楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

Cow Bell

2010-08-23 00:20:03 | Weblog


随分前に読んだ雑誌の別冊にベラルーシで拾ったというカウベルが載っていた。カウベル自体も魅力的だったが、そこに添えられたテキストも相まって、殊更素敵なものに見えた。何に使えるというものではないけれども、あるだけで良いという種類のものはきっとあるに違いない。自分の身の周りも、そんなものに浸食されつつある。

ブータンを移動していると至る所に牛が歩いている。道路の中央分離帯にある草を食む牛、草原でのんびりと寝そべる牛、どうやら多くは野良牛らしいが、時折、牛飼いに連れられた牛の集団とすれ違う。車のスピードが落ちた時にすれ違った牛を観察すると、時どきカウベルを下げた牛を見つけた。首に小さく見えるカウベルは、将棋の駒のような形で、それほど魅力的に見えない。しかし、もしかしたら、どこかに落ちていないかしらと目を凝らしたが、勿論、落ちているはずがない。

ティンプーで泊まった宿の近くの観光客相手の土産物屋に入った。店の手前にポストカードなどが並び、奥に古民具やら古そうな仏像が並んでいる。良い値段の付いた古びた木製の匙などを冷やかしていると、棚の中にずんぐりした鉄製の鈴が見えた。思わず値段を尋ねると、木製の匙に比べるとはるかに安いが、決して安価ではない。翌日も、その次の日も店を訪ねて悩んだ末に、幾らか値切って買うことにした。きっとこの先、落ちているカウベルを見つけることなど無いだろう。結局、ブータンでの買い物はカウベルだけになってしまった。

ずっとトランクの中からガラガラという音が聞こえるのを気にしながら持ち帰り、家に着くや、早速取り出してガランとならしてみる。呑気なガランという音がする。このカウベルの形も音も自分にとってのブータンのイメージだ。良い土産を買ったと満足したものの、また無用なものが一つ増えた。

飽きない味

2010-08-21 12:14:10 | Weblog


旅から戻ると「楽しかった?」という後に続くのは「食べ物はどうでしたか?」だ。いつも食べて飲んでばかりだねと笑う人たちも、やはり帰国すれば「食べ物は美味しかったか?」と訊いてくる。驚くほど美味いものが無かった場合にはどのように答えたらよいのだろうか。きっと美味しいものがあったのだろうと期待する顔を見ながら「唐辛子を野菜として食べる国でした」と答え、相手の拍子ぬけた表情を見て、自分のせいではないと思いながらも、申し訳ない気持ちになる。

毎食、唐辛子とチーズを煮た「エマ・ダツィ」という付け合わせが必ず付いてくる。現地のガイドなどは、山盛りの飯にエマ・ダツィをどっさりかけ、牛肉煮を添えたものを食べている。自分たちも目の前に食べきれないほど並べられた料理を前にしながら、結局は同じ組み合わせで食事を済ませていた。毎食同じ組み合わせで飽きないのかと尋ねるが、そんなことはないと当たり前のように答える。飽きない味、と言われれば、そんな気もする。

皿の上の牛肉を眺めていると、殺生を嫌うのではなかったか、という疑問が浮かんだので尋ねると、「牛肉は外国から輸入しているのでOK。殺すのは外国だ」と言う。中国とインドという大国の間で均衡をとり続けるお国柄なのだろうか、奇妙な理屈を聞きながら、ビールをもう1本注文するかどうか悩む。口の中が辛い。

Bhutan

2010-08-10 21:46:53 | Weblog


先月、旅先のブータンから手紙を出した。帰国して随分経っても手紙が届いた気配は一向になかったが、先週末に福岡へ向かう途中に漸く友人から「手紙が届いた」という連絡をもらった。ほぼひと月近く、ブータンの首都ティンプーのホテルから、どんな経路で手紙はやってきたのか。まさか船便ということはないはずだけれど、きっと想像もつかない寄り道をしてきているはずだ。

楽しかった旅行のことを忘れないようにブータン旅行の日程表を切り取って、モレスキンに貼り付けた。簡単な作業なのに取り掛かるまでに随分と時間が経ってしまった。詳しい記憶が少しずつ薄れていく。それは寄り道もせずにまっすぐに帰っても、面倒がってしまった物ぐさの結果でしかない。出来れば、再び記憶を戻す旅に出たいな、と日程表の行間を見てボンヤリと楽しい記憶に浸る。反省という言葉もアタマの中から消え去りつつあるようだ。