議員、細川護熙さんは19代目の当主にあたります。
細川ガラシャは明智光秀の娘で、本名を玉子という。織田信長の仲立ちで細川忠興の妻となったのは、16歳のときであったが、本能寺の変で父光秀が主人の信長を殺したため、玉子は離別され味土野の山中に幽閉された。その後、豊臣秀吉の許しで復縁し、キリスト教の信者となり、ガラシャの洗礼名を授けられた。
忠興が上杉征伐に従軍中、豊臣方では諸侯の婦人たちを人質として大阪城内に入れようとした。玉子はその要求を拒み、「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」の辞世を残して玉造邸に火を放たせ、38歳の生涯を終えた
宮本武蔵のお墓もあり)細川藩の兵法指南役として格別の待遇で迎えられた武蔵は、二天一流兵法をあみ出し「兵法三十五ヶ条の覚書」、集大成として「五輪書」を残し1645年(正保2年)62歳でこの世をさりました。
周りには竹林があり新緑のこの時期とても美しい。市民の憩いの場になっているとのことです。
写真8 泰勝寺
写真9 四つの御廟
写真10 ガラシア夫人の墓
写真11 ガラシア夫人の手水鉢
写真12 竹林
北岡自然公園に向かう途中の橋には狸が。(写真13)
♪あんたがたどこさ ひごさ ひごどこさ くまもとさ
くまもとどこさ せんばさ せんば山には たぬきがおってさ
それをりょうしが てっぽうでうってさ
にてさ やいてさ たべてさ
それをこのはで ちょいとかぶせ♪
8人全員が幼少の頃を思い出し口ずさむ。
写真13
北岡自然公園
花岡山の麓にあり、細川家菩提寺妙解寺跡として、園内には今も歴代藩主やその妻子等の墓が並んでいます。「熊本藩主細川家墓所」として泰勝寺跡(立田自然公園)とともに国の史跡に指定されています。
写真14 北岡自然公園入り口
写真15 細川四代目光尚公の霊廟
私たちの案内役を務めた眼科出田病院を見学。西日本一と云われるだけあって眼科医、患者数など驚くような数字。
アークホテルチェックイン後キャッスルホテルにて夕食。
先ず、玄関ですてきな花がお出迎え(写真16)。
キャッスルホテル 細川家古料理(写真17)を頂く。
調理長の説明を聞きながらメニュー(写真18)に合わせて当時の細川家の料理を味あう、美味しい。
写真16 ホテル内花
写真17 細川家古料理
写真18 メニュー
駅には熊本のIさんが出迎えてくれていた。 ホテルニューオオタニにて中津のMさん、Jさん、関東のSさんと合流。
全員揃うまでに時間があったので花岡山へ。JR熊本駅の近くにあり、標高133mである。頂上に立つインドから寄贈されたお釈迦様の骨である仏舎利を納めた白い仏舎利塔(写真1)があり、 ここからは熊本市街(写真2)も一望できる。
写真1 仏舎利塔
写真2 花岡山から市街地を望む
昼食はニューオオタニ中国料理大観苑。関東よりNさん到着。 Iさんのお薦めの新鮮な海の幸を使った鶏ガラベースの具だくさん春雨スープ太平燕(写真3)を頂く。大変美味であった。
写真3 春雨スープ太平燕
水前寺公園で関東のYさんと合流。8人全員が揃う。
水前寺公園は1632年肥後の領主細川忠利によって築造され、「桃山式回遊庭園」東海道五十三次になぞらえたと言われている。
写真4 水前寺公園 富士山に見立てられた築山
成趣園「古今伝授の間」(写真5)にて美しい水前寺公園を眺めながらお茶席を。
「古今伝授の間」は、1912年に京都から移築したものだということです。
県指定有形文化財になっています。
細川家古流のお手前のお抹茶を頂く。
私は千宗旦の流れを組む裏千家の茶道を少しばかり嗜みました。
細川家古流のお点前とは何処が違うのだろうと興味深くお点前を拝見。
肥後古流(ひごこりゅう)は、熊本藩で伝承された茶道の流派の一つである。
お辞儀からして武士の茶道といった感じ。お道具類はどの流派も似たようなものですがお点前をするときの正面が床の間ではなく、正客と同方向をむいて点てることや袱紗のたたみ方、また袱紗を右につけたりお茶碗を2つ重ねるなど細かいところが違っていて、面白い。
袱紗を右腰につけるのは、左腰は刀をつけるからだそうです。
茶道流派は表千家、裏千家、武者小路千家流、藪内流、小堀流などは知っていたが何と 30数種の流派があったのです。
茶碗は高田(こうだ)焼き、菓子皿は小岱(しょうだい)焼きでした。(写真6)(現在は小代の文字を使っているということです)
白い満月を思わせるこの和菓子は、皇室へも御献上されたという「望月」です。
我が家では高田焼きの花瓶、小岱焼きの湯飲み茶碗は50年間愛用しています。
お菓子、お抹茶と頂き至福の時に浸りました。
茶室よりの水前寺公園池は額に入れられたような眺め。(写真7)
写真5 古今伝受の間
写真6 お茶菓子
写真6 細川家紋入りの菓子皿
写真7 茶室より水前寺公園の眺め
次に立田自然公園へ
細川家の菩提寺として建立された泰勝寺(たいしょうじ)(写真8)跡を公園化したもので立田山の麓に位置します。
細川藩初代藤孝夫妻と二代忠興とその妻玉子(ガラシャ)の御廟があります。
元国会議員、細川護熙さんは19代目の当主にあたります。
細川ガラシャは明智光秀の娘で、本名を玉子という。織田信長の仲立ちで細川忠興の妻となったのは、16歳のときであったが、本能寺の変で父光秀が主人の信長を殺したため、玉子は離別され味土野の山中に幽閉された。その後、豊臣秀吉の許しで復縁し、キリスト教の信者となり、ガラシャの洗礼名を授けられた。
忠興が上杉征伐に従軍中、豊臣方では諸侯の婦人たちを人質として大阪城内に入れようとした。玉子はその要求を拒み、「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」の辞世を残して玉造邸に火を放たせ、38歳の生涯を終えた
宮本武蔵のお墓もあり)細川藩の兵法指南役として格別の待遇で迎えられた武蔵は、二天一流兵法をあみ出し「兵法三十五ヶ条の覚書」、集大成として「五輪書」を残し1645年(正保2年)62歳でこの世をさりました。
周りには竹林があり新緑のこの時期とても美しい。市民の憩いの場になっているとのことです。
写真8 泰勝寺
写真9 四つの御廟
写真10 ガラシア夫人の墓
写真11 ガラシア夫人の手水鉢
写真12 竹林
北岡自然公園に向かう途中の橋には狸が。(写真13)
♪あんたがたどこさ ひごさ ひごどこさ くまもとさ
くまもとどこさ せんばさ せんば山には たぬきがおってさ
それをりょうしが てっぽうでうってさ
にてさ やいてさ たべてさ
それをこのはで ちょいとかぶせ♪
8人全員が幼少の頃を思い出し口ずさむ。
写真13
北岡自然公園
花岡山の麓にあり、細川家菩提寺妙解寺跡として、園内には今も歴代藩主やその妻子等の墓が並んでいます。「熊本藩主細川家墓所」として泰勝寺跡(立田自然公園)とともに国の史跡に指定されています。
写真14 北岡自然公園入り口
写真15 細川四代目光尚公の霊廟
私たちの案内役を務めた眼科出田病院を見学。西日本一と云われるだけあって眼科医、患者数など驚くような数字。
アークホテルチェックイン後キャッスルホテルにて夕食。
先ず、玄関ですてきな花がお出迎え(写真16)。
キャッスルホテル 細川家古料理(写真17)を頂く。
調理長の説明を聞きながらメニュー(写真18)に合わせて当時の細川家の料理を味あう、美味しい。
写真16 ホテル内花
写真17 細川家古料理
写真18 メニュー
熊本といえば阿蘇、熊本城、水前寺公園をなんどか訪れました。
今回の旅は夏目漱石、森鴎外、宮本武蔵など文学歴史散策ができ、熊本の新しい発見が沢山ありました。
もっと時間をかけて歩いてみたい、これは宿題です。いつの日か、もう一度訪れたいですね。
とびうおさん達の期も一昨年行かれたのですよね。
写真が良いので生唾が出てます
実際に食した方は何度でもおいしさを
思い出している事でしょう
美術鑑賞も落ち着いた歴史を感じさせてくれます
熊本は仕事で行くことは多いのですが
ばたばたするだけで通りすぎます
このような芸術の姿がある事を改めて
見直しました
コメントありがとうございます。
熊本は何度か訪れているのですが今回の旅は歴史散策と云うことで多くのことを学びました。ブログには歴史的なことはあまり触れずに旅行記として書きました。また、写真は人物を避けました。
9期のブログには参加者皆さんの写真を掲載してそのうち載せます。
この旅行のアルバムの作成を皆さんに期待され、プレッシャーになっています。自分の日記とは違って間違ったことを書けない、時間が取れないなどいろいろです。
Mさんが180枚の写真が入ったCDを送ってくれているし、私は250枚くらい撮っているのでその選別とプリンターでの印刷を7月10日以降に作業に入ります。
7月5日からの全国七夕サミットに展示の和紙人形の仕上げに追い込みです。平安の雅楽の男女5人です。
明日は関西誠鏡会総会です。
桂出丸さんという高村さんと私の知り合いの落語家に出演依頼しています。2時開場ですが出丸さんは12時に来られるということなので私は11時には会場入りします。ラッキーなことに、今日は雨ですが明日は晴れ、翌日からまた雨の情報です。
このところいろんな会には和服で参加してますので雨が降ると困ります。
総会には舛添要一議員も来て下さいます。
旅行記のアップを楽しんでいます。
どの写真もきれいですね。菖蒲園の写真とは違って、落ち着いた風情が満載ですね。
私は、食べ物に心惹かれます。
写真3 春雨スープ太平燕
写真6 お茶菓子
写真17 細川家古料理
どれも美味しそうでした。
中津のMさん、熊本のお医者さん、などなどしばらく会っていない人たちを懐かしく感じます。
楽しくてよい旅行が出来たことがわかります。
つか