随分前に読んだ雑誌の別冊にベラルーシで拾ったというカウベルが載っていた。カウベル自体も魅力的だったが、そこに添えられたテキストも相まって、殊更素敵なものに見えた。何に使えるというものではないけれども、あるだけで良いという種類のものはきっとあるに違いない。自分の身の周りも、そんなものに浸食されつつある。
ブータンを移動していると至る所に牛が歩いている。道路の中央分離帯にある草を食む牛、草原でのんびりと寝そべる牛、どうやら多くは野良牛らしいが、時折、牛飼いに連れられた牛の集団とすれ違う。車のスピードが落ちた時にすれ違った牛を観察すると、時どきカウベルを下げた牛を見つけた。首に小さく見えるカウベルは、将棋の駒のような形で、それほど魅力的に見えない。しかし、もしかしたら、どこかに落ちていないかしらと目を凝らしたが、勿論、落ちているはずがない。
ティンプーで泊まった宿の近くの観光客相手の土産物屋に入った。店の手前にポストカードなどが並び、奥に古民具やら古そうな仏像が並んでいる。良い値段の付いた古びた木製の匙などを冷やかしていると、棚の中にずんぐりした鉄製の鈴が見えた。思わず値段を尋ねると、木製の匙に比べるとはるかに安いが、決して安価ではない。翌日も、その次の日も店を訪ねて悩んだ末に、幾らか値切って買うことにした。きっとこの先、落ちているカウベルを見つけることなど無いだろう。結局、ブータンでの買い物はカウベルだけになってしまった。
ずっとトランクの中からガラガラという音が聞こえるのを気にしながら持ち帰り、家に着くや、早速取り出してガランとならしてみる。呑気なガランという音がする。このカウベルの形も音も自分にとってのブータンのイメージだ。良い土産を買ったと満足したものの、また無用なものが一つ増えた。