11月7日に一冊の本が出版された。その前後にテレビの特番があって、本の宣伝を兼ねたお決まりのアピールがあった。人気作家百田尚樹氏のノンフィクションである。題材は「やしきたかじん」の最後の741日。彼の死の直前に入籍した奥さんを軸に、たかじんが残した膨大なメモをもとに、作家が多くの関係者を尋ね歩いてまとめられている。帯には純愛ノンフィクションとあったが、私は、癌に罹って死を迎える人の現実の姿が知りたくてこの本を手にした。ごく最近、知人が癌を患って亡くなっており、自分もまた癌との戦いが始まっているからでもある。
一般的には夫を見とった奥さんの愛の物語りであるかのように見える。それももちろんあるが、私にはこれは壮絶な死との戦いの記録であると思った。たぶん多くの癌患者がたどる道でもあろう。いろいろな意味で己の死に様を想像する良い機会になった、と思っている。
ところがである。この本の出版直後から、何とも嫌なネガティブキャンペーンが始まった。この本の物語はすべて嘘であるというもの。夫人に対する批判が圧倒的で、それを涙ながらに語る作家百田氏へのバッシングが続く。私のツイッターにも幾本か飛び込んできた。そして雑誌記事、ラジオ番組などでも次々にネガティブキャンペーンが展開されている。なぜこのような陰湿なキャンペーンを展開する必要があるのだろうか。どうも三流週刊誌のイメージ戦略に躍らされているようだ。遺産相続の争いや裁判沙汰への何らかの効果を狙っているとも思えない。きわめて不毛な騒ぎに見える。
批判の内容をまとめると、次のようになる。まず、夫人はたかじんの遺産目当てに結婚したうそつき女であると。そして勝手にたかじんの事務所を乗っ取り、事務所名義のマンションを自分のものとした。たかじんの長年のマネージャーや付き人であったKとUを勝手にクビにした。その理由は本の中にも出てくるが、事務所の使途不明金の存在や勝手な交渉などあげられていたが、これは全くの嘘であると言う。本の中でもKとUについては確かに否定的な文言が多い。これに対する反発であることはうかがえる(つまり彼らがこのネガ・キャンペーンに動いていると言うことでもあるのか)。酷いのは、意識朦朧として思考力のないたかじんを利用して遺言書を偽造した(これは現在裁判で争っている事柄でもある)とある。これはもはや犯罪である。実の娘や母親の看病も夫人がすべて拒否したが、たかじんはそんな薄情な人間ではないと言う人もいた。たかじんの長女と夫人との間では遺産をめぐる争いも表面化。夫人は朝鮮人だと暴露するものもあり、しかもたかじんと知り合う前にイタリア人と結婚をしていて、法律違反の重婚あるという。たかじんは在日であるというものまであった。作家百田氏はしょせんテレビマン。話を盛り過ぎてこういう本になった。もともと百田氏はたかじんとは面識がない。そんな人に頼むというメモまで怪しいというのまであった。とにかく様々なバッシングのオンパレード。たかじんのメモが本物かという疑いも飛び出していた。悪口雑言の様子は子供の喧嘩みたいでもある。
細かなことは他にまだたくさんあるが、骨子はこんなところ。いやはやである。いかにも後味が悪く、気持ちがよくない。なぜこんなことが起きたのだろうか。やしきたかじんという特異なキャラクターが生み出した事件とも言えなくもないが、なにか裏がありそうである。わずかな時間ではあるが、バッシングの中身をちょっとばかり検証してみた。何やら怪しげな匂いがぷんぷんしてきた。
夫人糾弾の急先鋒となっているのは、たかじんの長女。3月に行われた「お別れ会」に出席して、大声の罵声を夫人に浴びせている。たかじんの娘らしいと言えるが、ちょっと常識外れというのが一般的な見方。いくら夫人が作為的に病院に見舞いに来ることを拒否していたとしても、実の父の見舞いや看病を自らしなかった娘の立場はどう説明できるのだろうか。自分の娘がこうであったなら、私は絶対に娘に遺産は残さない。本の中では父の病気を自業自得と言う暴言まではいている。これが嘘なら作家は名誉棄損で訴訟される。
夫人はイタリア人と結婚していたという話を少し調べてみると、これは当のイタリア人のブログに「僕の妻とはしばらく会っていない」という文言からきていた。つまり結婚した、あるいは戸籍に入ったという事実はまだ見つかっていない。結婚の予定はあったかもしれないし、彼の思い込みからきていることかもしれない。これについてはまったく裏がとれていない話であった。重婚であったことを隠して、本を出す度胸などあるだろうか。これほど簡単にばれる嘘はない。人をだます人はこんなドジはしない。どうも飛び交う噂の信憑性に疑問符がつく。
遺産金を大阪市に寄付をするという遺言があったが、そんな事実はないという告発があった。が、これは大阪市の話として、裁判の決着がついてから受け取るかどうか決めると言うことが真実。寄付などされていないという話も歪曲であった。
遺言の捏造の件は、苦しい話だ。実際に三人の弁護士が立ち会って書かれたもの。しかも事前に医者に確認を取って、正常な判断力があることまで確かめられている。法的に確立している。これを裁判で覆すことは極めて困難に思える。
悪口を言うのに手段を選ばず、あらゆることを持ち出すのはいいのだが、いかにも素人っぽい。中でもKとUの人間性について語るものが特に対極的であった。本に書かれているような人間ではないという証言がいくつかあるのだが、いずれも現場スタッフの話とか、放送関係者、友人など匿名者ばかり。対する本の中で語られるKとUの人間性については、実名でテレビ局プロデューサー、ディレクターが語っている。たかじんの親友、関係者もすべて実名である。だいたい、関係者の話とか事実に詳しい専門家などの匿名が出る時は、ほとんどが嘘。あまりにも筋書き通りの展開で、笑ってしまう。ネガ・キャンペーンを展開するなら、もう少しうまくやった方がいい。これでは信用性はゼロだ。実名で登場する人が嘘を話していたと言うだけで、その人の信用は業界で失墜する。少なくてもそんなリスクを冒して本に協力する理由などない。ネガティブキャンペーンの軸が揺ら義始めている。この機会に一生懸命手をあげて自分をアピールするかのような、大阪芸人らしい性も見えてくる。基本的にはどちらの味方でもないのだが、第三者的に考えると、軍配は明らかなようだ。いずれにしても裁判にもなっているのだから、決着はすぐに出るだろう。
しかし、ここまで検証しても、子供じみた悪口ばかりのようなネガティブキャンペーンの目的がよく分からない。こんな稚拙な展開では恥の上塗りに見えるからだ。もう一つひねって考えてみた。すると全く別の側面も見えてくる。このキャンペーンの本当の仕掛け人がいるのではないか、ということだ。こうした物議を醸す本は実際によく売れる。ネガティブキャンペーンはそのまま広告の役割を果たす。とすれば、この稚拙なキャンペーンの目的が見えてくる。ひょっとしてこれは出版社のやらせ?もちろんあくまでこれは私見的邪推に他ならない。だが、この本の売れ行きはことのほかいいらしい。庶民はこういう戦略に、みごとに弱いということなのだ。
いずれにしても、この話の鎮静化は目に見えているし、いろいろなことはすぐに忘れられていくだろう。それが世の中なのだ。基本我々の実生活になんの影響もない。
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