楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

お金の使いみち。

2006-11-30 23:12:07 | Weblog
地下鉄のポスターを見て反省。


昼休みに上司からボーナスの使い道を尋ねられた、確か半年前にも同じようなことがあった。結局前回のボーナスでは何を買うというわけでもなく気付けばお金は日々の浪費に消えていったと思われる。思われるというのは使った記録がないからだ。先日も後輩に「浪費ですね」と言われた。特に大きな買い物をするわけではないのだが、気付けばお金がなくなっている人を浪費家というならば、浪費家かもしれない。カメラを買おうか、パソコンとi-podか、DJ用のミキサーも買い替えたい。あれもこれもと欲は尽きない。

質問の主は薄型テレビを買うという。もともと機械モノが好きでカメラを組み立てたりするくらいだから前回のボーナスの時はカメラを買おうと思っている旨を伝えたところ「試しに使ってみると良い」といって購入を考えていたのと同型のカメラを貸してくれた、まったくありがたい話だ。今日も話を聞いてみようと昼飯に誘い、席に着くと薄型テレビの話を始めた。液晶とプラズマの違いから始まり、各社製品の徹底比較が続く。そうして購入予定のモデルを楽しそうに教えてくれた。他人の買い物話を聞くのは、自分が欲しいと思っているものでなければ案外と楽しい。目下の課題は薄型テレビを置く場所を作らなければならないといことのようだ。要するに古いテレビやサラウンド類をどのように移動して、処分するのかということだが、今回はいくらタダでやると言われても借りることもなければ、もらうことだってお断りだ。その旨を伝えた。

ボーナスの時期は近い。何を買おうかとまた迷っている。欲しいものは色々とあるのだけれど、本当に買うべきものもあるのだ。お金は大事だけれども使うこともまた大事だと自分に言い訳しながら、悩んでいるのが一番楽しいと再確認している。悩みながらまた気付けばお金がなくなることがないようにしなければ、今書きながら気付いた。

五穀アンパン。

2006-11-27 23:51:26 | Weblog
家にはビニール傘が5本ある。


このところずっと外でご飯を食べる機会が続いていたため、家に帰ってからご飯を作るのが面倒になっている。冷蔵庫の中もどんどんガランとしてきた、残ってしまった食材もそろそろ処分しなければいけないと思うと気が重い。作らなければ作らないで済んでしまうのは確かに便利なのだけれども、ふと「これでよいのかしら」と思ってしまうのだ。

酒を飲まずに外で食事を済ませてしまうと随分と時間を有効に使った気になるし、実際に手間も時間も省ける。それがまた大きな魅力になってしまうのもわかっているのだけれども、簡単なもので良いからたまには何か作らなければならないだろう。義務感に駆られるのは決して気持ち良いものではないが、このままでは朝ごはんだって外で済ませてしまいかねない。全く怠け者である。

そうなれば家に帰ってもお湯を沸かすこともなければ、お茶を淹れることだって面倒くさくなってしまうに違いないが、少しだけでもこの流れを変えようと思って昨日朝食用にいただいたアンパンを夜に食べようと取っておいた。これを食べようと思えばお茶をいれるか、コーヒーをいれるはずだ。牛乳を電子レンジでチンとしてしまおうという手抜きの誘惑に駆られるが、やはりコーヒーを淹れることにした。

ヒルサイドパントリーのアンパンは五穀アンパンと胡麻がのったつぶアンパンがあったはずだ。頂いた五穀アンパンを眺めて、いつアンパンが好きになったのかを思い出す。昔、本か何かでアンパンと牛乳を食べるのを目にしたのを覚えている。それがきっかけかどうかはよくわからない。少し小さめのアンパンが好きだ。もったいぶったくらいの大きさが良い。

コーヒーを淹れたからといって明日からご飯を作るかどうかはわからないけれど、今日のアンパンは自分でコーヒーを淹れた分だけ美味しかったはずである。ごちそうさま。

髪を切る場所。

2006-11-26 16:42:47 | Weblog
本格的に冬ですね。寒い。


髪を切った。いつものとおりに目白駅で降りて下落合へ向かう。月に一度必ず来ているがそれ以外で目白に来る用事などまずない。髪を切るためだけに山手線を挟んで反対の場所まで行くというのは決して合理的ではないだろう。通い始めたきっかけは、むかし目白の駅のそばにあったカフェのクリスマスパーティーで話をした方が近所で美容院を開業しているという話になったからだ。何年前だったかもわからない、もうずいぶんと前の話だ。

それより前は自宅から徒歩で1分くらいの所にあるおばさんが一人でやっている床屋。通うには良かったのだけれど、就職時に髪を伸ばすという暗黙のルールにとりつかれて訳も分からずに髪を伸ばしたところ、アタマ全体がこんもりとふくらんで何とも形容しがたい形になるのがどうにも耐えられなかった。今もその頃の写真を見せると皆がおかしいと指摘して笑う。そんなこともあって今の美容院に通い始めたのだけれど、髪を切りにいくためだけにわざわざ目白まで出かけるというのは案外悪くない。

美容院の椅子に腰掛けると「先月のはいかがでしたか」と尋ねられた。先月髪を切った際、いつもとは少し違う感じに仕上げられたのだけれども、ひと月も経つとすっかり忘れてしまっていた。すぐに思い出せずにいると「少し違っていたけれどどうでしたか」と続ける。あいまいな返事をしながら先月の髪型のことだとわかったので「いつもと違う感じでたまにはよいですね」と答えると、それは私の感想か周囲の感想かと続けて尋ねられたのでそれもまたあいまいに答えた。きっと今月も先月と同じ少し違ったアタマになるのだろうと思いながら鏡を眺めた。

数十分後、気づけば元のアタマに仕上がっていた。いつもよりちょっと短めだけれども慣れ親しんだいつもの髪型だ。やはり長い間通っていると通じるものだなと思いながら、初めの質問に気の効いた答えが出来なかったことを反省した。気負わずに計算することもなく相手の想いを上手に汲み取って適切な答えができるようになるにはまだまだ経験が必要のようだ。お金を払って外に出るとすっかり日が暮れていた。短くなったアタマには少し寒い。家に戻ったら毎年被っている茶色のニットキャップを探そうと思いながら家へ向かう電車に乗った。

益子行き。

2006-11-23 22:46:32 | Weblog
参考館には猫が沢山います。


今年の2月の手帳を見ると「益子参考館は2月いっぱい休み」と書いてあった。浜田庄司ゆかりの益子の参考館には以前から行こうと思い続けていたのだけれど、漸く行くことができた。新幹線に乗り、電車を乗り継いで2時間ほどで益子に着いた。着いてしまえば案外近いということがわかるが、近いところほど案外遠いものだというのは全く言い訳にしかならない。閑散とした駅前にある観光協会で自転車を借りて街に向けて走りだす。

街中から外れたところにある工房に向けて走る。電動アシスト自転車というものに初めて乗ったがなかなか快適だ。いつも乗っている自転車と要領が違うのもまた良いものだ。田舎の整備された道をゆっくりと行く。本当に閑散としている、こういうところも良いなあと思うのは便利なところに住んでいるものの軽はずみな物言いになってしまうのだろうか。電動のアシストで快適に坂道を登っていくと工房がある、アトリエとスタジオを見せてもらいながら犬をいじくって、話をする。都会から移住して焼き物作りをしているという。うらやましくなるような環境。駅から自転車でやってきたことを伝えると驚かれた、どうも自転車でくるような場所ではなかったようだ。小さな皿を2枚ほど買う。

中心から大きく外れた工房から益子の街へもどる。途中にSTERNETというカフェにて昼食をとってから参考館へ。浜田庄司が参考にした品々とその作品が住居とともにあることから「参考館」。世界中の品々が並ぶまさに浜田庄司コレクション。布に装飾品、玩具に日用品と幅の広いセレクション。見終えた後に近くの古道具屋でレコードを買ってしまうような人には決して真似できません。

かつて社員旅行で来たことのある益子焼共販センターに寄りながら家にある自作の益子焼の小鉢を思い出す。面取りがうまくいっていないけれども案外使い勝手がよいので何かと使い続けている。時間が無いので陶芸体験もしなければ、益子焼の横で韓国海苔を売っているような売店にも魅力的なものは無いので「今日の買い物」でも紹介されている浜田庄司も大好きだったという赤羽まんぢうを買って駅に向かう。店のテーブルにも「今日の買い物」が付箋つきで置いてある、きっと私のような者が他にも沢山まんぢうを買っていくのだろう。結局11時から4時過ぎまでの5時間、益子の街を自転車でぐるっとまわり、手許に残ったのは数枚の皿とまんじゅう、そしてレコード。最後の一つが場違いであるのは明らかだ。

ほど良い疲労感で帰りの車中では眠り続け、気付けば上野。日比谷線に乗り換えて人形町の芳味亭で夕食をとる、ハンバーグに牡蠣フライ、野菜サラダにビール。疲れた体に満腹感が加われば本格的に眠くなってきた。こうなればやはり旅をしたなあ、という感じになる。ビールが無くたって勿論良い旅だったことは間違いないのだが。


「かな」カレンダー。

2006-11-18 12:12:30 | Weblog
また頂きものをありがとう。


コメントで案内を頂いていたカレンダーを見にいこうと会社を出て地下鉄に乗った。飯田橋の駅を出ようと階段を上っていると傘を畳む人たちとすれ違う。夕立のような雨だ。濡れながら近くのコンビニでビニール傘を買う。いつでもどこでも傘が買えるようになったことは良いのだけれど、またビニール傘が一本増えるのかと思うと少し複雑だ。

時間外にもかかわらず受付ホールの電気を点けてカレンダーを見せてもらう。「かな」の起源から進化の過程が毎月展開されていく。添えられた解説文もとても興味深い、じっくりと読んでいると今年のカレンダーを持ってきてくれた。こちらも「かな」だ。大倉集古館にあるらしい古今和歌集が素晴らしく良い。源俊頼が書いたといわれる文字はもちろん良いのだけれども、その紙の色と模様に惹きつけられる。実物を見てみたいなあと思っていると「興味があるだろうと思って」と非売品の冊子を頂いた。自社のフォントが詰まった冊子。細かい解説などがないだけに眺めることに集中できる。周年企画の一つで制作されたもののようだけれど、誰も読まないような社史なんかより余程気が効いている。

大雨の中を歩いて近くのおでん屋に寄った。ビールを飲み始めてほどなくAIKも合流した。何ということもない話題で過ぎていく、酒をおいしく飲むにはちょうど良い。無言で飲むなら独りのほうが美味しいし、重い話題で酒がおいしくなることもなければ、バカ騒ぎをしていては酒の味など無いに等しい。美味しいだけに少し飲みすぎるということはあるけれど、それに気付くのはいつも飲んだ後だ。

おでん屋を出ると雨は上がっていた。MNMが差してきたビニール傘がなくなっているという、私のビニール傘があったかどうか記憶も曖昧だけれども、傘は置いたままにしてきた。ビニール傘が一本増えることをあれこれ考えるよりは、誰かが使いたいときにその傘を使ってくれれば良いし、店を出た後にもう一軒寄るならば荷物は少ないほうがありがたい。結局、おでん屋からそう遠くない中華屋でもう一杯飲んでから終電に飛び乗った。少し飲みすぎか、やはり気付くのは後になってからだ。