♪次♪の部屋

和紙人形・デコパージュ・料理・旅行記

ミモザクルージング

2022-03-13 16:51:27 | 観光、旅行、山歩き

以前にもお誘いを貰っていたクルージング、今回はミモザクルージングと言うことで参加しました。

毎年3月8日はミモザの日。女性が社会参加できるように呼び掛ける1975年制定の「国際女性デー」でもある。
土佐堀川、堂島川を巡る45分のコース

定員13名に3名でゆったりと。
船室にはミモザの花が

今回は橋の向こうに橋というテーマで撮った。

福岡県の地名が・・・・。

橋は米問屋の名が付けられているとのこと。

川から眺めるビルはまた趣が違った。

15分毎に噴水が、ラッキー

川から見る中之島中央公会堂

中之島美術館

八軒家浜船着場
江戸時代には、同地は船宿などが8軒並んでいたことから「八軒家浜」と呼ばれるようになり、京(伏見)と大坂を結ぶ「三十石船」と呼ばれる過書船のターミナルとなるなど、淀川舟運の要衝として栄えた。

丁寧にいろんな事を説明していただいて、川に対してのイメージが今までとは変わってきたと思った。

乗船記念にミモザの花をいただいた

アレンジして食卓に添えた

私からは、ミモザを手描き染めした布巾を差し上げた。

慌てて描いたのであまりで良くなかったが、喜んでいただいて嬉しかった。

感謝、感謝の一日だった。

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二泊三日富嶽三十六景巡りの旅

2009-04-06 23:38:55 | 観光、旅行、山歩き

3月16、17,18日の2泊3日のバスツアーに参加。

1日目。
難波=梅田=(名神・東名)=①富士川SA=②田子の浦港=③岩本山公園=④龍巖淵終編=⑤富士山本宮浅間大社=⑥田貫湖=⑦朝霧高原=⑧本栖湖=⑨精進湖=⑩西湖=⑪湖北ビューライン=⑫河口湖=⑬河口湖大橋=⑭河口湖温泉(泊)

梅田8時出発。
名神・東名を走り富士川SAにて昼食。
最初の霊峰富士山を仰ぐ。

田子の浦港より



岩本山公園より
梅林の梅は終わっていたが、紅梅、白梅、桜、ツツジが咲いていた。

牧ノ原茶畑

日本のお茶の2割の生産量を誇る。静岡県は5割の生産。
朝霧高原、富士山本宮浅間大社など車窓観光。

あの上九一色村内にある精進湖と本栖湖を車窓観光。。
旧五千円札の富士山がこの付近からの画像、それだけにこの付近からの富士山は美しい。
が、右側の席からは残念ながら撮影は無理だった。
上九一色村は現在富士河口湖町となっている。

富士五湖は7,8回行ったが、天候に恵まれたのは47年前、20年前、5年前の3回。
今回は好天に恵まれ、富士山を間近に見ることが出来た。

田貫湖。富士六湖としての湖。

西湖を過ぎて湖北ビューラインを抜けると河口湖が見える。河口湖大橋を渡って宿泊地の河口湖温泉へ。

夕食。

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河口湖畔からの黄昏の富士山。

2日目
宿=⑮忍野八海=⑯花の都公園=⑰山中湖=⑱東富士五湖道路=⑲御殿場わさびの郷=⑳御殿場平和公園=○21仏舎利塔=○22御殿場風車ガーデン=○23ふじみ茶屋=○24乙女峠=○25箱根芦ノ湖=○26恩賜箱根公園=○27山中城跡=○28柿田川湧水公園=○29千本浜海岸=熱海温泉泊

朝日を浴びた富士山が河口湖に逆さ富士となって映し出される、これを撮るために5時起床、5時30分より宿から2,3分歩いてビューポイントにカメラを構えるが、雲が厚く富士山は顔を出さず終い。

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山中湖を右に眺めながら忍野八海へ。
残念ながら富士山は雲の中。
5年前に訪れたときは、水車の向こうに富士山がくっきりと浮かび上がっていた。


東富士五湖道路を走っていると富士山が顔を出してきた。

御殿場わさびの郷。
一面のわさび畑。ここのわさびアイスクリームが美味しかった。
わさび塩をかけて頂く。わさび塩を買い求める。
 images

御殿場平和公園

仏舎利塔
御殿場風車ガーデン

車窓より、箱根仙石原湿原植物群落 箱根笹が一面に。

箱根芦ノ湖 箱根神社(車窓より)
images images

恩賜箱根公園より

駒ヶ岳


この日の昼食は自由食だったのでソバを選んだ。
黒い卵は一つ食べると7年寿命が延びると言われている。
真っ白い卵が温泉につけると黒くなるという。
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山中城跡より

 images
柿田河湧き水公園内にある湧き水を見るには階段を降りなければならなかった。

千本浜海岸より


熱海温泉(宿)
前日と同様、夕飯は地物の美味しい桜エビ、アシタバなどの食材を使った料理が満載。

images images images 

            桜エビ、アシタバ天ぷら

images  images images
            桜エビご飯
部屋から熱海城を。

3日目
宿=○30箱根ターンバイク○31大観山=○32十国峠=○33姫の沢公園○34達磨山スカイライン=海産物買物=○35駿河湾フェリー~清水港=○36三保の松原=東名・名神=梅田=難波

今日も快晴。宿より朝の海。

大観山

十国峠
images

姫の沢公園
かつらぎ山山頂より



達磨山スカイラインを通り達磨山へ。




スカイライン車窓より

海産物買い物
土肥港から駿河湾フェリーで清水港へ。
images images

船上より

三保の松原

三保の松原からは微かに富士山の姿が。

3日間に亘って何とか富士山を仰ぐことが出来たのは、ラッキーだった。

車窓、下車観光を含めて36箇所から眺めた富士山。
どの角度から見ても富士山は同じ形。
この素晴らしい富士山は未だ世界遺産に登録されていない。
富士五湖のある箇所にはゴミが目立っていた。残念!

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H20造幣局通り抜け

2008-04-28 03:01:11 | 観光、旅行、山歩き
4月16日から22日まで大阪春の風物詩である造幣局通り抜けが開催された。
北九州からやって来た同期親友と一緒に21日に出かけた。
桜はすでに散ってしまっている木が2割ほどあり、満開を過ぎた木も多かった。
それでも125種、370本、全国各地からの桜が560mほど、通路両側からトンネルの花道になっていて、満開の花がその美しさを競っていた。

いつもは夜のライトアップを楽しんでいたが、今回は4時頃造幣局の門を潜った。

造幣局では親しみを持って貰うために毎年、数ある品種から今年の花として一種を選んでいる。
今年の花は「普賢象(ふげんぞう)」。



花の中から葉化した2つの雌しべが突き出し、その先端が屈曲する、その状態が、普賢菩薩の乗る象の鼻にいて何時所からこの名がついたと説明にあった。

珍しい緑の花びらを持つ御衣黄(ごいこう)。



1時間ほど花を愛でながら写真を撮り、夜のライトアップを見るために出発点へ戻り、そこで休憩をし、暗くなるのを待つことにした。
ライトアップが始まってもまだ、明るいので大勢の人がここで待っていた。

薄暗くなってくると昼間とは全く違った幻想的な雰囲気が醸し出された。



スライドショーにしました。
下記URLをクリックするorアドレス(D)に貼り付けるとブリーフケースが開きます。
造幣局通り抜けをクリックし、60秒でスライドショーが始まります。

http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/doutan2000/lst?.dir=/efc1&.order=&.view=l&.src=bc&.done=http%3a//briefcase.yahoo.co.jp/

http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/doutan2000/lst?.dir=/efc1&.src=bc&.view=

造幣局の桜の種類は下記参照
http://www.mint.go.jp/sakura/torinuke/sakura_01.html








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河内貯水池&門司レトロ

2007-11-21 00:35:47 | 観光、旅行、山歩き

11月10日開催される同総会出席の為、9日より北九州へ。9日小倉より車にて河内貯水池へ久しぶりに行くことに。目的は河内にある南河内橋(メガネ橋)が昨年12月に建造物で国の重要文化財に指定されたのであらためて見に行くことにした。 母校大蔵校舎はこの河内と我が町勝山町に挟まれて建っていた。現在は移転して清田の丘にある。 子供の頃からこの河内には何度足を運んだことでしょう。そして見慣れた赤い眼鏡橋、正式名南河内橋が文化財に指定となった。

この橋はレンティキュラー・トラス(レンズ型トラス)と呼ばれる建築様式で建造された鋼橋で日本に唯一現存する橋で、その橋梁技術史上の価値が高く評価されているということです。 貯水池の廻りには桜が植えられていて八幡在住時、春には花見に毎年訪れていた。

この貯水池は八幡製鉄所(現新日鐵)の工業用水を確保するためにつくられ、ダムの堰堤は石造りになっている。 そこから少し行くと九州民芸ある。

 

家具工房、民芸工芸館、ステンドグラス工房、染織工房など15館の工房があり、それぞれの工房では体験出来る。時間が無かったので今回も体験はせずに見学だけとなった。ここは4度目の訪問であった。 ガラス工房は美しく輝いているグラスに目を奪われた。

ペーパーウェイトをひとつ購入。

次は夕景の美しい門司レトロへ。ここは何度訪れたことでしょう。10回以上になるでしょう。

 

 

旧門司三井クラブ 夕照が美しい。

遙かに下関海峡夢タワーが。 だんだんと陽が落ちて。

3年前に宿泊した門司港ホテル夜景。

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龍神温泉

2007-11-05 22:38:46 | 観光、旅行、山歩き
10月28日、龍神温泉に行きませんかとあるボランティアなど幅広い活動をしている女性経営者からの誘いで行くことにした。
前から一度行ったみたかった高野龍神スカイライン、日本一長いと云われる谷瀬のつり橋を想像し、紅葉は今年はまだ早いかな思いつつそれでも胸を弾ませながら天王寺から8人乗りの車に乗り込んだ。
阪和自動車道を吉備インターで降り、そこからみかんの産地である有田川に沿って渓谷の景観を楽しみながら車に揺られる。白馬トンネルを過ぎると今度は日高川の景観が。
スカイラインらしき道は全く現れない。(???)
漸く目的地に到着。

先ず、宮代小学校へ。ここでは文化祭が開催されていた。

ここでこのツアーの目的が何であるかを悟ることが出来た。このツアーは「龍神温泉と村歩き」と云うことで募集していたのでした。
観光ツアーではなかったのです。

校舎が素朴で良い、門を入ると二宮金次郎の石像になんとなく懐かしさを憶えた。



村の人たちと生徒達の餅つきが丁度終わっていて、お餅をご馳走になった。
教室には生徒達の書いた作品が貼ってあったが皆美しい文字で書かれていたのに驚かされた。1学年平均3人、先生の指導が行き届いてことが感じられた。
文化祭の会場には大人の作品、貼り絵、絵画、活け花、押し花などが展示されていてどれも素晴らしかった。
中でも珍しかったのは鹿の頭蓋骨で作られた飾り物でした。



木造の体育館には昔の農機具や筵やがんじきの織機などが展示されていた。
校舎の廊下や体育館の壁は贅沢に杉などの木が使われていた。



日高川に架けられた吊り橋をこわごわ渡って中腹にある東光寺薬師堂まで行った。


吊り橋


東光寺薬師堂

そこに吊されていたのは穴のあいた面白い石。
耳が悪い人がこの石を奉ると治るという言い伝えがあるらしく、河原でそれを探すのだそうです。上手く穴のあいた石があるものです。


穴が開いている川原石

境内で村の人たちが地元の野菜で作ってくれたお弁当を頂いた。



村案内人によって森林浴をしながらゆっくりと歩いての里山散策は、秋の爽やかな風を受けてとても気持ちが良いものだった。。


里山風景

帰りに龍神温泉にゆっくり浸り、湯船からは始まったばかりの木々の紅葉を楽しみ、天王寺に8時着でした。
イメージしていたツアーと違っていましたが、日頃できない様な素晴らしい体験ができ良かったかなと思いました。
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和泉葛城山へ

2007-10-16 23:02:11 | 観光、旅行、山歩き
日根野から犬鳴山を山越えし、県道62号泉佐野打田線で和歌山へ行く途中に神通温泉がある。そこを左折して今日は葛城高原へドライブ。
ここから紀泉高原スカイラインになる。

紀泉高原スカイラインは大阪府と和歌山県の境の稜線を走っていく。稜線と行っても林道を通っていくので木が多い。綺麗に整備された道路は所々紅葉が始まっていてそんな景色を楽しみながらのドライブ、今時こんな道路が通行料無料というのも珍しいのでは。

しばらく行くとハイランドパーク粉河につく。



以前はなかったが5本松展望台が出来ていた。


しかしながら、駐車場の利用時間は午前10時~午後5時、火曜日休園日と表示さ
れていた。今日は火曜日だった。
駐車場にも入ることが出来ず、売店も休日であった。
ここを起点に高原歩きをと思って出かけてきたのに。平日とはいえすれ違う車が少ないなと思っていた。
それにしても、公園に定休日があるとは信じられない。ここは和歌山県粉河町の管轄らしい。

私たちと同年代の夫婦の乗った車が数台やって来たがすぐに走り去っていった。
ここは和歌山百選に選ばれている夕陽の景勝地であるらしいが夕方までは時間が余りすぎる。







写真を数枚撮り更に3キロほど車で進んで行くと「金剛生駒紀泉国定公園 葛城山園地」と書かれていた。
平成8年10月「金剛生駒国定公園」に紀泉高原とその周辺が取り入れられて、「金剛生駒紀泉国定公園」と改称されたらしい。
駐車場(無料)に車をおいて、龍王神社へ。


修験道「葛城の峰二十八宿」の第九番の行場として、八大竜王の社が。
この辺りが葛城山山頂のようで標高858m。



更に奥に行くと葛城山石宝殿附玉垣がありました。





龍王神社の階段手前まで戻ると「大阪みどりの百選・和泉葛城山のブナ林」の石碑と、「和泉葛城山の森とブナ林」の案内板がありました。





ブナ林の遊歩道を進と円柱方のコンクリートの展望台があり階段は螺旋になっていて上まで登ると大阪湾が一望。



ガスがかかっていて微かに関空が見えましたがその向こうには淡路島、神戸まで望める筈です。
写真は右から岸和田市、貝塚市、泉佐野市、田尻町、泉南市。



このあたりのブナ林は国の天然記念物に指定されている。
その周辺も整備されていてススキなどが周りの木々にマッチしていて、最高のロケーションです。





木肌に白い斑点があるのがブナの木です。



最後にこんな木が、赤い花が沢山ついていましたが何の木か判りません。
どなたか教えて下さい。



また、和泉山脈には三つの葛城山がありますがここは和泉葛城山です。

テレビで自分の足に合わせた靴底の中敷きを作り店が紹介されていました。。
足に合ってない靴は膝に負担がかかるらしく、早速その店を探して、足のサイズを細かく採寸し、それに合わせて登山靴と中敷きを買ったのです。
その靴の足慣らしに軽いハイキングに出かけました。
靴はゴアーテックス、履き心地はまずまず、中敷きは私の足裏に合わせて作っているので多分長く歩いても今までより疲れが軽いのではと、次の登山が楽しみです。

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肥後の歴史と自然探訪3日間(3日目)

2007-07-03 03:09:05 | 観光、旅行、山歩き
朝、宿のすぐ近くにある道の駅を覗いてみた。
和製グレープフルーツと云われている晩柑を買おうと思っていたが残念ながら日曜日で市場が休み。

8時30分出発。鏡が池という伝説の池に高校の後輩である宿のオーナーAさんが案内してくれた。

~恋する女性が、コインを投げ入れ、愛しい人との再会を願う泉。
小国両神社参道の近くにあり、澄んだ水をたたえる鏡ヶ池には、 薄幸のヒロイン小松女院の悲恋の物語が秘められていた。
小松院は大切な鏡をとり出して、正高に会うことができるよう、お祈りをして鏡を池に投げ入れました。後に村人は鏡を見て鏡ヶ池と名づけました。
 十二面の鏡は、湧き水のため砂にかくれたり現れたりしていました。十二面全部が現れて見える時は、宮原(小国町宮原)に異変が起こるといわれています。~
とAさんが説明してくれまました。

暫く行くと鍋が滝の入り口に着きました。
滑らないよう古くなった絨毯などが引かれている杉林の急な坂道を5分下って行くと川に辿り着き、そこには落差10mくらいかな、幅は25m少しくらいの程の滝(写真1)が現れました。
裏見の滝(写真2)になっていて、裏に回ると大きく剔られた洞窟になっていました。

この滝は 松嶋菜々子の「生茶」のロケ地になったそうです。


写真1 鍋が滝


写真2 裏から見た鍋が滝

次に案内してくれたのは挿戸岩
脇道を入り細い道を進んでいくこと30分で駐車場に着く。そこからなだらかな丘を10分程登っていくと阿蘇の五岳、湧蓋山、久住連山と眺める事が出来る。狭い道からは想像も出来ないほどの360度のパノラマです。
阿蘇北外輪山の草原になっているようですが大小様々な石、いや岩が群をなしていました。(写真3)
一際大きな岩、それが押戸石です。(写真4)

頂上付近の岩から古代オリエント文明の文字 ペトログラフ(岩刻文字)が発見され、シュメール系海洋民族の祭礼の場であったといわれているようです。
周りには高山植物である黄色のキジムシロ 姫女苑 アザミ(写真5)などが咲き乱れ ハーブであるローズマリーもありました。
この時点で、噴煙を上げる中岳が見え少々気になりました。


写真3 岩群


写真4 押戸岩 遠く阿蘇五岳が見える。


写真5 アザミ

元の道まで戻ったところでAさんとお別れです。
仕事の時間を割いて案内をして下さったオーナーに全員感謝。

大観峰(写真6)へ到着、時間が大幅に遅れているためゆっくり出来ずとりあえず写真撮影を。
修学旅行生や観光客が多かった。


写真6 大観峰

米塚も車窓観光となった。
漸く阿蘇登山口に到着。なんとガスが出ているため規制がかかって噴火口まで行くことが出来ない。残念。ミヤマキリシマ(写真7)が所々僅かに色褪せた形で咲いていた。


写真7 色褪せたミヤマキリシマ

昼食は高森町色見の四季見茶屋の豆腐料理。(写真8)
趣向を凝らした豆腐料理は美味しく頂いた。食後豆乳アイスクリームも美味しかった。


写真8 豆腐料理

ここからは根子岳などが裏側からの眺めになった。(写真9)


写真9 高森町から根子岳を

最後の目的地である南阿蘇国民休暇村野草園へ。
はなしのぶが満開との情報をI さんが事前に知らせてくれていた。
ハナシノブ科の多年草(写真10)。阿蘇地方特産の貴重な植物で、初夏に薄紫色の花を咲かせます。

~御来熊された妃殿下は、ハナシノブノ花名をお耳に留められ、その美しい名を持つ花に大変興味をお持ちになられた。皇居で育てみたいとのお気持ちを聞き種子が献上され、美智子皇后様の手によって育てられた。これはそれを記念に作られた陶板(写真11)です。


写真10 はなしのぶ


写真11 陶板

3日間の行程が終わり熊本空港から二人、熊本駅からJRで三人、車で中津まで二人とそれぞれが帰途に。

この旅行では得るもが多々ありました。自分なりに一回りも二回りも大きくなった(?)と思いたい旅でした。
いろんな方達にお世話になった本当に楽しい旅でもありました。 
感謝、感謝です。                   おわり


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肥後の歴史と自然探訪3日間(2日目)

2007-06-27 00:30:59 | 観光、旅行、山歩き
朝の熊本城散策のため6時集合。
昨夜宿泊したアークホテルが見える。(写真1)

サツキのシーズンが終っていたNHK文化センター(写真2)前を通って熊本城横にある加藤神社へ。


写真1 アークホテル


写真2 右がNHK文化センター 前方には熊本城が

加藤神社(写真3)は戦国時代の武将加藤清正を主神とする神社である。
事前にIさんが神主さんにお願いしていたのでここで節目の年である古稀のお祓いを8人で受けることに。
一同神妙な顔で1人1人名前を呼ばれると玉串俸奠、現在まで元気に生きてこられたことへ感謝の気持ちを新たにしました。
境内には清正公の旗立石、清正公肥後入国400年記念碑や虎の像など清正公ゆかりのものが祭ってありました。
境内から見上げる天守閣と宇土櫓の眺めが絶景。(写真4)
お祓いの記念にお土産を頂いた。


写真3 加藤神社


写真4 加藤神社から城を望む


写真5 記念に頂いたお土産

二の丸広場(写真6)当たりを散策し、長塀(写真7)を眺めながらホテルへ戻る。


写真6 二の丸広場にはこんな大きな木が(この木何の木 気になる木・・・)


写真7 長塀

ホテルに戻り朝食。普段は朝ゆっくりの起床でしたが、早起きした今日の朝食は格別に美味しい。


今度は車で熊本城(写真8)へ向かう。


写真8 熊本城 

日本三名城の一つに数えられる熊本城は加藤清正公が築城し、今年400年を迎えるという記念の年です。
城域の周囲が約5.3km、面積は約98平方kmという規模の大きさで難攻不落の城としても有名です。築城当時は重厚な櫓門(やぐらもん)が18、その他の様々な形式の門が29もありました。
私たちは加藤神社に車を置かせて貰ってメーン入口である頬当御門(ほほあてごもん)(写真9)から城内へ。 現在使われている入り口は四カ所です。

なんとIさんはここの城主でした。全員招待券で入場です。(写真10)
熊本城復元のための「一口城主」制度をスタートさせていたのです。


写真9 頬当御門


写真10 城主の招待券

首掛石(写真11)と井戸(写真12)には熊本城の築城に際し次のようなエピソードがあったのです。横手の五郎の物語です。
資料より
~五郎は熊本城下にあたる横手に住んでいた若者で、怪力の持主として知られていました。この大きな石も、数人がかりで運べなかったものを、五郎が首に掛けて一人で運んできたと伝えられています。しかし実は、五郎は仏木坂(ぶっきざか)の戦い(天草)で清正に殺された木山弾正(きやまだんじょう)の遺児で、城づくりを手伝ったのは父の仇を討つためだったのです。ある日、清正を襲った五郎は家来たちに取り押さえられ、古井戸に投げ込まれてしまいました。清正の命令で井戸の上から大きな石が次々と投げ落とされましたが、五郎はそれを片手で受け止めては足下に置きながらどんどん上ってきました。そこで、今度は砂が投げ込まれ、とうとう生き埋めにされてしまったという逸話が残されています ~


写真11 首掛石


写真12 井戸

熊本城天守閣へ階段を上がる。
天守閣の内部は現在、熊本市立熊本博物館の分館となっており、肥後歴代藩主の武具や調度品のほか、西南戦争の資料などが展示していました。
最上階からは熊本の東西南北が展望(写真13)できました。


写真13 最上階からの展望

次は本妙寺へ。
資料より
~本の本妙寺(写真14)は加藤清正(1562~1611)の菩提寺である。元々清正の父、清忠を祭るためであったが、清正が肥後に移ったことをきっかけに、大阪から移してきた。清正の死後、遺言でここに廟を建てた。
廟の横には金宦の墓がある。清正が文禄慶長の役で朝鮮に行ったとき、金宦をはじめとして多くの人を朝鮮から連れてきた。金宦は清正のブレインとして、清正に一目置かれていたという。清正が死亡したときに金宦も殉死した。~

この寺の色あざやかさが資料でなんとなく理解できた。

境内にある本妙寺宝物館(写真15)には加藤家:細川家寄進の宝物、殊に清正公の遺品
日蓮宗及び本妙寺関係の什物など「日本紀竟宴和歌集」「三池典太光世」「安南国勅書」「清正公拵網代鞘短刀祐定」「蛇目紋長烏帽子兜」「朱書の御題目軍旗」「中将棋盤・水無瀬駒」などが展示されていて住職さんが詳しく説明をしてくれました。


写真14 本妙寺


写真15 宝物殿

岳林寺へ
岳林寺(写真16)は隈本城主・城親賢公が眠る曹洞宗の寺である。
りっぱな仁王様(写真17,18)です。
Iさんからここで座禅をとの提案がありましたが膝に何らかのトラブルを持っている人が多く、お経に変更しました。全員(?)で般若心経を唱えました。


写真16 岳林寺



写真17・18 仁王様

ここから夏目漱石の峠の茶屋まで本来なら歩いて行けばいいのですが時間の関係で車で移動。金峰山への道で最初に目にする漱石の句碑(写真19)があった。漱石来熊100年を記念した新しいもので、目的地である鳥越の峠の茶屋の少し手前にありました。
「木瓜(ぼけ)咲くや 漱石拙を 守るべく」
「拙を守る」とは、漱石が好んだ言葉で、生き方の基本としたもの。世渡りが下手なことを自覚しながら、それをよしとして敢えて節を曲げぬ愚直な生き方、俗世に媚びて利を追求する事を卑しとする心だそうです。

「オイと声を掛けたが返事が無い。軒下から奥をのぞくと・・・・」草枕に出てくる茶屋です。
峠の茶屋(写真20)には公園(写真21)や売店があり昼食は皆でだご汁定食(写真22)に決まり。
大きなお鍋に食べきれないほどのだご汁が。


写真19 句碑


写真20 峠の茶屋


写真21 公園


写真22 だご汁(撮影を忘れて食べてしまった)

本日の最後の目的地である雲厳禅寺へ。
金峰山の西麓にある雲巌禅寺(写真23)は、曹洞宗に属する寺で、南北朝時代に日本に渡来した元の禅僧・東陵永が開基したと伝えられています。

境内に入りうっそうと茂った木々に覆われた細い道を進んでいくと右手に五百羅漢(写真24)が並んでいて異様な感じがした。首が取れた、手が取れた五百羅漢、これは熊本商人 淵田屋儀平が24年かけて奉納したということです。

さらに奥に進むと霊厳洞(写真25)があり階段を上ると岩戸観音が安置されてありました。
大きな岩がむき出しになっていて宮本武蔵がここに籠もり「五輪書」を書いたとい
う。


写真23 雲厳禅寺


写真24 五百羅漢


写真25 雲厳洞

今日の宿は後輩が経営しているというユースホステルです。
宿に着くと温泉に車で出かけた。人里離れた温泉でなかなか良いところでした。

夜は地元の材料を使ったオーナーの創作料理、これがまた美味しかった。
オーナーから馬刺のサービスを出して頂き、嬉しいことに同総会肥後からのビールの差し入れもあった。


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肥後の歴史と自然探訪3日間(1日目)

2007-06-21 23:30:35 | 観光、旅行、山歩き
6月8日7時30分に宿泊先の西鉄イン天神を出発。8時に関西のTさんと合流し[特急]リレーつばめ35号 博多発8時28分に乗車、熊本へ9時55分着。
駅には熊本のIさんが出迎えてくれていた。 ホテルニューオオタニにて中津のMさん、Jさん、関東のSさんと合流。
全員揃うまでに時間があったので花岡山へ。JR熊本駅の近くにあり、標高133mである。頂上に立つインドから寄贈されたお釈迦様の骨である仏舎利を納めた白い仏舎利塔(写真1)があり、 ここからは熊本市街(写真2)も一望できる。


写真1 仏舎利塔


写真2 花岡山から市街地を望む

昼食はニューオオタニ中国料理大観苑。関東よりNさん到着。 Iさんのお薦めの新鮮な海の幸を使った鶏ガラベースの具だくさん春雨スープ太平燕(写真3)を頂く。大変美味であった。


写真3 春雨スープ太平燕

水前寺公園で関東のYさんと合流。8人全員が揃う。
水前寺公園は1632年肥後の領主細川忠利によって築造され、「桃山式回遊庭園」東海道五十三次になぞらえたと言われている。


写真4 水前寺公園 富士山に見立てられた築山
 
成趣園「古今伝授の間」(写真5)にて美しい水前寺公園を眺めながらお茶席を。
「古今伝授の間」は、1912年に京都から移築したものだということです。
県指定有形文化財になっています。
細川家古流のお手前のお抹茶を頂く。
私は千宗旦の流れを組む裏千家の茶道を少しばかり嗜みました。
細川家古流のお点前とは何処が違うのだろうと興味深くお点前を拝見。
肥後古流(ひごこりゅう)は、熊本藩で伝承された茶道の流派の一つである。
お辞儀からして武士の茶道といった感じ。お道具類はどの流派も似たようなものですがお点前をするときの正面が床の間ではなく、正客と同方向をむいて点てることや袱紗のたたみ方、また袱紗を右につけたりお茶碗を2つ重ねるなど細かいところが違っていて、面白い。
袱紗を右腰につけるのは、左腰は刀をつけるからだそうです。
茶道流派は表千家、裏千家、武者小路千家流、藪内流、小堀流などは知っていたが何と 30数種の流派があったのです。

茶碗は高田(こうだ)焼き、菓子皿は小岱(しょうだい)焼きでした。(写真6)(現在は小代の文字を使っているということです)
白い満月を思わせるこの和菓子は、皇室へも御献上されたという「望月」です。
我が家では高田焼きの花瓶、小岱焼きの湯飲み茶碗は50年間愛用しています。

お菓子、お抹茶と頂き至福の時に浸りました。

茶室よりの水前寺公園池は額に入れられたような眺め。(写真7)


写真5 古今伝受の間


写真6 お茶菓子


写真6 細川家紋入りの菓子皿


写真7 茶室より水前寺公園の眺め

次に立田自然公園へ
細川家の菩提寺として建立された泰勝寺(たいしょうじ)(写真8)跡を公園化したもので立田山の麓に位置します。

細川藩初代藤孝夫妻と二代忠興とその妻玉子(ガラシャ)の御廟があります。
元国会議員、細川護熙さんは19代目の当主にあたります。

細川ガラシャは明智光秀の娘で、本名を玉子という。織田信長の仲立ちで細川忠興の妻となったのは、16歳のときであったが、本能寺の変で父光秀が主人の信長を殺したため、玉子は離別され味土野の山中に幽閉された。その後、豊臣秀吉の許しで復縁し、キリスト教の信者となり、ガラシャの洗礼名を授けられた。
 忠興が上杉征伐に従軍中、豊臣方では諸侯の婦人たちを人質として大阪城内に入れようとした。玉子はその要求を拒み、「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」の辞世を残して玉造邸に火を放たせ、38歳の生涯を終えた

宮本武蔵のお墓もあり)細川藩の兵法指南役として格別の待遇で迎えられた武蔵は、二天一流兵法をあみ出し「兵法三十五ヶ条の覚書」、集大成として「五輪書」を残し1645年(正保2年)62歳でこの世をさりました。

周りには竹林があり新緑のこの時期とても美しい。市民の憩いの場になっているとのことです。


写真8 泰勝寺


写真9 四つの御廟


写真10 ガラシア夫人の墓


写真11 ガラシア夫人の手水鉢


写真12 竹林 

北岡自然公園に向かう途中の橋には狸が。(写真13)

♪あんたがたどこさ ひごさ ひごどこさ くまもとさ 
 くまもとどこさ せんばさ  せんば山には たぬきがおってさ
 それをりょうしが  てっぽうでうってさ
   にてさ やいてさ たべてさ
    それをこのはで ちょいとかぶせ♪

8人全員が幼少の頃を思い出し口ずさむ。


写真13

北岡自然公園
花岡山の麓にあり、細川家菩提寺妙解寺跡として、園内には今も歴代藩主やその妻子等の墓が並んでいます。「熊本藩主細川家墓所」として泰勝寺跡(立田自然公園)とともに国の史跡に指定されています。


写真14 北岡自然公園入り口


写真15 細川四代目光尚公の霊廟

私たちの案内役を務めた眼科出田病院を見学。西日本一と云われるだけあって眼科医、患者数など驚くような数字。

アークホテルチェックイン後キャッスルホテルにて夕食。
先ず、玄関ですてきな花がお出迎え(写真16)。
キャッスルホテル 細川家古料理(写真17)を頂く。
調理長の説明を聞きながらメニュー(写真18)に合わせて当時の細川家の料理を味あう、美味しい。

写真16 ホテル内花


写真17 細川家古料理



写真18 メニュー
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肥後旅行前日博多へ

2007-06-14 14:08:15 | 観光、旅行、山歩き
8人のメンバーで2泊3日の「肥後歴史と阿蘇自然探訪の旅」に私は5泊6日の旅をしてきました。
熊本に行く途中下車し太宰府天満宮、太宰府菖蒲園、九州国立博物館へ行き博多で一泊しました。帰りにまた博多で2泊です。 

太宰府天満宮
天満宮に続く参道には梅が枝餅の店が軒を連ね、焼きたてのお餅は特に美味しい。


写真1鳥居までの参道に並んでいる店


写真2正面鳥居の参道

鳥居をくぐり橋を渡ると本殿へとつながります。
心字池にかけられたこの橋は手前から太鼓橋、平橋、太鼓橋、これは過去・現在・未来の三世を表しているのだそうです。


写真3心字池にかかる橋


学問の神さま菅原道真公を奉った太宰府天満宮は天満宮の総本山であり、天正19年(1591年)小早川隆景の再建で、国宝重要文化財です。桃山時代の建築様式の華麗さ、豪華さを感じることが出来ます。


写真4桜門


写真5本殿

社殿右には京都から飛んできたという有名な飛び梅、今は花の時期はとっくに過ぎていて、緑の葉が茂っていました。


写真6飛梅

~東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 
主なしとて 春な忘れそ~


3年前に関西福岡県人会の35周年記念誌の編集をしました。
関西と福岡を結ぶに相応しいと言うことで、表紙は「東風吹かば」としました。

太宰府菖蒲園

菖蒲園は菖蒲が満開、先に訪れた大阪の城北菖蒲園とはまた雰囲気が違っていました。


写真7菖蒲1


写真8菖蒲2


写真9菖蒲3


写真10菖蒲4


写真11菖蒲5


写真12菖蒲6


写真13菖蒲7

九州国立博物館

ここは3度目の来訪です。
「未来への贈りもの―中国泰山石経と浄土教美術」展が6月10日まで開催されていました。


写真14九州国立博物館入り口


写真15動く歩道を通過して入場券売場へ


写真16動く歩道を出たところからの博物館


写真17正面入り口

「未来への贈りもの―中国泰山石経と浄土教美術」展について、2泊3日の「肥後歴史と阿蘇自然探訪」は後日アップしたいと思います。


コメント (12)
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北山辺の道を歩く

2007-05-24 02:07:13 | 観光、旅行、山歩き
5月10日、近鉄奈良駅~奈良公園~春日大社~新薬師寺~白豪寺~平尾池~円照寺まで約10kmを11人の参加者で北山辺の道を歩いた。

奈良公園から竹林を抜けると新薬師寺へ。

新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく「あらたかな」薬師寺という意味です。
新薬師寺は聖武天皇眼病平癒祈願の為、天平19年(747)勅願により光明皇后によって建立されました。

暫く歩くと白毫寺へ。

山門


高円山のふもとにあり、境内からは奈良の街を一望できる。
天智天皇の勅願所と伝えられる白毫寺は室町時代に兵火で全焼し鎌倉時代に再興。
本堂と宝蔵・御影堂があり境内には奈良県指定の樹齢400年といわれている天然記念物の五色椿が植えられていて、奈良三名椿の一つであります。
一本の木に赤、白などの五色の花が残っていました。

白毫寺宝蔵


五色椿


山辺の道と言えるような長閑な田園風景の広がる道を歩きながらこんなことをふと考えました。
京都と奈良。修学旅行で訪れた昔、どちらも都会だなという印象でした。
今では観光地としては全く違いを感じます。単純に、京都は何処に行っても人が多い。奈良は人が少ない。交通の発達も違う。京都、奈良それぞれの良さがあります。



細い坂道にさしかかった当たりに野いちごの群生を見つけた。
童心に戻ってそれぞれ子供の頃に口にしたなど思い出話をしながら摘んで食べることに。中には初めて口にしたという人もいた。



途中に白山比神社が。
白山比神社(しらやまひめじんじゃ)は全国に2000社の白山神社があり総本山は石川県白山市三宮町に鎮座する神社である。



最後の目的地である円照寺へ到着。
敷地内に入って山門まで歩くこと数分。





斑鳩の「中宮寺」佐保路の「法華寺」と共に大和三門跡の1つで、代々皇室関係の方が門跡になられ、別名「山村御殿」とも称し、門内は非公開で本来は中に入ることは出来ないのですがお手洗いだけはお借りすることができそれを理由に門内に入ることが出来ました。竹林と小山が広がっていて手入れの行き届いた静かな佇まいの門内、華道「山村御流(ごりゅう)」の家元でもあります。新緑が本当に綺麗、空気がきれい、なんだか視力が良くなったような気がしました。入り口には防犯センサーが設置してありました。




大和青垣国定公園にある広大池を通りバス停まで歩く。



ここから奈良駅まではバスで移動。

今日はアップ、ダウンがあまり無く楽に歩くことが出来たウオーキング会でした。



コメント (6)
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神戸ルミナリエ2006年

2006-12-18 02:21:08 | 観光、旅行、山歩き
神戸ルミナリエも今年で12回目を迎え、12月12日から25日まで開催されています。1995年の「夢と光」から始まり今年のテーマは「空の魅惑」。
このところ天気があまり芳しくなく行くチャンスを狙っていましたが15日は比較的暖かくしかも快晴。
天王寺に買い物に出かけたついでに神戸まで足を延ばすことに。
三宮に3時過ぎ到着、元町まで歩き3時30分頃から開催地の出発地点で格好の座り場所を確保し待つことにした。

点灯前のルミナリエ    



点灯は6時予定。幸いこの日は5時30分点灯となった。
鎮魂歌のコーラスが2曲流れ教会の鐘の音で一斉に点灯、、真っ暗の夜空に浮かび上がった高さ23mもある光の回廊。歓声が上がる。

ガレリア入口の電飾



光のトンネル



光のトンネルを通り抜け東遊園地内の「スパッリエーラ」という円形の装飾







遊園地内にはあちこち募金箱が置かれていたが「スパッリエーラ」の中に今年初めて作られた募金箱には多くの人々がお賽銭をあげる様な形で硬貨を投げ入れていた。



小さな電飾がある遊園地内。





この日の来場者は30万人だとか。
ルミナリエとはイタリア語で電飾。使われている電球は20万個だそうです。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災犠牲者への鎮魂、また復興のシンボルとして
開催された光の祭典ルミナリエ。
こうして過去を辿るとあの日から12年になるのだと思うと、ただ美しいと言うだけで第2回から欠かさず毎年この電飾を見学していることにいろいろと考えさせられます。

確かに神戸の街はここ数年で新しいビルが立ち並び復興しているかのようには見えますが一部ではまだまだ大変な思いをしている方々が多い様です。

第 1回 1995年 夢と光、
第 2回 1996年 賛歌-輝けるときを求めて
第 3回 1997年 大地の星たちに捧げる
第 4回 1998年 光の星空
第 5回 1999年“PURE”な光の下で
第 6回 2000年 光の永遠(インフィニティー)
第 7回 2001年 光の願い(デジデリオ)
第 8回 2002年 光のぬくもり
第 9回 2003年 光の地平線
第10回 2004年 神戸、光の都
第11回 2005年 光の第二章
第12回 2006年 空の魅惑

今年の写真と共に過去数年の写真もアップしました。

コメント (6)
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神戸ルミナリエ2005年

2006-12-18 02:20:12 | 観光、旅行、山歩き
昨年の9kiメルマガより転載
思い返せばあの凄~い揺れでビックリして飛び起きたあの日から11年が経ちました。
今年のテーマは「光の第2章」。先ず、輝きの門。
                         




犠牲者の鎮魂と街の復興を祈っての神戸ルミナリエが9日から開催され15日に例年の如くこの光の祭典を寒さの中鑑賞するため出かけました。
今年一番の冷え込みに加え点灯の直前より雨が降り出し皆ずぶ濡れ。それでもだれ一人帰ろうとはせずこの点灯の瞬間をふるえながら待っていました。
少しばかり到着が遅れてこの光が見える場所までになんと迂回、迂回で30分を要した。
残念ながら今年はこの点灯の瞬間の感激を逃しました。


傘々の人の群。(フロントーネからこの会場まで光の回廊が270メートル。)


                  

太陽の劇場を想定して作られたという「スパッリエーラ」はその周囲は140メートル




「カッサ・アルモニカ」といわれる光のドーム。




ここでは来年の開催にむけて皆さんの善意の資金カンパが行われています 。


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神戸ルミナリエ2003年~2004年

2006-12-18 02:02:56 | 観光、旅行、山歩き
第9回2003年 「光の地平線」

光の回廊「フロントーネ」



「スパッリエーラ」







第10回2004  「神戸、光の都」

光の回廊「フロントーネ」



「スパッリエーラ」





遊園地内

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神戸ルミナリエ1999~2002

2006-12-18 01:28:18 | 観光、旅行、山歩き
第5回 1999年 “PURE”な光の下で

光の回廊「フロントーネ」ガレリア



「スパッリエーラ」





遊園地内



第6回 2000年 光の永遠(インフィニティー)

光の回廊「フロントーネ」ガレリア



「スパッリエーラ」





第7回 2001光の願い(デジデリオ)

光の回廊「フロントーネ」ガレリア




「スパッリエーラ」




第8回 2002年 光のぬくもり

光の回廊「フロントーネ」ガレリア



「スパッリエーラ」









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