楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

ポライバル再び

2007-12-30 00:28:16 | 出来事。

夏に鎌倉へ見に行った岡本さんと岡尾さんによる「ポライバル展」が、代官山で再び開催されるというので見に行くことにした。会期中に開かれるトークショウの整理券を、仕事場が会場に近い相方が仕事の合間にもらってきてくれた。整理番号は1番、なんとも気恥ずかしさを感じてしまうのだけれども、素直に嬉しい。日が暮れる少し前に代官山に向かって、駅から程近い会場になっている古いマンションの一室に入ると意外と人が多い。そうした人たちと並んで対になっている沢山のポラロイドを見ていると、仕事の休憩時間になった相方もやってきた。簡単に岡本さんへ挨拶を済ませ、再び写真を眺めているうちに相方は仕事場に戻り、机が片付けられた会場の床にずらっと座布団が並べられた。窮屈な格好で腰をかけながらトークショウが始まった。司会は写真家のホンマタカシ氏。予想通りのマイペースな展開のトークの最中、ふと岡本さんがホンマさんを見て「何をやっているの」と尋ねた。司会をしているはずのホンマさんは会場の最前列の人の似顔絵を書いているのだという。指を指した先には、私がいた。
トークショウが終わって、サインを求める列の最後尾に並んでみた。「ファンなんです」という感じはどうも照れくさいのだけれども、折角だからと心の中で言い訳をしながらペンを渡した。「相方は帰っちゃったの」と尋ねられたので、仕事である旨を伝えながら、手短に話をした。チェンマイに言ったことを伝えて、今ではバッグ屋になってしまったサウンドアバウトという名のCDショップにも立ち寄ったことも話すと、閃いたように今日のBGMのファイルをCD-Rに焼いて届けてくれるという。恐縮しながらもお願いして私の名刺の裏に相方の名前を書いて渡した。思いがけない申し出に驚き、そして嬉しくなった。そしてホンマさんの描いた似顔絵を「もらったほうがいいよ」と声をかけてくださった。全くありがたい。そうして頂いた似顔絵を手帳にはさんで会場を出た。その後、仕事を終えた相方と食事をとろうと目黒川沿いの「いろは寿司」に入ると、見覚えのある顔が手を上げている。岡本さん夫妻と岡尾さんたちだ。さすがに離れた席に座り、熱燗を頼む。何やら不思議な縁がありそうな気がしてきた。

ニットの家。

2007-12-14 00:47:47 | 散歩。
相方の友人とお茶を飲む機会があった。初対面なので無理に話には参加せず、相方との会話に相槌を打ちながら、たまに口を挟んでいたのだけれど、二人の友人らしいニットアーティストの作品が国立新美術館で展示されているという話が聞こえる。ニットで家を作ったのだという。ちょうど国立新美術館では「フェルメール展」をやっているのではなかったか、と思いながらも「モチーフを別々に作ってくっつけて」というような会話を聞いているうちに、どんなものかわからないが、とにかく見くなってきた。もちろん、相方は是非とも見に行こうという様子だから、近いうちに六本木に行かねばなるまい。

青山の「ディスプレイ」でdosaのインスタレーションを見た帰り道に展示を見に行くことにした。すっかり暗くなった青山墓地を自転車で走る。右手に東京タワーが見える。六本木ヒルズや東京ミッドタウンの大きさと比べると高低差や距離の関係から小さく見えるが、東京タワーは、まさに「東京」という気がする。東京駅の丸の内側だったり、半蔵門から霞ヶ関への眺めのように東京を感じる。六本木や汐留や丸の内のビルが悪いというのではないし、昔のものの方が良いというつもりもない。最近出来たばかりでも東京を感じる場所はあるのだけれど、東京タワーは何か特別な感じだ。新幹線から見える富士山のようなものだろうか。混み合っているミッドタウンの周りを抜けて目的地に着く。初めて入った国立新美術館は日本の美術館ではないような感じだった。フェルメール展と日展をやっているが、素通りして地下のミュージアムショップに向かう。下りのエスカレータから展示が見えてきた。ニットというから、モコモコと暖かそうなものなのかと思っていたが、全く違っていた。衣服、というよりは造形という感じ。しかし、身に付けている写真を見ると何とも楽しそうだ。色の組合せも面白い。住むために着なければいけないのならば、着るというのは住むことになるのか。それとも住む中で着るのか、とわからなくなる。とにかくニットの家は冬にしか住めなさそうだ。

Dosaの展示。

2007-12-11 01:06:39 | 散歩。

dosaのことを書こうと思うけれども、dosaについて知っていることは殆どない。大体において聞きかじりの内容でしかないから偉そうなことは書けない。何でも自信をもって語れるほどのものが果たしてあるのかどうか。あれもこれもと手を出した結果、結局、何も残っていないような気がする。三十年以上過ごしているけれども、何ができるのかと嘆いていてもしょうがない。取り合えず、自転車に乗って青山まで、墓地を抜けて長い下り坂を下りて根津美術館の前まで来た。目的地の展示会場がわからなかったので系列の靴屋に寄って場所を尋ねる。入れ違いに出て行った男女の二人組も自転車に乗っていた。男性が乗っていた真新しいビアンキ・ピスタと自分の自転車を比べて「こちらの方が良い」と思い込む。こうして他人と比べては勝った、負けたと言っているうちは子どもと何ら変わらない。

靴屋で教えられた展示会場はそう遠くない場所にあった。ビルの駐車スペースに面した入り口の扉を開けると白い寝具が置いてある。右手奥には、カラーが入った白い壷が二つと李朝家具のような文机が置いてある。近づくと天井から吊ってある飾りが照明に照らされてキラキラと光り、その影が壁面に映って揺れている。寝具のように見えるそれはラグや毛布や布など様々な素材が重なり合っていた。「まるで屋外で寝ているようだ」と思っていると、スタッフの方が丁寧に説明をしてくださった。草原で眠っているイメージで作られたインスタレーションであるいう。なるほど、やはりと感心する。全てdosaの製品で、そのいくつかの製品は障害者支援のNGOなどのバックアップから生まれていることなど色々と教えてくださる。物がありき、ではなく、その物が生まれる過程からインスピレーションが生まれるのだという。展示からもそうした精神が感じられる。dosaを身に付ける機会は無いかもしれないが、シーズン毎に作られるというイメージブックを是非見てみたい。外に出るとすっかり暗くなっていた。寒く暗い空の下で毛布を重ねて眠るというのも何だか悪くない気がしてきたが、場所は間違えないようにしなくてはなるまい。かつて酔ったまま路上で眠ったことがあるが決して寝心地は良くなかった。

乃木神社の紅葉。

2007-12-10 01:54:44 | 散歩。

11月の初めに盛岡で紅葉を見たときには、東京の紅葉はいつになるのかと思っていたけれども、気付けば1ヶ月が経過し、東京の木々も色づいたと思っていたら、その色を楽しむ余裕も無く葉が散り始めている。時間が経つのはあっという間だ。全くボンヤリしている場合ではない。このところ寒さが厳しくなってきたと思っているのだから、そろそろ年賀状の準備を始めなければならないかもしれないな、と思いながらも相方と自転車に乗って青山に向かった。見なければ、という義務感を感じる必要は全く無いのだが、やはり見たいと思う展示がいくつかある。それも同じような期間に集中しており、いくつかは見られないかもしれない。どれを見ようかと思っている時間があるのならば、とりあえずでも見に行く方が先決だ。運河と隅田川のアップダウンは相方のママチャリでは辛いだろうといつも思いながらもゆっくりと自転車をこぐ。

いつもならば赤坂見附の交差点から青山通りをダラダラと登るのだが、目的地は南青山なので赤坂を通りながら向かう。こちらもダラダラと長い上り坂が続く。私は先日オーバーホールが終わったばかりの自転車だからストレス無く暢気に登れるが、やはり相方には厳しいようだ。どこかで休まなければ、と思っていると乃木神社が見えた。何度か横目にしながら通り過ぎていたけれども、ちょうど良い機会だと思い寄り道することにした。境内の銀杏がきれいに色づいている。持ってきた煎餅を齧りながらボンヤリと他人の結婚式を眺める。二組の結婚式を見ながら、やはり神前式というのは悪くないなあと思う。他人事だと煎餅を食べながら見る事だってできるのだから、やはり結婚式というのは難儀な物だと思う。煎餅を食べ終えてもと来た道を戻ると乃木大将の旧家の庭が塀越しに見えた。こちらは銀杏でなく紅葉の向こうに夕日が見えた。何だか十分に遠くに来た気がして帰ろうと言い出しそうな雰囲気だったが、まだ道半分であることに気付いた。これから来る冬の強風の中を自転車で外出ができるのか少々不安だ。

雲のうえ。

2007-12-03 01:43:50 | 雑記。

家の近所のスーパーマーケットで新しい「Ginza」を立ち読みしていると、淀川美代子さんのページがあることに気付く。とりあえず気になったのでそのページを捲って読み進めると、淀川さんが今やりたいこととして「Olive」を再編集したいというようなことを挙げている。その中で「もしできれば」という注釈付で以前にOlive特集を組んでいた「Quest」というフリーマグを再構成したいというような言葉を見つけた。かつて家には姉が欠かさずに買っていた「Olive」があった。本棚に大事に保管しているものも、買ってきたばかりの物も家にあったそれは大体目を通していた。そこからどんな影響があったのか、ということなど全くわからない。ただ相方も大事に取っておいているという話を聞くと、どうやら深い縁がありそうだし、「Quest」が特集をしていたとはまた何かの縁だろう。ローカルのフリーペーパーだったQuestの編集長とは地元の縁で二度ほど原稿を書いた記憶がある。今では全国区のフリーペーパーに成長した事を聞き、随分と活躍しているのと比べると、全く自分がフラフラしていることに気付く。

今日もフラフラとして、銀座を歩いて松坂屋の地下の書店に寄って並んでいる本を眺めているとフライヤーと共に並んだ冊子が目に入る。小冊子だって立派に値段が付けられていることが多いのだから、手に取るかどうか悩んでいると、スタッフの女性から「どうぞ」と声を掛けられた。何とも立派なフリーペーパーだと感心したことを伝えると、北九州市が作成しているものであることや、表紙イラストからプロデュースがクウネルのスタッフと同じであることを教えてくれた。何々風というか、オマージュなのかコピーなのかわからないようなものが多い中で、本人が意思を持って自分のスタイルを持ち込んでいることに感心させられる。それ以上に紹介されている食堂が美味しそうなのが何よりだ。次の旅行はスターフライヤーで北九州に行こうと思わせるのだから、やはり優秀なPR誌である。5号まで出ているこの冊子の第1号が「角打ち」所謂呑み屋の特集のようだが、1号は配布終了。やはり読み手もどこか通じているものがあるようだ。