楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

大坂屋の煮込み。

2008-01-21 23:59:44 | 食べもの。
清澄にあるババグーリに行った帰り、門前仲町の交差点に近いガソリンスタンドのある角でだるまの方に目をやると、手前にある大坂屋の看板が見えた。丁度日が暮れてきた時間帯、夕食には早いが、お八つということならいいだろうと勝手に言い訳をつけて、ちょっと寄っていこうと相方に声を掛けた。煮込みと酒がお八つになるのかどうかわからないが、軽く一杯ならばこの後の予定にも支障は無いはずだと思い込むことにして、小ぢんまりとした店構えの引き戸を開けた。想像していたよりも小さい店内。目の前の白木のカウンターには煮込みの串が入った大鍋がぐらぐらと煮えている。カウンターに5席、左手の壁際のカウンターにも同じくらいの席があるのだろうか。カウンターの向こうには店主らしき女性が腰掛けている。奥に見える小上がりに掛けられた液晶テレビでは大相撲中継が流れている。他に客がいないのがかえって有難い。肴は煮込みのほか数点、酒は日本酒と焼酎とビールだけという品書きは潔く気持ちがいい。置いてある酒を自慢するように酒が並ぶ店よりも自分のような者には安心できる。

席に着くと、落着いたタイミングで器と綺麗にたたまれた手ぬぐいが置かれた。小気味よく刻まれた大根の漬物が置かれたタイミングで燗酒を頼むと、ゆっくりと燗酒器に銚子をつけ始めた。古いけれども手入れが行き届いた清潔な店内、無駄なものがないのは品書きと同じだ。煮込みを二本頼むと串に刺さったシロが出てきた。煮汁も旨い。すぐに平らげて追加を頼むと串は三種類あるという。シロにハイゾウ、軟骨があるというのでとりあえず全て頼むことにする。やはり旨い。気付けばお銚子は空になっていた。他に客もいないがおしゃべりするでもなく、気まずくならない程度に言葉を交わす。相撲はそれほど好きではないと言いながら、取り組みが変わるたびに一言二言話し掛けてくる。そうしているうちに他の客が入ってきて隣に座った。串を四本と焼酎を注文するのを横目で眺めていると、生の焼酎にシロップを入れた「梅割り」が出てきた。次はあれを頼もうかと思ったが、次の予定のために切り上げて席を立つと、少し不思議そうな表情をする。ちょうど話題の横綱の取り組みが始まろうというところなのにということなのか、それとも卵入りスープをなぜ注文しないのかということなのかはわからないがどうしてこのタイミングでというような表情だ。長居しない方が心地よいと思いながら長居してしまうような店。その雰囲気に負けてしまったからか写真をとるのも忘れてしまった。けれども、もしかしたら近いうちにもう一度行くための理由を無意識に作ろうとしていたのかもしれない。

異国からの絵葉書。

2008-01-20 21:47:01 | 出来事。
絵葉書について書かれたブログを読んだ。興味引かれるような図柄の絵葉書に出会う機会が減っていることと、チェンマイを除いてはホテルのボーイにお金を添えて投函を頼んだにもかかわらず届いたためしがないというような内容。自分も旅先から手紙を書くのは好きだ。最近は国内旅行で書く事はないが、やはり海外から便りを書くというのは特別な気持ちになるし、思わぬ図柄の切手が貼られた異国の絵葉書がやってくる事を想像すると、思わず書いてしまいたくなる。

少し前、森下に住むSYMと飲んで別れた後に清澄白河からタクシーに乗った。車中で年末にCDを焼いてくれた人について相方と話をしていた。最近のその人のブログを見ているとどうやら年末年始はチェンマイで過ごされたようだから、また新しい音楽を紹介してくれると良いねなどと勝手なことを言っているうちに自宅に到着した。すっかり遅くなっていたし、軽く酒も入っていたから浮かれた気分で郵便箱を開けて覗き込むと一枚の絵葉書が届いている。正装をした男女が並んで写っている図柄、どこかで見たような気がすると思っていたが、すぐにタイのプミポン国王であることに気づいた。松の内も過ぎて年賀状が届くこともなくなってきたと思っていたところに来た葉書だったし、年賀状をもらうような関係の人がプミポン国王の絵葉書を送ってくることなど想像もつかない。誰だろうかと葉書を裏返しても、さらりと書かれた字に見覚えは無い。ほろ酔いのまま、謹賀新年という文字から始まった文章を読んでみる。自分たちが先日手渡した布とピンバッジのお礼などが書かれている。もちろん最後にはその方の名前が書かれていた。読み終えて相方と顔を見合わせて驚き、そしてニヤニヤした。やはりチェンマイからの郵便は間違いなく届くと言う事を伝えたいが、未だに連絡先を知らないのでどうしたらよいのかわからない。松の内を過ぎてからの年賀状になってしまうが、どうにかして届ける術はないかと悩んではみたものの、やはりほろ酔いの頭ではいいアイデアも浮かばない。とりあえずは浮かれたまま、何度もその絵葉書を読み返している。

だるまの酎ハイ。

2008-01-17 00:34:34 | 食べもの。
祝日だったので朝食の後にテレビをつけた。チャンネルを回すと「酒場放浪記」が放送されていたので、ずいぶんと久しぶりと思いながら、ぼんやり眺める。門前仲町の「だるま」を紹介している。門前仲町というと魚三くらいしかアタマに浮かばない。そう遠くに住んでいるわけではないが、その魚三も店の前は何度も通りながら、まだ足を運んでいない。ちょうど独りの夕食になることを思いだして、日が沈んだら「だるま」に行ってみようと思い立った。大衆酒場で独りで飲むというのはずいぶんと久しぶりだ。夜にバスにのって飲みにでかけるというのは都会的なようにも思えてきて少し楽しくなってきた。

寒い中、家を出てバス停に着くとちょうど門前仲町行きのバスがやって来た。やはりこれは間違いのない選択だったと思いながらバスに乗り、終点で降りて真っ直ぐ店のある方角へ向かう。交差点から少し裏手に入って歩く。数軒の飲み屋の看板を眺めながら程なく目的地に到着した。看板らしい看板も見当たらないし、サッシの奥には楽しそうに飲んでいる人が見える。引き戸を開けて独りであることを告げてカウンターに座った。見回すとホッピーか酎ハイのジョッキが並んでいるから、こちらもまずは酎ハイを頼む。適当に氷を入れて焼酎をなみなみと注いだジョッキが出てくるので、今朝テレビで見たとおりに目の前にあるレモン果汁を入れて飲む。空腹だったことも忘れてたて続けにもう一杯飲みながら、つまみを頼もうと思って壁に目をやる。壁にペタペタと貼られている短冊は遠くにみえる。背後の壁にも貼ってあるのが見えるが、こちらは壁にかけられた上着に隠れて見えない。万事休す。とりあえず、間違えなくあると思われる煮込みを頼んでみる、旨い。しかし次に何を頼んでよいのか分からない。隣の川海老の空揚げとブツも良さそうだが、今朝テレビで見たメンチカツが食べたい。結局、知っているものといえば今朝テレビで見たメニューだけなのだ。結局、メンチカツの後にベーコンエッグを頼んでしまい今朝のテレビで見た順番になってしまった。この後に炊き込み御飯と豚汁を頼みたかったが、さすがに気恥ずかしくて頼めずに白飯を頼むと店員が不思議そうな顔をした。なぜ炊き込み御飯か豚汁を頼まないのか、とでも言いそうな雰囲気だ。つまらないことを気にすることなく堂々と注文することができるようになるには、やはり場数ということか。そのためには少なくとも場と同じだけ飲まなければいけない。こう書くときっと誤解を招くとは思いながらもやはり書いてしまうのは、きっと後々のための言い訳を準備しているような気がする。

二つの花瓶

2008-01-15 20:01:43 | 買いもの。

生け花を習いながらも家に花器どころか花瓶もない。今まで花を持ち帰っても家にある口の広い瓶やら何やらで体裁を繕っていたが、いい加減に花を入れるものを買わなければなるまい。買い物するたびにフラワーベースらしきものが並んでいるとついつい見てしまうのだけれども、これといったものが見つからなかったから、そのままにして、花を持ち帰ってはまた「入れるものを…」と繰り返してきた。決して大きくなく、花が入っていないときにも見栄えがして、というように注文だけが多くなって、欲しいと思えば思うほど気に入ったものが見つからない状態が続いていた。

特に当てがあるというのではなかったけれども、プレゼントを買おうと思ってコレックスに行き、棚を眺めているとフラワーベースらしきものが二種類置いてあった。大き目の花をいけるには少し小さいかもしれないけれど、花が入っていなくても問題ないような形だ。今までアタマで思っていたものとは全然違うのだけれども、高さは丁度良い感じになっている。商品を目の前にあれこれと心の中でケチをつけては打ち消すという作業を続けていると店のスタッフが説明をしてくれた。はじめに良さそうだと思っていたものよりも、説明を聞いていくうちにもう一つのほうが気になってきた。しまいには初めからこれが欲しかったような気にさえなってきて、結局包装してもらうことにした。ああでもない、こうでもないと長い間購入しなかったのが不思議なくらいあっさりと家に花瓶がやってくることになった。

その後、大きな包装が目に付いてしまい、プレゼントの前に中身を白状することになったのだが、相方からもプレゼントをもらった。どうやら考えていたことは同じだった。小鹿田の花瓶を買ったのだという。釉薬がそれっぽい感じだけれども、あまり小鹿田っぽい感じでないところが却って良い。自分が買ったリサ・ラーソンのフラワーベースと並べてみると、全く好みが違うことが分かる。しかし、贈った相手が選びそうな感じという視点で見るとなかなか間違ってはいないから興味深い。そんな偶然で花瓶がいきなり二つになった。しばらくは花瓶に気が行くこともないだろう。

ペリカンのパン再び。

2008-01-13 23:59:59 | 食べもの。
久しぶりに浅草に行った。とても良いロシア料理店があるから案内したいと誘われていながら、何だか延ばし延ばしになっていたのだ。新年会のような格好でようやく実現した。折角、浅草に行くのだから田原町のペリカンに行こうと思いつき、予約の電話を入れた。パンを買うために予約を入れるというのもどうかと思うかもしれないが、いつ行けるかわからないのだから、念を入れるに越したことは無い。1.5斤の食パンと小ロールを注文すると「何時に取りに来られるか」と尋ねられた。きっと閉店間際になるだろうからその旨を伝えた。

結局、閉店間際に店に駆け込んだ。いつもパンがずらりと並んでいる棚に残る商品は中ロールだけで、食パンは勿論、小ロールも一つも残っていない。そんな中でも次々と客が訪れて、残った商品を買っていく。奥の棚にポツンと見えるビニール袋が見えたのであれを受け取れば良いと安心していると、後から入ってきた女の子たちが「5時に閉店と聞いた」と店主と話しているのが聞こえた。どうやら受け取りに来た商品がなくなっているようだ。店主は受け取りの時間に来ない商品は販売してしまうことがあることを説明しながら、残っている商品を持ち帰るよう袋に詰め始めたが、女の子たちは納得がいかない様子だ。予約をした商品が残っていないということなど彼女たちにはありえないのだろう。間違いなく取りに来る時間は聞かれているはずだから、その時間に取りに来ないことにも落ち度はあるし、パンが売れ残るということについて売る側が抱える損失ということにまで想像が及ばないようだ。決して「お客様は神様」だとは思わないし、もしもそういう考えが存在するならば、お互いに良い関係が築けているならば、という条件がつける必要があると思いながら店を後にした。

ロシア料理店はとてもアットホームで楽しかった。正統なロシア料理というよりは、洋食に近い。前菜のエスカルゴも自慢のロールキャベツもピロシキも美味しく、ワインも肩肘を張る必要も無い感じで杯を重ねた。ボルシチとピロシキしか知らない自分のような者にとっては、とても安心できる。会話の中でペリカンの話が出た。同席の二人ともパンが好きだと言う。やはり買っておいて良かったと思いながら小ロールの入った包みを二つ渡した。きっと翌朝の朝食が楽しくなると嬉しい。勿論、自分たちの分もある。満腹のテーブルでは食べられないが、翌朝の朝食まで待てる自信も無い。