ダテカンバの樹は強風や雪の影響で、方向を見失ったかのように枝を四方に複雑に伸ばし続ける。その姿はまるで政策が定まらずに迷走する鳩山総理の姿に見える。普天間基地問題では想像通り迷走し、結論として沖縄県民の心を踏みにじる決定にたどりついた。県民の気持ちより米国の意思を尊重した裁定であった。実現できない理想論をぶち上げて、儚い希望を生み出した揚句の結果であった。この罪は重く深い。
同時に、これは沖縄だけの問題ではなく、日本全体にかかわる重要な課題を浮きぼりにしたものでもある。そうした認識を持たなければ、永遠にこの問題は解決しないであろう。
論調ではよく沖縄に米軍基地が75%も集中している。これではあまりに沖縄の負担が多いという話になる。誰でも知っていることだがそうなった原因が明確にある。単純に日米安保を改定すればいいというわけではない。
太平洋戦争の時、日本本土で唯一、米軍による上陸と戦闘があったのが沖縄であった。そして終戦を迎えた時、沖縄は米国の領土となった。当然ながら米軍の極東基地として整備される。沖縄は1945年の終戦後1972年まで米国であった。沖縄へ行くにはパスポートが必要であった。ドルでしか買い物ができず、車は右側通行であった。つまり日本ではなかったのである。
1972年5月15日に沖縄は本土復帰となる。しかし、基地はそのまま残った。しかも日本の手厚い援助金のもとに基地は拡大された。それが日本へ沖縄を復活させる条件だったからである。そのまま現在にいたっている。戦後65年を経過しても、戦争の後始末を日本人は確実に先送りしてきた。その結果がいまの姿にほかならない。
米軍の基地はいらない。こう主張する鳩山の理念はまともだったと思う。しかし、そのためにクリアしなければならない問題に立ち向かわなければ、理想はただの空論でしかない。日米安保、憲法改正、自衛隊の存在、これらをクリアしなければ基地問題など解決できるわけがない。鳩山総理はこれらに一切触れようとしないで、ただ「最低でも県外」と叫んでいた。たとえ辺野古案に立ち戻るにしても、基地撤退のためのロードマップが明確に提示できていたら、事態はまだ別であったのにと思う。この程度の知恵をつける官僚や周りがいなかったのだろうか。それが無理なら、最初から県外移籍など口に出してはいけないと忠告する人もいなかったのだろうか。政治は確実に堕落している。
しかしながら、沖縄のことを思うたびに、ひょっとして沖縄と同じ道を歩いていたかもしれない北海道の姿が頭をよぎる。多少なりとも北海道の歴史を知っている人なら分かるはず。戦争の終結時、北海道は旧ソ連によって分割統治される可能性があったからである。
戦争の終結が宣言された8月15日の翌日、米国大統領トルーマンのもとへ一通の書簡が届いた。ソ連のスターリンからのもので、それには樺太をはじめ全千島列島の所有権の認定と同時に北海道の分割統治が提示されていた。北海道分割案は釧路と留萌を結ぶ直線の北側をソ連とするというものであった。この書簡はいまも米国内に保管されている。
さすがのトルーマンもこの提案を全面的に受け入れることはできない。千島列島の所有は認めるが北海道は否定した。しかしスターリンは納得しなかった。そうなれば実力行使しかない。8月18日に千島列島の北端占守島への侵攻を命じる。島には池田大佐が指揮する部隊がいた。武装解除の天皇陛下の命令を無視して、大佐は戦闘継続を命じたのである。戦いは21日まで継続した。一日で島を占領して一気に千島列島から北海道へ上陸するスターリンの野望は最初で滞った。
8月20日からは樺太の真岡への侵攻を始める。スターリンは本気であった。こうしたソ連の動きに反応したのが、当時札幌で北部司令官となっていた樋口季一郎少将。武器を捨てずに戦えという指令をだしていた。
この話は8月15日の後のことである。スターリンの野望は恐ろしいものであった。彼は国際条約など平気で破る人物であった。日本兵の捕虜をシベリアに抑留したり、カチンの森でポーランド将校を虐殺したり、その悪行は彼の死後次々に暴露されている。
ソ連軍は8月28日に択捉、9月1日に国後、9月4日に歯舞に侵攻している。日本が連合国に対して降伏文書に調印したのが9月2日である。あまりにも無謀なソ連の侵攻にさすがの米国も待ったをかける。これでようやく戦闘が終わる。
8月18日から9月4日までの戦闘で死亡した日本兵は3000名。さらに民間人は3500名も死亡している。彼らの犠牲があったからこそ北海道が守られたと言って過言ではない。
もしこの犠牲がなかったなら、北海道はいまの沖縄より悲惨なことになっていたであろう。なにしろ略奪が最も得意なソ連である。基地ができるどころではなかったはず。想像するだけで背筋が寒くなる。戦争の置き土産をいまだ解決しようとしない日本の政治がおかしいと言えばそうだが、戦争という言葉だけで目を閉じ、口をふさぐ日本人になってしまったことが問題であった。そうさせる教育に奔走した一部の教育者たちの責任も重大だ。
これ以上、沖縄のような犠牲を増やさないためにも、日本人は自分たちの憲法、自分たちの政治と国を取り戻さなければならない。
同時に、これは沖縄だけの問題ではなく、日本全体にかかわる重要な課題を浮きぼりにしたものでもある。そうした認識を持たなければ、永遠にこの問題は解決しないであろう。
論調ではよく沖縄に米軍基地が75%も集中している。これではあまりに沖縄の負担が多いという話になる。誰でも知っていることだがそうなった原因が明確にある。単純に日米安保を改定すればいいというわけではない。
太平洋戦争の時、日本本土で唯一、米軍による上陸と戦闘があったのが沖縄であった。そして終戦を迎えた時、沖縄は米国の領土となった。当然ながら米軍の極東基地として整備される。沖縄は1945年の終戦後1972年まで米国であった。沖縄へ行くにはパスポートが必要であった。ドルでしか買い物ができず、車は右側通行であった。つまり日本ではなかったのである。
1972年5月15日に沖縄は本土復帰となる。しかし、基地はそのまま残った。しかも日本の手厚い援助金のもとに基地は拡大された。それが日本へ沖縄を復活させる条件だったからである。そのまま現在にいたっている。戦後65年を経過しても、戦争の後始末を日本人は確実に先送りしてきた。その結果がいまの姿にほかならない。
米軍の基地はいらない。こう主張する鳩山の理念はまともだったと思う。しかし、そのためにクリアしなければならない問題に立ち向かわなければ、理想はただの空論でしかない。日米安保、憲法改正、自衛隊の存在、これらをクリアしなければ基地問題など解決できるわけがない。鳩山総理はこれらに一切触れようとしないで、ただ「最低でも県外」と叫んでいた。たとえ辺野古案に立ち戻るにしても、基地撤退のためのロードマップが明確に提示できていたら、事態はまだ別であったのにと思う。この程度の知恵をつける官僚や周りがいなかったのだろうか。それが無理なら、最初から県外移籍など口に出してはいけないと忠告する人もいなかったのだろうか。政治は確実に堕落している。
しかしながら、沖縄のことを思うたびに、ひょっとして沖縄と同じ道を歩いていたかもしれない北海道の姿が頭をよぎる。多少なりとも北海道の歴史を知っている人なら分かるはず。戦争の終結時、北海道は旧ソ連によって分割統治される可能性があったからである。
戦争の終結が宣言された8月15日の翌日、米国大統領トルーマンのもとへ一通の書簡が届いた。ソ連のスターリンからのもので、それには樺太をはじめ全千島列島の所有権の認定と同時に北海道の分割統治が提示されていた。北海道分割案は釧路と留萌を結ぶ直線の北側をソ連とするというものであった。この書簡はいまも米国内に保管されている。
さすがのトルーマンもこの提案を全面的に受け入れることはできない。千島列島の所有は認めるが北海道は否定した。しかしスターリンは納得しなかった。そうなれば実力行使しかない。8月18日に千島列島の北端占守島への侵攻を命じる。島には池田大佐が指揮する部隊がいた。武装解除の天皇陛下の命令を無視して、大佐は戦闘継続を命じたのである。戦いは21日まで継続した。一日で島を占領して一気に千島列島から北海道へ上陸するスターリンの野望は最初で滞った。
8月20日からは樺太の真岡への侵攻を始める。スターリンは本気であった。こうしたソ連の動きに反応したのが、当時札幌で北部司令官となっていた樋口季一郎少将。武器を捨てずに戦えという指令をだしていた。
この話は8月15日の後のことである。スターリンの野望は恐ろしいものであった。彼は国際条約など平気で破る人物であった。日本兵の捕虜をシベリアに抑留したり、カチンの森でポーランド将校を虐殺したり、その悪行は彼の死後次々に暴露されている。
ソ連軍は8月28日に択捉、9月1日に国後、9月4日に歯舞に侵攻している。日本が連合国に対して降伏文書に調印したのが9月2日である。あまりにも無謀なソ連の侵攻にさすがの米国も待ったをかける。これでようやく戦闘が終わる。
8月18日から9月4日までの戦闘で死亡した日本兵は3000名。さらに民間人は3500名も死亡している。彼らの犠牲があったからこそ北海道が守られたと言って過言ではない。
もしこの犠牲がなかったなら、北海道はいまの沖縄より悲惨なことになっていたであろう。なにしろ略奪が最も得意なソ連である。基地ができるどころではなかったはず。想像するだけで背筋が寒くなる。戦争の置き土産をいまだ解決しようとしない日本の政治がおかしいと言えばそうだが、戦争という言葉だけで目を閉じ、口をふさぐ日本人になってしまったことが問題であった。そうさせる教育に奔走した一部の教育者たちの責任も重大だ。
これ以上、沖縄のような犠牲を増やさないためにも、日本人は自分たちの憲法、自分たちの政治と国を取り戻さなければならない。
旧ソ連のあり方は今の「北」と同じ、暴走族です。
最近もビザ無し交流を無効化し、実効支配を強めようとしてますね。かの国には、他国と協力する思想がない。極めて侵略的な国です。その侵攻を止めるために
関東軍は配置された。さてさて、その思考系譜であるプーチンは?言うまでもありません。
ところで、普天間の訓練の一部を別海町にという話も
浮かび上がってきましたね。「北」の脅威への訓練だとか。
またまた薄氷の面積を広げるのでしょうか?
おっしゃるように、外交文書から旧敗戦国条項を取り除かない限り、薄氷状態は永遠ということになりますね。独り立ちできる日はいつ来るのか・・・
よその国に依存していて、未来などありませんね。