楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

チェンマイの買い物。

2007-09-24 17:34:37 | 買いもの。
このところレコードを買っていないのでは、と言われた。まったくその通りだ。レアなレコード蒐集に躍起になっている友人もいるのだけれども、この夏の暑さの中に混雑する渋谷の街が思い浮かんだとしても、すぐに打ち消してきた。雑踏と喧騒、あの臭気を我慢してまで欲しいレコードがこの夏にはなかったということだろうし、そう思いたい。いや、そうでなくては困る。通信販売やネットオークションでも買い物ができるのだから「まあ、無理に買いに行かなくても」という気持ちに一層傾く。そろそろ夏の暑さも和らいでくるようだから、きっとレコード屋に足が向く機会が増えてくるだろうと言うと、困ったという顔をされた。レコードの買い物が再開したとしても、その他の買い物が減ることなどないということをよく分かっているからだと思う。

チェンマイにはレアなレコードも古書も無かった。一週間美味しい物を食べてコーラとビールを飲みながらゆったりとボンヤリ過ごした。持ってきた本に手を伸ばすこともなかった。事前に目をつけておいた雑貨屋や市場を物色するだけなので、面白く眺めても「買いたい」という欲求に至る商品がない。ただし事前に調べておいたニマンヘミン通り沿いのショッピングセンターの中にあるCDショップは楽しみだった。現地に到着したのだが、それらしい店が見えない。辛うじてあった「CD25%off」という張り紙のある店に意を決して中へ入ると、ソファベッドに寝転がっていた主人らしき男性が起き上がった。店にはCDは数えるしかない。CDに興味を示していると「好きに聴いていいよ」ということを言っているように見えたので数枚を試聴して子供向けのフォークコンサートのライヴ盤を買う。勿論、25%オフ。詳しく話を聞くと、2ヶ月位前に店をバッグ屋に改装したという。改装前の店の様子をPCで見せてもらうと、とても素敵な店の画像があった。しかしチェンマイには似合わなかったのだろうか。店主と記念に写真をとってから店を出た。こうなるとチェンマイで残された買い物は骨董と民芸だけか、そう思っても懐と眼力が備わっていないので買い物はしばらくお預けになりそうだ。

旅の準備とモールスキン。

2007-09-10 00:57:00 | 買いもの。
会社の行事で隣に並んだ同期が翌日からハワイに行くという話をしていた。どうやら新婚旅行らしい。結構な費用がかかるらしく、それでいて嬉しそうな顔をしているのを見ながら、同じように旅に出るのに全く異なる行き先を選んだ自分の選択が果たして正しいのかどうかと少し振り返った。最終候補に残ったハワイ島よりもタイのチェンマイが記念に残るような土地になることを確信して改めてこれで良いと思い直す。チェンマイに行ったことはないのにどうしてそんなに確信をもてるのかといわれるとただの思い込みだとしか答えようはないのだが、なぜか数年前から気になっていたタイの北部について、というよりもチェンマイについて度々紹介しているのが、最も敬意を抱いている人だからというのが大きな理由でもある。こんな理由で旅先を決めたので、人から理由を訊かれると「どうも食べものが美味しいらしいですよ」とか「街がのんびりしているらしいです」と答える。すると誰もが「もう少し他に行き先があるだろうに」という顔をする。気持ちはわからないでもない。

旅の準備をしようと思って必要な物を考えた。真っ先に新しいノートを買おうと思いついた。いつも小さいノートを持ち歩いているのだけれども、ちょうど終わりかけているので買い換えるには良いタイミングだと思ったのだ。もっと他に用意すべき物はあるはずだけれど、ノートがなくてはこの旅行がうまくいかないという位にノートを買わなければならないという使命感に駆られ、伊東屋に寄ってモールスキンの小さな方眼のメモ帳を買った。これでなければならない、という思い込みのままに迷うことなく購入し、家に帰ってから包みを開けると、小さな紙片が入っていた。そこには「ある伝統的なノートブックの話」と題してモールスキンのノートの歴史が語られている。やはり買って良かったと使う前から充実感に浸りながら読み進むと「ブルース・チャトウィンが(モレスキンが廃業すると知り)手に入る限りのモレスキンを買い漁りましたが、それでも十分ではありませんでした」と書かれている。しかし今に至る間に復活を遂げこうして手に入るようになっているのだから、気にせず沢山使いたい。勿論、今回のチェンマイのことがどれだけ記されるのか、そして使う前からもう次のモールスキンを買うことを考えているのだ。

葡萄の季節。

2007-09-09 13:00:29 | 食べもの。
手土産を選ぶのは難しい。相手が喜ぶ顔が見たいと思ったり、ちょっと気の利いたものがいいと思ったり、自分の趣味も少しだけ入れたいという誘惑に駆られたりと思惑が交錯しながら結局はいつもどおりのものになってしまい自分の芸のなさにガッカリしたりする。先日訪れた相方の友人の展覧会には忠三櫻本舗のどら焼きを持っていったのだけれども、その時ちょうど同時に相方の上司は千疋屋の包みを抱えて訪れた。お馴染みの包装紙を開けると美味しそうな巨峰が並んでいる。「秋は葡萄でしょ」と言いながら、手土産を選ぶのは楽しいということを言っていた。確かに選ぶのは楽しいが、その難しさに翻弄されてしまう自分にとって手土産選びが楽しいと言えるようになるのはまだまだ先のようだ。

初めて相方の家に行った時、やはり同じように手土産に巨峰を持っていった。その時は千疋屋ではなく高野の巨峰。先日も同じように私の実家から手土産を持っていく時に葡萄を買った。立ち寄った直売所には9月にならないと巨峰は出てこないので代わりの葡萄を買ったけれども、その後、9月に入って改めて巨峰を買いに行ったらしい。というのは、先日実家に帰った相方が一房の葡萄を持って帰ってきたからだ。私の実家から貰ったのだという。あちらでもこちらでも葡萄が行ったり来たりしている。早速、冷蔵庫に入れて食後に食べる。夏に食べるデラウェアなどとは違うしっかりとした果肉、甘さとともに葡萄の酸味が口に広がる。立て続けに口に入れてその味を楽しんでいたが、葡萄のことを書こうと思いついて器を覗くと既に葡萄は三粒しか残っていない。どうしてもっと早く気付かなかったのだろう。「食べ切れなかったら、冷凍しても美味しいよね」と言っていた相方の上司の顔が頭に浮かぶ。冷凍しようにも三粒ではどうにもならない、と思いながら残りの三粒もすぐに口の中に消えた。冷凍葡萄を食べられるのはいつになるのだろうか。

晴海埠頭のチリ帆船。

2007-09-04 00:31:00 | 散歩。
久しぶりに自転車の空気を入れた。いい加減に直しに行かなければと思いながら、他の用事を優先してしまっているクロモリフレームのロードと、目下一番出番の多いジオスのシクロクロス、そして相方の買い物自転車とバラバラの自転車置き場を回りながら空気を入れていく。思っている以上に空気が抜けるのは早い。毎朝の駅までの道のりで空気の抜けた自転車を見てチェーンと空気ぐらい入れてから乗ればいいのにと思っているが、まずは自分の自転車にこそ必要だったのだと思い返す。空気を入れてから慣らしに晴海埠頭まで自転車を走らせる。暑さも漸く和らいで自転車に乗るにはちょうど良い季節になってきたが、しばらく載っていなかったせいか調子が出ない。乗り慣れてきた頃に暑くなったり、寒くなったり。そんなことではいけないと思いながらも、やはり乗りやすい季節に乗るのが一番だ。

いつも晴海通りを銀座方面に向かってしまうので、晴海埠頭に行ったことがなかった。反対側の日の出桟橋には何度か足を運んだことはあるけれども、近いにもかかわらず一度も来たことがなかったのはどうしたことか。フラフラと自転車を走らせながら埠頭に近づくと、護衛艦が見えてきた。その前方に帆船が見える。どこかの練習船かと思っていると人だかりがしている。野次馬根性で人だかりに加わると、白い制服を来た人たちが並んでいる。何が起こるのかと楽しみにしているとラッパが鳴り、太鼓の音が響き始めた。目の前を行進していく。事務局らしい人が話しているのが聞こえる「明日の練習をしなければ」。練習にしては大掛かりだ。更新の後を自転車で追いかけると、隣の公園へと進んでいく。どうしたことか。

制服の帽子にあった「chili」の文字から調べると、帆船はチリ海軍練習船「エスメラルダ」であることがわかった。修好通商110周年の一環ということらしい、意外と歴史が深いようだ。しかし、そんなことよりも目の前の制服の人たちの動きが興味深い。式典の練習らしく動きがダイジェストなのだ。何度も何度も繰り返し練習している。日の丸が揚がりチリの海軍兵が君が代を歌う。南米のというか、ラテンの空気か。音が少しずれて公園に響いた。