原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

町に棲む、キタキツネ

2015年05月15日 09時04分18秒 | 自然/動植物
夕方というより夜に近い午後6時半ごろ、近くのコンビニまで出かけた。神社の前を通り、坂を降りたところが町立病院の前、四辻となっていて信号機がある。車も人通りもなかったが、赤信号に足をとめた。交差点の向こう側(対角線の向こう)に犬らしき動物がいた。彼らが赤信号を守るはずがない。この動物は慣れた足取りで道路を渡り始めた。つられるようにこちらも足を進める。道の中ほどですれ違った時、眼があった。瞬間「あっ!犬ではない」と気付いた。尾が異常に太い。キタキツネであった。

眼と眼があったというのに(距離は10mほど)、コヤツは全く動じる風はなかった。悠然と道を渡り先へ進む。急ぎ足で逃げる様子もない。人にも道にも慣れている風なのだ。こんな時、人間の方がだらしない。急いでスマホを取り出し、カメラモードに。あわてているので、なかなかシャッターが落ちない。懸命にカメラを操作して撮ったのが冒頭の一枚。駐車場から人家の影に消えていく寸前であった。すでに夕闇が迫り完全な光不足。もたついた操作も原因だが、やはりスマホでは限界がある。
悔しさもあり、多少の未練もあり、キタキツネが消えていった方向に足を向けた。一つ目の角をまがった先に、再びコヤツを見つけた。道路に落ちた何かを食べようとしている。静かに近づきながら、パチリ、パチリ。数枚を写すことができた。
人通りが少ない路地とはいえ、人家近くで悠然と餌をあさる野生がいる。夜遅くに一度見掛けたことがあるが、まだ明るさの残る時に出会ったのは初めて。町中に棲みつくキタキツネがいるという噂はどうやら本当であった。
これはいいことなのだろうか、と疑問に思う。近年、環境の変化がそうさせるのか、野生たちの生息地に変動がみられる。湿原の変化でタンチョウの生息範囲は異常に拡大している。今年初めてわが軍馬山に降りるタンチョウを見た。これまで見かけなかった場所で見ることもたびたび。エゾシカも人家近くにやってきている。自然環境の変化で食料の問題があるのかもしれないが、どうやらそれだけではないようだ。
この冬道東では、冬眠しない熊の出没があり、ちょっとした騒ぎとなった。熊によるものと推定される死亡事故も起きている。友人の牧場近くでは、熊の目撃がこれまでになかった頻度で確認されている。

野生たちと人間の間にあった境界線が崩れたようだ。人間の進出が原因のすべて。人はすぐ、自然との共生や共存などというお花畑的夢物語を口にするが、野生たちにとっては全く迷惑な話。事実、そんなことが可能なわけがない。人間の進出よって崩れた彼らの環境に対応するために、彼らなりに生息場所を作り出しているだけなのだ。
彼らにとって、これは決していいこととは言えない。野生たちが口にするものと人間たちが口にするものでは大きな違いがある。人間が食するものがすべて彼らに合うわけではない。人が迂闊に餌を与えたために命を落とす野生たちも数多いのである。人家のそばにいると餌にありつけることを覚えた野生たちは、そのために命にかかわる病気になることもある。逆にキタキツネが持つ病気(エキノコックス症など)で人が命を落とす場合もある。
共生などという夢物語など現実には簡単には期待できない。北海道は自然が多いと自慢をしているが、そんなのんきなことを言っている場合ではないということをキタキツネが主張しているようだ。
慣れた足取りで歩いていくキタキツネを見ながら、自然に追い抜かれ、取り残されていくような気分になっていた。

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