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なんともいろいろな調査があるものだ。法政大学の坂本光司教授の研究グループが先日、都道府県別幸福度ランキングと言うものを発表した。この研究にどんな意味があるのかは知らない。またその適正にも、少し疑問がある。しかし、こういう研究は無駄であるとは決して思わない。膨大な無駄の研究を積み重ねて、世紀的な発見にたどり着く可能性だってある。だからどんな研究であろうとも否定はできない。問題にしたいのは、それを報道する側の姿勢にある。この研究データは大新聞はもちろんテレビでも大々的に、いやむしろ嬉々として報道していた。何のためにこうした報道をするのか?いかにもの、メディアを感じたのは私だけか。
調査研究は「生活・家族部門」「労働・企業部門」「安全・安心部門」「医療・健康部門」の4部門を10段階に分けて評価し、ランキングしている。報道はこれらを解説し、出演しているコメンテーターの出身県を評していた。これはいいとして、だからどうなのだとか、このデータのどこに価値があり、意味があるのか、などについてはまったく論じない。たんに嬉しいやら戸惑いがあることを言うだけ。何のためのランキングの発表であり報道なのか、全く意味不明。北海道新聞などは43位を強調していた。下から数えて5番目であることは分かったが、それがどういうことであるのかはまったく論じていない。まるで、私たちはこれほど不幸な土地にいるのですよと、笑いながら報道してるかのようなのだ。自虐史観がまともに紙面に出ているようで、不快さえ感じる。
我々道民にとってはそれほど幸福ではない土地に暮らしているという実感がない。このデータの現実性がピンとこない。にも拘らず、あなた方はそれほど幸福ではないですよ、と押し付けられた。もっと他に報道のやり方があるはず。テレビも新聞も三流週刊誌並みの感覚なのが気になる。興味本位で、垂れ流すだけ。これが現在のジャーナリズムなのか。
このランキングのトップ3は北陸の3県だった。福井も富山も石川もとてもいいところだ。文教県としても日本のトップクラスである。この評価には異論はないが、幸福度と言う極めて個人的な情緒に当てはめると、どうかな?という思いがある。同じことを感じたのは私だけではあるまい。たしかに良い土地柄であるが冬の裏日本の気候を思う時、背筋に寒いものが走る。日中から薄暗く、どんよりとした雲が街を覆い尽くすのが裏日本の冬景色である。私はこれは苦手だ。とても我慢できない。寒さは厳しいが快晴の青空に囲まれる道東の冬の方がはるかに清々しい。裏日本の暗黒の冬は気持ちを萎えさせ、とても幸福感など感じない。ところが人によってはこの薄暗さに情緒を感じる人もいる。だから幸福感と言う切り取りは至極難しいのだ。
個人差のある幸福度にランキングを付ける難しさがここにある。それに挑戦した研究者のチャレンジ精神は買うが、極めて危ういということも分かるだろう。素人でも気づくこんな問題点にメディアは触れない。三流週刊誌並みと言う根拠はここにもある。
この調査で決定的に欠落しているのは、幸福度にたいする分析不足だ。社会環境的な物的データだけに頼って、感性に対する調査ができていない。と言うより、これが一番大切で一番難しい。それをネグってしまったところにこの調査の弱さがある。幸福度は満足度や快適度という感性を無視して存在できるわけがない。この調査は街の機能を科学的にデータ化したにすぎず、それを幸福度と言う形でランキングしたことが問題なのだ。「街機能の達成効率度」程度でよかった。
こんな話がある。1960年、ブラジルは新しい首都としてブラジリアを建設した。世界中の建築家に呼び掛け、新しい時代の都市のモデルケースを作り上げた。素晴らしい環境と施設を持った効率的な完全な行政都市づくりであった。遷都が行われた当初の人口は14万人であった。10年後は54万人に増えたが、思ったより新都市に住み着く人が少ない。理由はまったく分からなかった。完全な理想都市に人口が集中しないわけがないと考えられていたからだ。
ところがある瞬間から人口が急増し始める。80年には120万人に増え、2007年には245万人の大都市へと人口が膨らんだ。そのターニングポイントは何であったか。実は、飲み屋街の登場であった。これができて初めて街として機能し始め、人が集中したのである。当初の設計にはなかった要素であった。
何を言いたいかは分かるであろう。人間の情緒を無視して住みたい町とか幸福度など測れないということなのだ。娯楽・レジャー部門や自然環境部門がいかに大切かという証でもある。
調査で最下位は大阪府であった。が、英国人による日本における住みたい街のナンバー1は大阪であると言うデータもある。あくまでもイメージでしかないのだが、外国人はそう思っているという事実をこの調査はどのように加味して考えればいいのだろうか。テレビや新聞の報道がみすぼらしく感じるのは、こうしたこともちゃんと含めて報道しないからだ。
大航海時代、マゼランは世界を回りながら未開の地への道を開いた。この時、世界の僻地と呼ばれる地域の先住民たちの生活を見て、マゼランたちは彼らを救おうとした。西洋の文明から見たら先住民の生活はあまりにもひどいものに映ったからだ。もちろん片一方では新しい植民地としての侵略もあった。その中で先住民に衣服を与え食べ物を与えた。この結果、先住民たちはなじめない文化風俗を押し付けられることになる。今まで知らなかった病気で死亡する人が急増した。マゼランが来たために滅び去った民族まであったのである。西洋人の文明がすべての民族に適用するということは、幻想でしかなった。
オーストラリアに進出した英国人は砂漠の民アボリジニを見て、彼らの土地を奪う代わりに食糧や衣服を与えるという政策を行った。それがキリストの教える施し精神でもあったからだ。新しい宗教を与え、英国風の文化風俗を押し付けた。英国人は彼らを援助し、救いの手を差し伸べたと当初は思っていた。ところが、最近となって英国人も気づいた。アボリジニは砂漠の民である。砂漠で生きる術を知っていた。砂漠で豊かに生きる方法を知っていた。砂漠では英国人の方がはるかに未開人であった。英国人が思っていたものとはまったく違う世界がそこにあった。このことを最近となって気付いたと言うから笑わせる。自分たちだけの価値観でモノをはかる愚かさを露呈していた。
あのランキングでは、百万都市のある都道府県が軒並み下位に名を連ねていた。人が集まれば都市機能が充実するはず。しかし人が集まればそれだけ問題も増えるという方向が見えていた。だが、そんなことは常識。大げさな調査に頼らなくても分かる話であった。
土地ごとに風習があり文化がある。住めば都と言う諺もある。一つの物差しで土地を串刺ししてランキングを付ける愚かさに日本のメディアはどのくらい気づいていたのだろうか。
あらためて、問いたい。
北海道の幸福度は日本全国で43番目だそうだが、それがどうした?
日本を含む、西欧各国が指標とするGDP(国民総生産)とは別の指標、GNH(国民幸福度)を目指す国。発言に興味があります。
ところで、道新の自虐的報道はとっても気になります。
どうも、道新だけの問題じゃない!道東居住の誇りの浦に、ヘドロのように沈殿したコンプレックスや自虐意識がふと顔を出す。そんなことを感じる瞬間があります。
もっとも和倉温泉の冬より、道東の冬は遥かに乾燥してて好きですが、住民の感情は意外とコンプレックス構造なのかもしれないですね。
おこがましいのですが、“本州を「内地」と呼ばない運動”を展開し始めました。
内地という言い方は、どうやら満州王国成立のころからの言葉らしいですね。それが北海道でもつかわれるようになったのは、満州からの引揚者が数多く北海道に移住してからだと聞いてます。弥栄(いやさか)村は標茶町にもありますが、これは満州から引き揚げた人たちが満州時代の村の名前をそのままつけたものです。満州は確かに外地ですが、北海道は外地ではないですね。そんなこと言ったら九州も四国も外地になってしまう。意識革命が必要です。
幸福度ですが ぽけっとが忙しければ幸せ 暇なら
ちょっと不幸です 最近不幸です
実は世の中には忙しくて不幸な人もいます。暇を持て余して不幸な人もいますね。
幸福のど真ん中にいるのに気付かない人も。
漱石ではないけれど、とかくこの世は住みにくい。
適度な幸せがいちばんなのでしょうが、これがなかなかつかめない。
幸福とか幸せというのは蜃気楼のようなもの。追いかければ遠のく、逃げ水に似ている。
まず北海道の晴天日数を調べてから言ったほうがいいですよ。
だから全国基準が分からないのです。
幸福度43位の基準は定かではないが、北海道は決して日本の上位ではないということは素直に受け入れるべきです。
ニセコでパウダースノーを満喫するのが唯一の楽しみという人には北海道は日本一の土地ですけど、全員がそうではありませんよね?
そのことにすら気付けてないのがなんとも笑