楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

ながら音楽。

2007-03-27 00:39:45 | 雑記。
銀座七丁目にて。


先日の休みに「たくみ」に寄ろうとしたところ閉まっていたので、斜向かいにある「ウエスト」に行こうと思いつく。お茶というには少し遅い時間だったので、店内は意外と空いていた。奥の席に腰を下ろしてメニューを眺める。チョコエクレアも美味しそうだけれども、生ケーキセットも美味しそうだ。散々悩むのもどうかと思ったので、ダブルシューのセットを頼むことにした。通りに面した売店をいつも横目で見ながら通り過ぎているが、喫茶に入るのは初めてだ。店内を見回す、何とも良い雰囲気だ。追いつけないようなスピードで周囲が開発されていく中でこうした店が残っていくのだろうか、と勝手な心配をしてしまうくらい本当に良い。テーブルの上に置いてある『風の詩』を手に取る。小さな投稿が一遍だけ載っている。読み終わらないうちにシュークリームとコーヒーがやってきた。

古典音楽が流れている。やはりこうした場所には古典音楽がピタリと合う。昼のそば屋でジャズが流れ、チェーン居酒屋でコルトレーンが流れているのは、どうしたものかということを以前に書いたような気もするが、場所にあった音楽というのはとても大事だ。場所に違和感のない音楽ならば、それほど毛嫌いすることもなくなった。歳をとって器が大きくなったのだろうか、むしろ違和感のない音楽が流れる場所に行くことがなくなったのかもしれない。好みがはっきりしてくるのは良いことなのか、それともつまらないことなのか。かつてのようにどこにいてもHipHopが流れていてもいいじゃないか、と意固地になることもなくなったけれど、他人に押し付けたくなるくらいに好きなものが減っているのかもしれないと思うと少し寂しい。そんなことを思っているとコーヒーのなくなったカップに追加を注ぐかどうか尋ねられた。中華調味料の宣伝で流れている音楽が流れてきた。それを聴きながら飲むコーヒーは中華味がするのだろうか。そんなことを思いながら三杯目を断って、席を立った。

サンドウィッチ再び。

2007-03-24 18:34:51 | 出来事。
お心遣いに感謝。


同じ部署のメンバーがお祝い会を開いてくれるという。十二分にお祝いしていただいているから、もう結構ですよ、と答えてよいものかどうかも分からずに恐縮していると「何が欲しいですか」と訊かれる。何を贈ってよいかわからないので、欲しい物を教えてくれという。確かに本意でないものをもらって困ってしまうよりも欲しいものをピンポイントでいただけるならばとても合理的だ。では、と思いながら悩む。あれも欲しいし、これも欲しい。しかし、プレゼントしてもらうには気が引ける物ばかりだ。勿論値段のこともあるのだけれど、例えば「グラスが欲しいです」というようなことはなく、きっと細細と能書きを並べたうえで売っている店まで指定しかねない。そして確実に手に入るかどうかもわからないのだから口にするのも憚られる。全く自分は面倒くさい男だ。そんなことを思っていると、MSYが「じゃ、任されました」というので、任せることにした。

果たしてお祝い会が開催された。丸の内の会社から開花宣言が出たばかりの上野公園を歩き、池之端に降りてから繁華街にある会場へ向かう。既にその間にワンカップとワインを飲み、ほろ酔いだ。こうして歩くのも悪くない。ビルの中にある居酒屋の掘りごたつに落ち着き、一騒ぎする。そしてプレゼントを受け取った。明治屋の紙袋から食パンと美味しそうな惣菜が出てきた。いつか酔った勢いでサンドウィッチを作ってあげたのを覚えていたようだ。二人でお花見を、ということで選んだようだ。添えられていた花柄の紙ナプキンもとても良い感じだ。

すっかり酔って帰宅したのだけれど、相方とパンを眺めていると「これでサンドウィッチを作ってあげよう」という話になり、深夜のスーパーに足りない材料を買い足しにでかけた。翌朝、いつもよりも早く起きて二種類のサンドウィッチを作った。会社に持っていくと、皆が案の定という顔をしている。喜んでもらえるのは有難いが、次からプレゼントには注意しなければ、と思う。

占い師の出番。

2007-03-21 21:16:55 | 散歩。
風邪気味も終わりそう。


朝食を食べながら、今日は何をするのかと訊かれたので「散財をしに行く」と答えた。少々呆れた様子だったが、たかが知れた程度の散財だということもわかっているようで何ということもなかった。余り祝日という意識もないままに洗濯と洗物を終えて、少し早い昼食をとったらどうにも眠くなってきた。食後に飲んだ風邪薬のせいだろうか、そのまま布団にもぐって横になり、気付いたら夕方になっていた。少し体も軽くなったようだ。当初の目的どおりに散財に出かけようと思い立って、電車に乗った。

並木通りを歩いていると、占い師が小さい机を出して座っていた。ちらと見ながら通り過ぎようとすると「寄っていきなさいよ」と声を掛けられる。声を掛けられては無視するわけにもいかない。振り返って急いでいる旨を伝えると何か言っている。しかし、頭を下げて再び歩き始めた。かつて一度だけ酔った勢いで有楽町の駅前にいた占い師に手相を見てもらったことを思い出した。何を言われたのかは殆ど覚えていないのだけれど「目上に対して謙虚であれば出世する」と「結婚はできる」という二つの言葉は覚えている。きっと前者は酔っていたから占い師に尊大な態度をとったのかもしれない。帰り際に北関東の神社の住所を書いた紙を渡されたのだけれど、それもどこかへ行ってしまった。

散財をしようと思って「たくみ」まで行ったのだが、閉まっている。祝日であるということをすっかり忘れていた。来た道を戻る。またあの占い師の前を通らなければならない。別の道を通れば良いのだけれど、サンモトヤマのディスプレイにあった商品が素晴らしかったので、もう一度見たいと思ったのだ。再び前を通り過ぎるが、今度は声も掛けてこない。そうなると何だか声をかけてもらいたいと思い始めるが、こちらから観て欲しいというのは気が引ける。何に散財しようかと思っていたのだから、それを相談するのも良いかもしれない。けれど、その答えは案外簡単に見つかることに気付いた。それよりも欲しい物を絞り込むほうがずっと難しい。それは他人に任せたくはないから、やはり占い師に出番はない。そうして結局、その後で小さな散財をした。

どちらが先か。

2007-03-17 19:00:00 | 買いもの。
長い道のり。


三月の銀座百点をもらうのを忘れていた。毎月初めに配布店の店頭に並ぶから、いつもの月ならば昼休みに仕事場から歩いて伊東屋に出向くのが最近の習慣になっていたのに、それもすっかり忘れていたのだからやはり気持ちに余裕がなかったのかもしれない。月も半ばを過ぎようとしているのだから、きっと店頭にはないだろう。いつも入手している伊東屋をぐるぐる回った挙句に、結局、1階のインフォメーションで「ください」というのも少し気が引ける。二月はいつまでも店頭に並ばないので、受付に問い合わせたところ、落丁が発生したので配布が遅れるということがわかったりしたのだが、やはり何も買わずに堂々ともらいに行くというのは少々気が引ける。

先月もらった青い缶入りクッキーのお返しに何か買わねばと思いながら、ひと月が過ぎた。デパートの催事場にはキャンディーやら何やらが並んでいるのを横目で見ながら、ディプティック社のアロマキャンドルにしようと思いつく。銀座百点の嵐山光三郎氏の連載にもあったことを思い出しながらギンザコマツへ向かう。ブルガリのショップを併設した立派な建物だ。不似合いな自分が売り場をウロウロとするのもどうかと思い、売り場が3階にあることをあることを確認してエスカレータに乗る。すぐに売り場を発見した。小さいながらも全商品がずらりと並んでいる。匂いを嗅いでは、説明書きを読み、コーヒー豆の香りで鼻を元に戻してはまた嗅ぐ。これは良いながら次の匂いを嗅ぐとそれも良いなと思ってしまう、どうにも優柔不断だ。

そうして鼻と頭がフラフラになりながらイチジクを選ぶ。「FIGUIER」という文字の配置も良い。きれいな薄紙を重ねて丁寧に包装をしてもらっている間に銀座百点が積みあがっていることに気付いた。店員さんに二部もらいたい旨を告げると、下のほうにある状態のよい物を取り出してくれた。ありがたい。こう書いてしまうと百点をもらうためにキャンドルを買ったかのようだけれど、そうでないことは強調しておかなくては。

花婿の幸せ。

2007-03-13 12:13:43 | 出来事。
無事に終わりました。


先週の木曜日に誕生日を迎えたと思っていたら、あっという間に時間が過ぎていた。誕生日というと何か特別な日でなければならない気がしてしまうけれども、慌しく過ぎてしまえばいつもの一日と変わらない。自分のために何か欲しいものを手に入れる日でもなければ、ケーキを食べるための日でもないのだから、いつもと同じでも問題はない。部屋の片付けと皮膚科と床屋に行き、実家に戻ったのは夜の10時過ぎ。これでは祝ってくれと言うのも憚られる。いい歳をして「お誕生日」というのもどうかと思えば、そんなことも気にならない。もっと他に祝うことがあるだろう。

結婚式当日もあっという間に過ぎた。雨上がりの空の下、川越氷川神社で式を挙げた。何だかぎこちない親族紹介の後で、雅楽奏者と巫女の後に続いて本殿へと進む。決められたとおりに酒を飲み、祝いの詞を読みあげて、玉ぐしを納める。ひと通り終えたら社殿をバックに集合写真を撮る。何だか不思議な気持ちになるが、着々と進行していく。披露宴会場の料亭へ向かうため人力車に乗る。街を行くと皆が「おめでとう」と声を掛けてくれる。車の窓を開ける人、店の中から出てきてくれる人、観光の人、全く知らない人たちがお祝いを言って拍手してくれる。こんなことは二度とないだろう、いや、あっても良いか(もちろん別の機会で)。人力車の引き手が「こうしていると、世の中捨てたもんじゃないって気持ちになりますね」と言う。全くそのとおりだ。これだけ多くの見ず知らずの人たちが、他人の幸せを祝福してくれるのだ。

それにしても、多くの人の目はなぜ花嫁に向けられるのだろうか。白無垢に綿帽子を被った花嫁の衣装のおかげか、聞こえてくる町の人の声は花嫁に関することばかりだ。蔵作りの街を見学していた中学生の一団のひとりが「あ、花婿さんだ」と言っていたことだけが唯一か。しかし、その発言も何を評価してくれたのかは全くわからない。それでも何だか気分が良くなっていたのだから全く暢気な花婿だ。