♪次♪の部屋

和紙人形・デコパージュ・料理・旅行記

保存食作りを

2007-05-29 16:35:28 | 料理の部屋
昨日は土付きらっきょを買いに出かけた。2軒目で漸く入手。殆どの店は鳥取砂丘のらっきょが多く、我が家は毎年鹿児島や熊本の黒土らっきょを買って漬けてる。
今年は宮崎産を買ってみた。


写真1 〈黒土がついた宮崎産のらっきょ〉

5キロを洗うのは大変だった。
窓を開け、換気扇を回し、それでも目がショボショボする。
3時から7時までの4時間を要した。


写真2 〈きれいに洗ったらっきょ〉

昨夜塩漬けし、今朝熱湯をサッとかけて酢、砂糖、塩を合わせた中に漬けた。
秋から冬の初めから食べ始める。
今は昨年の分を食べているがコリカリと歯ごたえがあり美味しい。


写真3 〈漬け終わったらっきょ〉

山椒の実、山蕗も買ってきたので山椒の実を一粒一粒外して一部をとこ漬けに入れ
残りを佃煮に。これは1年間、魚料理やちりめんじゃこ他いろんな佃煮を作るときに出来上がりに入れると風味が良い。
山椒の実は一昼夜水につけているので、酒、味醂、醤油で今晩煮込むこと。


写真4 〈山椒の実〉


写真5 〈一粒ずつにし水につける)

そして、山蕗は皮をとりボキボキっと折りながら水につける。手指があくで真っ黒になった。茹でて笊に上げ一晩水分を飛ばし、今朝昆布と一緒に煮込んだ。
出来上がり寸前に昨年作り置いていた山椒の佃煮を混ぜた。


写真6 〈山蕗の佃煮)

それにしても昨日から今朝にかけてはキッチンに立ちっぱなし。よく働いた一日でした。

今日はブログの写真説明形式をつかさんのブログを参考にして変えてみました。





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咲き始めた初夏の花々

2007-05-28 23:01:11 | 
買い物に行きがけにチラッと花に目をやると何とくちなしに虫が付いているらしく小さな糞がたくさん落ちているではないか。早速消毒。

気がつかない間にサツキが満開になっていた。
最近は水やりを主人がしてくれるので助かっている。



一本の木から2色の花を咲かせるサツキ、これはピンクと白ですが数年前までもう一本、赤と白があったのですが庭の外装をリフォームの折り、一時的に引き抜き残念ながら枯れてしまった。



紫陽花も咲き始めていた。



斑入りの植物が大好きで葉蘭、オリヅルランなど斑入りを数種類を植えている。
これは葉が斑入りの紫陽花
花が咲いてない時期も葉を楽しむことが出来る。



玄関入り口に蚊が寄りつかないようにと蚊とり草を置いているが昨年までは茂って大きくなっていたのに、少々のことでは枯れないこの草が枯れてしまっていた。
挿し芽で増えるので来年にむけて増やすことにしよう。

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若冲展へ行ってきました。

2007-05-25 23:35:36 | 美術館巡りの部屋
京都の相国寺 承天閣美術館において5月13日より「若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会」が開催されているのをテレビで紹介されていたので行ってきました。
「承天閣美術館」は相国寺と関連寺院の文化財を展示する相国寺内にある美術館です。相国寺に美術館があるとは知りませんでした。

平日の比較的人の少ない日を選んだにもかかわらず凄~い人々ひと。

駐車場はなく、京都御所に車を止めて京都御所の中を森林浴をしながら相国寺まで1kmほど歩き目的地へ。
京都御所内公園


同志社大学


相国寺

ここは同志社大学の裏手にあって広大な敷地には方丈庭園、法堂、養源院、
大光明寺、その奥には藤原定家、足利義政、伊藤若冲のお墓が建っています。
通常は非公開のこの寺は参拝日が決まっていて今年は平成19年9月15日~ 平成19年12月8日が一般公開です。
また、この相国寺は臨済宗相国寺派の本山で、相国寺派には金閣寺・銀閣寺などが含まれているのです。
若沖展は開基足利義満600年記念として開催されました。

広大な境内



若冲の絵は奇想、強烈な迫力という印象です。色鮮やかな植物、鳥、虫などを皆引きつけられるように見入っていてなかなか作品の前から動かない人が多く残念ながらゆっくりとは観賞出来ませんでした。特に『群鶏図』の前は人だかり。
私は力強いタッチの中にも優しさがある雪中鴛鴦図や雪中錦鶏図が好きでした。
(図録が分厚いためスキャナーでのコピーはやめました。)

ポスター


群鶏


10年くらい前に京都で若冲展は一度観たことがありますがその時は今回ほど人が多くありませんでした。ここ数年、急に若冲は注目されてきた影響でしょうか。

《伊藤若冲について下記説明書がありました。
写実的にして装飾的な花鳥画と水墨画に独自の画風を作り上げた江戸中期の画家、伊藤若沖。京都錦小路の青物問屋の長男として生まれ、家業のかたわら狩野派や光琳派、中国の元代、明代の画法を学びます。40歳で家業を弟に譲り、生涯妻子を持たず絵画の制作に専念。数十羽の鶏を飼ってその形態を写し取ったという逸話がありますが、実際に身の回りにいる動物や鳥獣魚介、植物、野菜を題材に多くの作品を描いています。
相国寺の大典禅師と深く交流し、相国寺に釈迦三尊増と動植綵絵を寄贈しました。
動植綵絵はその後宮内庁に献上されましたが、今回120年ぶりに里帰りということです。》

館内には、金閣寺にある若冲の描いた障壁画、襖絵も展示されていました。
33幅の動植綵絵と釈迦三像図の部屋もなかなか圧巻でした。

図録もかなり分厚く重い本でしたが車で行ったので今回もまたまた買ってしまいました。
本物に近い色彩でかなり綺麗なできあがりでした。
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足跡200達成

2007-05-24 11:55:55 | その他
2006年4月にmixiに参加して1年が経ちました。
今日記念すべき足跡200達成、閲覧者は《おとうさん》でした。
覗いて下さった方、ありがとうございました。
次は250達成をめざして続けていきたいと思います。



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北山辺の道を歩く

2007-05-24 02:07:13 | 観光、旅行、山歩き
5月10日、近鉄奈良駅~奈良公園~春日大社~新薬師寺~白豪寺~平尾池~円照寺まで約10kmを11人の参加者で北山辺の道を歩いた。

奈良公園から竹林を抜けると新薬師寺へ。

新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく「あらたかな」薬師寺という意味です。
新薬師寺は聖武天皇眼病平癒祈願の為、天平19年(747)勅願により光明皇后によって建立されました。

暫く歩くと白毫寺へ。

山門


高円山のふもとにあり、境内からは奈良の街を一望できる。
天智天皇の勅願所と伝えられる白毫寺は室町時代に兵火で全焼し鎌倉時代に再興。
本堂と宝蔵・御影堂があり境内には奈良県指定の樹齢400年といわれている天然記念物の五色椿が植えられていて、奈良三名椿の一つであります。
一本の木に赤、白などの五色の花が残っていました。

白毫寺宝蔵


五色椿


山辺の道と言えるような長閑な田園風景の広がる道を歩きながらこんなことをふと考えました。
京都と奈良。修学旅行で訪れた昔、どちらも都会だなという印象でした。
今では観光地としては全く違いを感じます。単純に、京都は何処に行っても人が多い。奈良は人が少ない。交通の発達も違う。京都、奈良それぞれの良さがあります。



細い坂道にさしかかった当たりに野いちごの群生を見つけた。
童心に戻ってそれぞれ子供の頃に口にしたなど思い出話をしながら摘んで食べることに。中には初めて口にしたという人もいた。



途中に白山比神社が。
白山比神社(しらやまひめじんじゃ)は全国に2000社の白山神社があり総本山は石川県白山市三宮町に鎮座する神社である。



最後の目的地である円照寺へ到着。
敷地内に入って山門まで歩くこと数分。





斑鳩の「中宮寺」佐保路の「法華寺」と共に大和三門跡の1つで、代々皇室関係の方が門跡になられ、別名「山村御殿」とも称し、門内は非公開で本来は中に入ることは出来ないのですがお手洗いだけはお借りすることができそれを理由に門内に入ることが出来ました。竹林と小山が広がっていて手入れの行き届いた静かな佇まいの門内、華道「山村御流(ごりゅう)」の家元でもあります。新緑が本当に綺麗、空気がきれい、なんだか視力が良くなったような気がしました。入り口には防犯センサーが設置してありました。




大和青垣国定公園にある広大池を通りバス停まで歩く。



ここから奈良駅まではバスで移動。

今日はアップ、ダウンがあまり無く楽に歩くことが出来たウオーキング会でした。



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5月4日和歌山へ

2007-05-08 17:46:25 | 美術館巡りの部屋
ゴールデンウィークも終盤を迎えた4日、和歌山近代美術館で竹久夢二「描くことが生きること展」た開かれているのを知り行くことにした。



柱の上下に波板とたんが使われていた面白い館内のオブジェ



一階入り口のオブジェ




夢二展は3度目の観覧であるが今回は夢二初期から晩年までの作品が年代順に350点が展示されていて数多くの作品から新しい夢二発見となった。
先ず初期の「コマ絵からの出発」、そして「夢二画集と作品展覧会、港屋の時代」「抒情の展開」「デザインという活路」「外遊とその前後」と五つのテーマに分け展示されており、よく見かける代表作以外のこれまであまり知られていなかった作品を見ることが出来、夢二に纏わるいろんな資料も展示されていたので作品とともに結構時間をかけての概観となった。
チラシは「立った姫」 扇を持ちよく見ると後ろ向きに立っている。面白いポーズ、バックには富士山。その上の余白に杜甫の「去年は米が高くて日常の食にも困り、今年は安くて農民の生活は苦しい」といった意味漢詩が刻まれていた。                                      


よく夢二式美人といわれますがまさにそのとおり夢二の美人画には夢二が持つ独特の雰囲気が醸し出されているように感じました。                                            
赤い大輪を咲かせた椿の木を囲む5人の子ども達の着物の柄も面白いが大好きなデザインであるこの椿の花のモチーフは何度も目にしたことがある。この会場にもいくつか出てくるモチーフである。



千代紙やゆかたのデザイナーとして、画家として、詩人としてまた夢二学校や呉服屋としての経営者の顔をも持つ夢二は没後70年。全国に夢二館は7つあるということですが以前岡山に行ったときに夢二館の前を通ったのに時間がなく寄れなかったが次回機会があれば生家などにも訪れたいと思います。

和歌山県立近代美術館は和歌山博物館と併設していて、和歌山城の天守閣を望むことが出来、敷地内には池や滝を眺めながら散策できる憩いの場所に建っていました。

和歌山県立博物館



美術館より和歌山城を望む



ついでに日本名城の一つになっている和歌山城にも行って来ました。
八代将軍吉宗のふるさとである和歌山市の中心にあり、虎伏山に天守閣がありそこから和歌山城が一望できます。今回は天守閣には昇りませんでした。

下記は資料より記載
~和歌山城は,天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。その築城を担当したのが,築城の名人藤堂高虎とでした。まず,秀長の城代として桑山重晴が入り,慶長5年(1600)には,関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入城。そして,元和5年(1619)には徳川家康の第10子頼宣が入城し,紀州55万5千石の居城となり,以来,尾張・水戸と並び,徳川御三家のひとつとして,長い歴史を刻んできました。~

和歌山といえば紀州の殿様、童謡の歌碑

♪~てんてんてんまり、てんてまり
てんてんてまりの 手がそれて
どこからどこまで とんでった
垣根を越えて 屋根越えて
表の通りへ とんでった とんでった~♪



虎伏像





和歌山城の入口は5ヶ所,重要文化財に指定されている「岡口門」,門外に馬術の稽古場のあった「追廻門」,一の橋の架かる「大手門」,「不明門」址,「勘定門」址があります。

岡口門



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