楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

車窓の車庫。

2009-08-30 22:00:00 | Weblog
外出先からそのまま帰ることにした。まだまだ日も高い。さて、どこに行こうかと考えを巡らせる。山手線の外回りか、内回りかによってこの後の過ごし方が大きく変わってしまうから、ホームに立ったまま暫く考えて、先に到着した内回りの電車に乗り込んだ。品川駅を出て右手にいろいろな列車が並んでいるのを眺めるのは楽しい。田町駅の手前で右にカーブするときに見える機関車を見ようと窓の外を見ると、様子が違うことに気づいた。機関庫の扉は閉ざされ、1台の機関車もない。目の前を過ぎていく機関庫を目で追いながら、楽しみがひとつ減ってしまった以上の寂しさを覚えた。
先日、小学生の時に買ってもらった宮脇俊三の本を実家から持ち帰った。確か小学校高学年の時に買ってもらった記憶がある。装丁の青色の車体に白色の帯が入ったブルートレインももう無くなってしまった。今年の課題図書にしようと改めて読み返せば、無くなってしまった列車が多い。別にその列車に深い思い入れがあるわけではないけれども、この歳になって子どもの頃に夢中になったものが消えてなくなっていることに改めて気付かされた。自分が歳をとった以上に世の中が変わったのは間違いない。
山手線を浜松町で降りて、ほど近い「秋田屋」に向かった。日の高いうちから飲める機会などそう多くはないからと、高清水の冷に煮込みとダンゴを頼んだ。周りを見回すと随分と沢山の客がいる。焼き鳥の煙の向こうに楽しそうに語らっている人たちを眺めながら、子どもの頃には知らなかった楽しみもあるな、と思う。目の前のサーバーから注がれていくビールとチューハイも美味そうに思えてきたので、コップに残った酒を飲み干して勘定を済ませた。まだまだ日は高い。もう一度品川の車庫が見たくなってきた。

東京のイノダ。

2009-08-24 00:28:36 | Weblog
日曜日の午後、バスを乗り換えるついでに東京駅のデパートにイノダがあることを思い出して初めて立ち寄った。
運ばれてきたコーヒーを飲む。別に深い思い入れはないから、味はやはりイノダのそれだと思う。本店を目指せば、違いを指摘され、別のスタイルを目指せば、また違った批判があるのだろうと想像して同情した。
ふと入口の方を見ると、いつの間にか行列ができていた。自分の勝手な思い込みを反省しながら、本店の廊下の奥に鳥かごがあったことを思い出した。あの気性の荒いオウムはまだ健在かしら、と思いながらカップに残ったコーヒーを飲んで席を立った。もちろん、この店にオウムはいない。しかし、イノダはイノダだ。

住宅街のビアガーデン。

2009-08-17 00:47:51 | Weblog
酒の好みを訊かれる時、銘柄や来歴について語る必要がないから「ビール」と答えることが多い。最近はコクだ、キレだ、そして苦味だと、語る言葉が増えてきたからビールも厄介な飲み物になりつつある。そろそろ別の答えを考えておく必要があるかもしれない。結局、美味しければ何を飲んでも楽しいし、いつだって楽しい人たちと楽しく飲めるのは大歓迎だ。
昨年、九段会館のビアガーデンに出かけた面子で今年もビールを飲もうということになった。1年が過ぎるのは早いと思いながら、麻布十番で地下鉄を降りて住宅街を通り抜けた。薄暗くなった軒先に並んでいる植木鉢を眺めながら、日が沈めば随分と過ごし易くなっていることに気付く。今年の夏もそろそろ終わりが近づいているのかもしれない、と思っている内にビアガーデンのあるさぬき会館に到着した。エントランスを抜けるとビアガーデンらしく白いプラスチック製のテーブルセットが見えた。周りは既に宴たけなわの様子でビアガーデン気分も盛り上がる。まずは他の面々の到着を待ちながら枝豆と焼き鳥をつまむ。昼とは違う屋外で飲むビールの美味さは格別だ。すぐにジョッキが空になった。ピッチが早くなっても夏のせいにすれば許されそうな雰囲気があるビアガーデンは何とも素敵な場所だ。
周りのテーブルで食べているジンギスカンがとても旨そうに映る。匂いも音も、食べている姿も羨ましい。全員が揃ったからすかさずジンギスカンを注文した。じきに熱くなった七輪がテーブルの中央に置かれ、ビアガーデン気分も一気に盛り上がる。羊肉の下で蒸し焼きにされた野菜から漂う湯気が食欲を誘う。冬の北海道で食べるジンギスカンも勿論旨いが、夏の麻布十番で食べるさぬき会館のそれも同じように旨い。食べては語り、飲んでは語る。それを繰り返す内にテーブルの上には河童の頭のような鉄鍋だけが残った。食べ終えた鍋を見ている内に夏の盛りを過ぎたことが改めて頭に浮かんできた。
ならばもう一度夏を盛り返そうと思ってもさすがにジンギスカンが腹に入る余裕はない。締めの冷たいさぬき饂飩を啜りながら、来年の盛夏のビアガーデンのことについてことを考えて、少し嬉しくなった。

残暑の使者。

2009-08-16 12:15:10 | Weblog
夜、ベランダから戻った相方が不安げな表情をしているので何があったのかを訊ねると「大きな虫がいる」という、大きさを訊ねるとどうやら蝉のようだ。夜なので放っておくことにしてそのまま眠ることにした。夜の蜘蛛は好ましくないので始末して良いと小さい頃に教えられたけれど、夜の蝉はどうしたものだろう。夏の終わりが近づいてきた夜に、短い命が狭いベランダで終わるのを申し訳なく思いながらも、涼しくなった夜風をありがたく感じながら眠った。
翌朝、植木鉢に水をやるために窓を開けると蝉の姿が見えた。どうやって処分したらよいかと思案する。ポイと外に投げ捨ててしまうのは行儀が悪いし、かといってゴミ箱に捨てるのも気が引ける。ひとまず家のことを済ませてしまおうとその場を去った。掃除を終えて、洗濯物を干そうかと再びベランダに出ようとすると先ほどの位置に蝉が見えない。どこへ行ったのかと探すと、ベランダの手すりの間から外を眺めている。徐々に上昇する気温を感じるかのようにじっと外を向いている。洗濯物を放り出して蝉の動きに注目した。蝉はじりじりと日のあたる場所へと動き始めた。太陽はどちらにあるのか、日差しがどれだけ強いのか、風はどちらに吹いているのかを確かめるようにベランダの端までゆっくりと進んで足を持ち上げた。目の前にいる蝉がもはやただの昆虫とは思えなくなってきた。準備体操のように足を屈伸したかと思うと、その姿が消えた。次の瞬間、羽根を懸命に動かしてふわりと舞い上がり右手の方向に消えていった。
今年の夏は暑くなかったと何度も口にして、ここ数日は夏の終わりの話ばかりしていた。今日は暑い日になりそうだ。せめてあの蝉が生きている間は暑い日が続いても我慢しようと洗濯物を干しながら蝉が飛び去った方向にもう一度目をやり、今年は出さなかった残暑見舞いのことをふと思い出した。

残暑お見舞い申し上げます。

自宅の版画。

2009-08-10 01:13:37 | Weblog
先日泊まったホテルの部屋に南桂子の版画(※)が掛かっていた。水天宮のミュゼで見た展示は数年前だったことを思い出しつつ、プライベートな空間で改めて見ると作品に対する印象が異なることを知った。美術品を自分だけのためにコレクトする人の気持ちが何となく分かるような気になったけれど、勿論、そんなことをするつもりはない。
昨年、畦地梅太郎の版画を購入したからか、今年も案内が届いていたので、軽い気持ちで新宿まで出かけた。特に買うつもりはなかったけれど、見てしまうとやはり面白くなってしまう。ひと通り眺めてから、昨年買った「白い手袋」は良い買い物だったと自己満足に浸っていると「いかがでしょうか」と担当者が近づいてきた。正直に感想を話したうえで気になった2点について詳しく説明を聞く。この時点で買う方向へ心が動き始めていたのかもしれない。家族会議を開いて相談しなくては、というようなことを言いつつ、結局、気付けば伝票にサインをしていた。涸沢の夏スキーを描いた一枚だから今年の夏の思い出にしようと思いついたが、涸沢に行ったことのない自分にとっては言い訳にしかならないとすぐに気付いて別の言い訳を探し始めたが、未だに良い言い訳は思いついていない。
数日前に届いた包みをやっと開けた。やはり買って良かったと改めて思う。どこに掛けようかと思案しながら、まだ床の上に置いたままになっているけれど、いつも座っている場所から眺めるには丁度良い。夏の間はこれを眺めて過ごそうと予定外の出費になった財布のことを考えながら、身近な場所に新しい楽しみが訪れたことを素直に喜ぶことにした。

※南桂子の版画はこちら。思わぬ偶然に小躍りしました。これは885号室でしたが、他の部屋はどうなのか気になるところです。