朝の熊本城散策のため6時集合。
昨夜宿泊したアークホテルが見える。(写真1)
サツキのシーズンが終っていたNHK文化センター(写真2)前を通って熊本城横にある加藤神社へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/37/585077b7c6f275b256336352bdf130c9.jpg)
写真1 アークホテル
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/f0/f21a9d81935e7f1224977bde88f96f57.jpg)
写真2 右がNHK文化センター 前方には熊本城が
加藤神社(写真3)は戦国時代の武将加藤清正を主神とする神社である。
事前にIさんが神主さんにお願いしていたのでここで節目の年である古稀のお祓いを8人で受けることに。
一同神妙な顔で1人1人名前を呼ばれると玉串俸奠、現在まで元気に生きてこられたことへ感謝の気持ちを新たにしました。
境内には清正公の旗立石、清正公肥後入国400年記念碑や虎の像など清正公ゆかりのものが祭ってありました。
境内から見上げる天守閣と宇土櫓の眺めが絶景。(写真4)
お祓いの記念にお土産を頂いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/1b/b1548e3b99239df367562e671c2ee5d9.jpg)
写真3 加藤神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/18/358129254fc657cf01ab34c4da5a07e3.jpg)
写真4 加藤神社から城を望む
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/63/17a3225b2a5a0c5fe399f871aaea92f4.jpg)
写真5 記念に頂いたお土産
二の丸広場(写真6)当たりを散策し、長塀(写真7)を眺めながらホテルへ戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/42/9a49fc1e6b07f5f552703ef8df95077d.jpg)
写真6 二の丸広場にはこんな大きな木が(この木何の木 気になる木・・・)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/b3/fa35401e0f399a87e582c7c800de8b11.jpg)
写真7 長塀
ホテルに戻り朝食。普段は朝ゆっくりの起床でしたが、早起きした今日の朝食は格別に美味しい。
今度は車で熊本城(写真8)へ向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/c3/af5ca229aceb01d579147af34cf96aa9.jpg)
写真8 熊本城
日本三名城の一つに数えられる熊本城は加藤清正公が築城し、今年400年を迎えるという記念の年です。
城域の周囲が約5.3km、面積は約98平方kmという規模の大きさで難攻不落の城としても有名です。築城当時は重厚な櫓門(やぐらもん)が18、その他の様々な形式の門が29もありました。
私たちは加藤神社に車を置かせて貰ってメーン入口である頬当御門(ほほあてごもん)(写真9)から城内へ。 現在使われている入り口は四カ所です。
なんとIさんはここの城主でした。全員招待券で入場です。(写真10)
熊本城復元のための「一口城主」制度をスタートさせていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/ad/31926ee608b8eb069ef2d58a6f5a323c.jpg)
写真9 頬当御門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/b9/68fd68efdc3b29ba4021f8d4bcaa81b4.jpg)
写真10 城主の招待券
首掛石(写真11)と井戸(写真12)には熊本城の築城に際し次のようなエピソードがあったのです。横手の五郎の物語です。
資料より
~五郎は熊本城下にあたる横手に住んでいた若者で、怪力の持主として知られていました。この大きな石も、数人がかりで運べなかったものを、五郎が首に掛けて一人で運んできたと伝えられています。しかし実は、五郎は仏木坂(ぶっきざか)の戦い(天草)で清正に殺された木山弾正(きやまだんじょう)の遺児で、城づくりを手伝ったのは父の仇を討つためだったのです。ある日、清正を襲った五郎は家来たちに取り押さえられ、古井戸に投げ込まれてしまいました。清正の命令で井戸の上から大きな石が次々と投げ落とされましたが、五郎はそれを片手で受け止めては足下に置きながらどんどん上ってきました。そこで、今度は砂が投げ込まれ、とうとう生き埋めにされてしまったという逸話が残されています ~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/0d/02794426845bd5e70162ca848853634e.jpg)
写真11 首掛石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/e7/41a40f47a7973bafb3806c2f743032d2.jpg)
写真12 井戸
熊本城天守閣へ階段を上がる。
天守閣の内部は現在、熊本市立熊本博物館の分館となっており、肥後歴代藩主の武具や調度品のほか、西南戦争の資料などが展示していました。
最上階からは熊本の東西南北が展望(写真13)できました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/67/f240efc4e4b6a96470e482ea8d203ff9.jpg)
写真13 最上階からの展望
次は本妙寺へ。
資料より
~本の本妙寺(写真14)は加藤清正(1562~1611)の菩提寺である。元々清正の父、清忠を祭るためであったが、清正が肥後に移ったことをきっかけに、大阪から移してきた。清正の死後、遺言でここに廟を建てた。
廟の横には金宦の墓がある。清正が文禄慶長の役で朝鮮に行ったとき、金宦をはじめとして多くの人を朝鮮から連れてきた。金宦は清正のブレインとして、清正に一目置かれていたという。清正が死亡したときに金宦も殉死した。~
この寺の色あざやかさが資料でなんとなく理解できた。
境内にある本妙寺宝物館(写真15)には加藤家:細川家寄進の宝物、殊に清正公の遺品
日蓮宗及び本妙寺関係の什物など「日本紀竟宴和歌集」「三池典太光世」「安南国勅書」「清正公拵網代鞘短刀祐定」「蛇目紋長烏帽子兜」「朱書の御題目軍旗」「中将棋盤・水無瀬駒」などが展示されていて住職さんが詳しく説明をしてくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/a0/c3d6c33bda0f45581350575e2b60e057.jpg)
写真14 本妙寺
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/fa/35e0a663b3e956dfe6701cdd7c47537f.jpg)
写真15 宝物殿
岳林寺へ
岳林寺(写真16)は隈本城主・城親賢公が眠る曹洞宗の寺である。
りっぱな仁王様(写真17,18)です。
Iさんからここで座禅をとの提案がありましたが膝に何らかのトラブルを持っている人が多く、お経に変更しました。全員(?)で般若心経を唱えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/1c/8e4f4c80aaf19834349e053097cbb224.jpg)
写真16 岳林寺
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/fa/fdac034359e1c6219d973a76c7074e1b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/9e/78454eeb048855765e51316d1e58d7ae.jpg)
写真17・18 仁王様
ここから夏目漱石の峠の茶屋まで本来なら歩いて行けばいいのですが時間の関係で車で移動。金峰山への道で最初に目にする漱石の句碑(写真19)があった。漱石来熊100年を記念した新しいもので、目的地である鳥越の峠の茶屋の少し手前にありました。
「木瓜(ぼけ)咲くや 漱石拙を 守るべく」
「拙を守る」とは、漱石が好んだ言葉で、生き方の基本としたもの。世渡りが下手なことを自覚しながら、それをよしとして敢えて節を曲げぬ愚直な生き方、俗世に媚びて利を追求する事を卑しとする心だそうです。
「オイと声を掛けたが返事が無い。軒下から奥をのぞくと・・・・」草枕に出てくる茶屋です。
峠の茶屋(写真20)には公園(写真21)や売店があり昼食は皆でだご汁定食(写真22)に決まり。
大きなお鍋に食べきれないほどのだご汁が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/b7/45b8ea21f7299de4b312f7037086b309.jpg)
写真19 句碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/54/f0a80c688e30842a4f3d2458158187f8.jpg)
写真20 峠の茶屋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/ac/3bbdbffbedd016ee94f1a610c2ecc595.jpg)
写真21 公園
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/f0/863102b6abbd940dade22ab79e8e6498.jpg)
写真22 だご汁(撮影を忘れて食べてしまった)
本日の最後の目的地である雲厳禅寺へ。
金峰山の西麓にある雲巌禅寺(写真23)は、曹洞宗に属する寺で、南北朝時代に日本に渡来した元の禅僧・東陵永が開基したと伝えられています。
境内に入りうっそうと茂った木々に覆われた細い道を進んでいくと右手に五百羅漢(写真24)が並んでいて異様な感じがした。首が取れた、手が取れた五百羅漢、これは熊本商人 淵田屋儀平が24年かけて奉納したということです。
さらに奥に進むと霊厳洞(写真25)があり階段を上ると岩戸観音が安置されてありました。
大きな岩がむき出しになっていて宮本武蔵がここに籠もり「五輪書」を書いたとい
う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/79/34c30fa2d040e807d26c485fe4ac91cc.jpg)
写真23 雲厳禅寺
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c9/d280475ce8e915cbffd0f536699363c4.jpg)
写真24 五百羅漢
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/14/75a77cc7eeaa70f766f6913bf0cf48b5.jpg)
写真25 雲厳洞
今日の宿は後輩が経営しているというユースホステルです。
宿に着くと温泉に車で出かけた。人里離れた温泉でなかなか良いところでした。
夜は地元の材料を使ったオーナーの創作料理、これがまた美味しかった。
オーナーから馬刺のサービスを出して頂き、嬉しいことに同総会肥後からのビールの差し入れもあった。
昨夜宿泊したアークホテルが見える。(写真1)
サツキのシーズンが終っていたNHK文化センター(写真2)前を通って熊本城横にある加藤神社へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/37/585077b7c6f275b256336352bdf130c9.jpg)
写真1 アークホテル
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/f0/f21a9d81935e7f1224977bde88f96f57.jpg)
写真2 右がNHK文化センター 前方には熊本城が
加藤神社(写真3)は戦国時代の武将加藤清正を主神とする神社である。
事前にIさんが神主さんにお願いしていたのでここで節目の年である古稀のお祓いを8人で受けることに。
一同神妙な顔で1人1人名前を呼ばれると玉串俸奠、現在まで元気に生きてこられたことへ感謝の気持ちを新たにしました。
境内には清正公の旗立石、清正公肥後入国400年記念碑や虎の像など清正公ゆかりのものが祭ってありました。
境内から見上げる天守閣と宇土櫓の眺めが絶景。(写真4)
お祓いの記念にお土産を頂いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/1b/b1548e3b99239df367562e671c2ee5d9.jpg)
写真3 加藤神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/18/358129254fc657cf01ab34c4da5a07e3.jpg)
写真4 加藤神社から城を望む
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/63/17a3225b2a5a0c5fe399f871aaea92f4.jpg)
写真5 記念に頂いたお土産
二の丸広場(写真6)当たりを散策し、長塀(写真7)を眺めながらホテルへ戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/42/9a49fc1e6b07f5f552703ef8df95077d.jpg)
写真6 二の丸広場にはこんな大きな木が(この木何の木 気になる木・・・)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/b3/fa35401e0f399a87e582c7c800de8b11.jpg)
写真7 長塀
ホテルに戻り朝食。普段は朝ゆっくりの起床でしたが、早起きした今日の朝食は格別に美味しい。
今度は車で熊本城(写真8)へ向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/c3/af5ca229aceb01d579147af34cf96aa9.jpg)
写真8 熊本城
日本三名城の一つに数えられる熊本城は加藤清正公が築城し、今年400年を迎えるという記念の年です。
城域の周囲が約5.3km、面積は約98平方kmという規模の大きさで難攻不落の城としても有名です。築城当時は重厚な櫓門(やぐらもん)が18、その他の様々な形式の門が29もありました。
私たちは加藤神社に車を置かせて貰ってメーン入口である頬当御門(ほほあてごもん)(写真9)から城内へ。 現在使われている入り口は四カ所です。
なんとIさんはここの城主でした。全員招待券で入場です。(写真10)
熊本城復元のための「一口城主」制度をスタートさせていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/ad/31926ee608b8eb069ef2d58a6f5a323c.jpg)
写真9 頬当御門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/b9/68fd68efdc3b29ba4021f8d4bcaa81b4.jpg)
写真10 城主の招待券
首掛石(写真11)と井戸(写真12)には熊本城の築城に際し次のようなエピソードがあったのです。横手の五郎の物語です。
資料より
~五郎は熊本城下にあたる横手に住んでいた若者で、怪力の持主として知られていました。この大きな石も、数人がかりで運べなかったものを、五郎が首に掛けて一人で運んできたと伝えられています。しかし実は、五郎は仏木坂(ぶっきざか)の戦い(天草)で清正に殺された木山弾正(きやまだんじょう)の遺児で、城づくりを手伝ったのは父の仇を討つためだったのです。ある日、清正を襲った五郎は家来たちに取り押さえられ、古井戸に投げ込まれてしまいました。清正の命令で井戸の上から大きな石が次々と投げ落とされましたが、五郎はそれを片手で受け止めては足下に置きながらどんどん上ってきました。そこで、今度は砂が投げ込まれ、とうとう生き埋めにされてしまったという逸話が残されています ~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/0d/02794426845bd5e70162ca848853634e.jpg)
写真11 首掛石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/e7/41a40f47a7973bafb3806c2f743032d2.jpg)
写真12 井戸
熊本城天守閣へ階段を上がる。
天守閣の内部は現在、熊本市立熊本博物館の分館となっており、肥後歴代藩主の武具や調度品のほか、西南戦争の資料などが展示していました。
最上階からは熊本の東西南北が展望(写真13)できました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/67/f240efc4e4b6a96470e482ea8d203ff9.jpg)
写真13 最上階からの展望
次は本妙寺へ。
資料より
~本の本妙寺(写真14)は加藤清正(1562~1611)の菩提寺である。元々清正の父、清忠を祭るためであったが、清正が肥後に移ったことをきっかけに、大阪から移してきた。清正の死後、遺言でここに廟を建てた。
廟の横には金宦の墓がある。清正が文禄慶長の役で朝鮮に行ったとき、金宦をはじめとして多くの人を朝鮮から連れてきた。金宦は清正のブレインとして、清正に一目置かれていたという。清正が死亡したときに金宦も殉死した。~
この寺の色あざやかさが資料でなんとなく理解できた。
境内にある本妙寺宝物館(写真15)には加藤家:細川家寄進の宝物、殊に清正公の遺品
日蓮宗及び本妙寺関係の什物など「日本紀竟宴和歌集」「三池典太光世」「安南国勅書」「清正公拵網代鞘短刀祐定」「蛇目紋長烏帽子兜」「朱書の御題目軍旗」「中将棋盤・水無瀬駒」などが展示されていて住職さんが詳しく説明をしてくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/a0/c3d6c33bda0f45581350575e2b60e057.jpg)
写真14 本妙寺
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写真15 宝物殿
岳林寺へ
岳林寺(写真16)は隈本城主・城親賢公が眠る曹洞宗の寺である。
りっぱな仁王様(写真17,18)です。
Iさんからここで座禅をとの提案がありましたが膝に何らかのトラブルを持っている人が多く、お経に変更しました。全員(?)で般若心経を唱えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/1c/8e4f4c80aaf19834349e053097cbb224.jpg)
写真16 岳林寺
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写真17・18 仁王様
ここから夏目漱石の峠の茶屋まで本来なら歩いて行けばいいのですが時間の関係で車で移動。金峰山への道で最初に目にする漱石の句碑(写真19)があった。漱石来熊100年を記念した新しいもので、目的地である鳥越の峠の茶屋の少し手前にありました。
「木瓜(ぼけ)咲くや 漱石拙を 守るべく」
「拙を守る」とは、漱石が好んだ言葉で、生き方の基本としたもの。世渡りが下手なことを自覚しながら、それをよしとして敢えて節を曲げぬ愚直な生き方、俗世に媚びて利を追求する事を卑しとする心だそうです。
「オイと声を掛けたが返事が無い。軒下から奥をのぞくと・・・・」草枕に出てくる茶屋です。
峠の茶屋(写真20)には公園(写真21)や売店があり昼食は皆でだご汁定食(写真22)に決まり。
大きなお鍋に食べきれないほどのだご汁が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/b7/45b8ea21f7299de4b312f7037086b309.jpg)
写真19 句碑
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写真20 峠の茶屋
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写真21 公園
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写真22 だご汁(撮影を忘れて食べてしまった)
本日の最後の目的地である雲厳禅寺へ。
金峰山の西麓にある雲巌禅寺(写真23)は、曹洞宗に属する寺で、南北朝時代に日本に渡来した元の禅僧・東陵永が開基したと伝えられています。
境内に入りうっそうと茂った木々に覆われた細い道を進んでいくと右手に五百羅漢(写真24)が並んでいて異様な感じがした。首が取れた、手が取れた五百羅漢、これは熊本商人 淵田屋儀平が24年かけて奉納したということです。
さらに奥に進むと霊厳洞(写真25)があり階段を上ると岩戸観音が安置されてありました。
大きな岩がむき出しになっていて宮本武蔵がここに籠もり「五輪書」を書いたとい
う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/79/34c30fa2d040e807d26c485fe4ac91cc.jpg)
写真23 雲厳禅寺
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c9/d280475ce8e915cbffd0f536699363c4.jpg)
写真24 五百羅漢
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写真25 雲厳洞
今日の宿は後輩が経営しているというユースホステルです。
宿に着くと温泉に車で出かけた。人里離れた温泉でなかなか良いところでした。
夜は地元の材料を使ったオーナーの創作料理、これがまた美味しかった。
オーナーから馬刺のサービスを出して頂き、嬉しいことに同総会肥後からのビールの差し入れもあった。