楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

花の名前

2010-02-28 23:59:59 | Weblog
沈丁花が咲いている。スーパーマーケットに寄って帰る途中に足を止めた。昼よりも夜にその匂いを感じるのは気のせいだろうか。どうしても自分の身近な場所に置きたくなって、まだ開花していない蕾のついた小さな枝をこっそり折って持ち帰って、焼締めの小さな壺に放り込んだ。
それから今日も家に帰るとうっすらと沈丁花の匂いがする。蕾も日が経つにつれて開いてきた。家に帰るとうっすらと花が匂うのは悪くない。もう一週間以上になるだろうか。今では枝を折ったときの罪悪感もなくなりつつある。むしろ、もしもこの枝が枯れてしまったなら、もう一度同じように小さな枝をサッと折ってしまうに違いない。
毎朝通勤のために駅まで歩く道に小さな遊歩道がある。いくつかの植物に表示板がくくりつけてある。百日紅にクスノキ、浜木綿にハナミズキまではすぐに覚えたものの、ギンヨウアカシアという名前がどうにも頭に入らない。駅まで急ぐ道すがらにその樹を見るたびに名前を思い出すのだけれど、なかなか正解が浮かばない。なぜか「ギンヨウセキレイ」と鳥の名前が混じってしまう。そしてセキレイを見せられてもおそらく「鶺鴒」と書くことも、その鳥を認識することもできないだろう。しかし、何度覚えようとしても「ギンヨウセキレイ」という単語が頭の中に浮かんでしまう。これも老化のひとつだろうか。
最近になってようやく「ギンヨウアカシア」という単語が自然に出てくるようになった。眺め始めて1年が過ぎようとしている。覚え始めた頃に咲いていた小さな花が今年もまた咲いた。その黄色い小さな花が自分の大好きなミモザと同じであることに気付いたのは、名前が頭に入ったからか、それとも花を眺める余裕ができたからだろうかは分からない。だた分かっているのは、その小さな黄色い花がついた枝を自宅にどうやって持ち帰ろうかと思案している自分がいるということだ。かつて実家の父親が枝を折る時に許しを乞うていた「花のかみさま」に自分も許しを乞おうと考えている。果たして許してもらえるだろうか。

※写真は沈丁花でもギンヨウアカシアでもありません。念のため。

成長の物差し

2010-02-16 00:12:00 | Weblog
「岡村吉右衛門 蝦夷絵から十二星座まで」展

会期 2010年1月16日(土)~2010年2月28日(日)
火曜日休館
午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで)
多摩美術大学美術館(多摩センター)
東京都多摩市落合1-33-1  042-357-1251
※ http://www.tamabi.ac.jp/museum

日曜日の朝に相方を送り出してから教育テレビの『日曜美術館』を眺めていると岡村吉右衛門の展示が紹介されていた。全く知らなかったその名前を気づけばメモしていた。会期も残り僅か、次の休みには行けるだろうか。以前から身近にあった染色にこんなに近づくことになるとは考えもしなかったけれど、年々そうしたことが多くなっていることに少し畏れつつ、その先はどうなっていくのだろうかと、今まで見たこともない場所に出かけて、知らなかったものを眺めて考えようと思う。こうやって書くと大層なようだが、何のことはない、単に新し物好きでお出かけ好きでしかないのだ。それは昔も今も変わらない。果たしてどれだけ成長しているのだろうか。

知らない人

2010-02-09 00:25:28 | Weblog
電車内で「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ・ブレッソン展」の広告を見たのは随分と前だった。広告を見つけた時に必ず行こうと相方と言いながら、結局一人で訪れたのは最終日。きっと混み合うだろうからと日曜日の家事も新聞の切り抜きも放り出して仕事に向かう相方と一緒に家を出て、日比谷線から動く歩道を急いだ。到着したのは開館して10分後くらいだったろうか、随分と人が多いと思いながら空いているロッカーに荷物を預けて会場に入った。
その前日、本郷に入院している父親を見舞った後、日比谷から表参道に向かう千代田線の車内で親子連れを見かけた。ナディッフの袋を持っていたので気になって二人を眺めていると袋から写真展の図録が出てきた。そのページを捲るごとに子どもは楽しそうに感想を話してはおどけているのを見ていたら、明日は早起きをしてでも見に行こうと改めて心に決めた。そうして到着した会場は予想以上に混み合っていたけれど、昨日の子どもの楽しげな表情を思い出してゆっくりと写真を眺め、やはり来てよかったと思いながら会場を進む。前半に木村伊兵衛、後半にブレッソン。どちらもそれぞれに面白い。
絵画を見るとき以上に、写真を見ていると周りから聞こえてくる声が耳に入る気がするのは自分だけだろうか。被写体の人物を知っているかどうかで興味が変わる気持ちはわかるけれども少々興覚めだ。知ろうが知るまいが構わないではないかと周りの声に耳をふさいでいると、今まで印象に残ることがなかったピエール・ボナールのポートレートの前で立ち止まった。画面の右側で小さく背中を丸めたボナールの姿がどうしてこんなに気になるのだろう。暫く考えて自分はボナールの絵に余り興味がなかったことに気づいた。全く失礼だと思いながら、知らないことのほうが案外大事なのかもしれないと勝手な言い訳を頭に思い浮かべながら、もう一度戻ってボナールを眺めた。やはり知らない人に出会うのは、どんな状況であっても悪くない。

手帳のメモ

2010-02-07 21:50:30 | Weblog
色々な場所に行って、色々なものを見て、できることなら色々な人と話ができれば良いと思いながら、休日の度に出かけてたことを記録しておかないと忘れてしまうと記憶を頼りに手帳に書きつけた。正月が明けてから、京橋で安井曾太郎を見て、水戸にヨゼフ・ボイスを見に出かけ、早起きして富岡八幡の骨董市を覗いてみたり、竹橋でウィリアム・ケントリッジ展と早川良雄展を見た足で東京をぐるりと廻ったり、新しいシーズンの洋服を見に行って気づけば楽しく散財に近付く春のことを思ったり、鎌倉まで出かけて文房四宝の楽しい話を聞いてお屠蘇を飲んだり、本郷に父親を見舞ったり、実家で愛犬を天国へ見送ったりしていた。その他にもいくつかの展示を観て、合間にあちこちで食べたり飲んだり。そんなことばかりを思い出して書きつけている横でマネジメントと法律の本にマーカーを引いている男性の姿が見えた。
『where the wild things are』を観た日の夕方、早起きをして最終日に駆け込んだ『木村伊兵衛とアンリ・カルティエ・ブレッソン展』の図録を捲りながら再び隣席を覗いてみた。空になったマグカップの底に乾いたコーヒーの染みが見えた。きっと長い時間勉強しているのだろう。自分はきちんとした大人になっているのだろうか、と手帳に記されたここしばらくの行動と思いつきばかりが記されたメモを眺めてマグカップのココアを飲む。温くなってきたことに気づいたのでそろそろ潮時かと思って店を出た。歩きながら次はどこに行こうかと再び考え始めた。

最期の散歩

2010-02-02 00:47:02 | Weblog
携帯電話が鳴っているのに気付いたのは金曜の夜の六本木だった。芋焼酎の一升瓶が空になりそうな頃に数件の着信があったことに気付いた。いつもならばメールを寄越すのも珍しい実家の父親からの着信の意味を考えるよりも先に目の前のグラスに注がれたお湯割りを飲み干した。
一升瓶が空になったタイミングで店を出た。2次会へ向かう途中で再びかかってきた電話をとった。酩酊していても、街がどんなに騒がしくても実家の飼い犬が死んだことは聞き間違えようがなかった。たかが犬のはずなのに涙が止まらない。2次会の店で最初に運ばれてきたビールも口にできないまま店を後にして賑やかで楽しげな街を泣きながら歩いて家に帰った。地下鉄の車中でも思い出しては泣いていたはずだ。
途中、乗換駅の改札の手前で中年の女性が話しかけてきた。ずいぶんと泣いて腫れた目の中年男に何の用かと思っていると築地に行きたいのだと言う。日比谷線に乗り換えるには説明が面倒なのでさらに詳しく尋ねると目的地の宿の名を口にした。それならば、これから自分の乗る有楽町線の方が便利だから案内することにした。どうしてそんなことになったのか分からないけれども、新富町駅で途中下車したうえに、最寄の交差点まで見送った。そして駅への階段を下りながら、また泣いた。
普段から道を尋ねられることは多い。けれども、あの夜、泣き腫らした目の私に道を尋ねた大きなマスクをした中年女性の行動も、自分もあれほど悲しんでいたのに、わざわざ途中下車までして案内をしようと思ったのかも不思議でならない。きっと彼が姿を変えて最後の挨拶に来たのだと思いたい。そして、きちんと見送ることはできたのだ。
翌日、実家の庭の桜の樹の下に大きな穴を掘って、皆で見送った。昨日案内した通りに進めば、泊まるべき場所への道は迷うことはないだろう。小さく盛り上がった庭の土を手のひらで押さえた。土の冷たさに亡骸の感触を思い出して少しだけ泣いた。