楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

竹橋

2010-01-20 22:04:26 | Weblog
「ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた……」展

「早川良雄―“顔”と“形状”―」展

(ともに会期・会場は同じ)
会期 2010年1月2日(土)~2010年2月14日(日)
月曜日休館
午前10時~午後5時(金曜日は午後8時まで)
東京国立近代美術館(竹橋)
東京都千代田区北の丸公園内 03-5777-8600
※ http://www.momat.go.jp/


何の目的もないままに家を出たら腹が減ったので、昼飯を食べようと表参道の駅で下車した。日曜の昼下がりだから今日もパスタを食べようと決めて改札を出るとポスターが目に入った。ウィリアム・ケントリッジは京都での展示が紹介されていた時に興味を持った。しかし、目に入ったのは早川良雄展のポスター。思わず立ち止まって詳しく見ると竹橋の近代美術館で開催中と書いてある。近代美術館にウィリアム・ケントリッジを見に行こうと思っていたので何とタイミングの良いことかと喜びながら歩き始めると別のポスターが目に入った。こちらはウィリアム・ケントリッジ展のポスター。しげしげと眺めると、開催期間が同じだと分かった。何という偶然。そのまま竹橋に向かおうかと思ったけれど、空腹が再びやってきたので、地上へ出て青山通りを渋谷に向かって歩いた。

食事の後に渋谷をフラフラと散歩したけれど、手ぶらのままで終わってしまった。やはり竹橋に行くべきだったのだと悔やみながら、2枚のポスターを駅で偶然見つけた嬉しさをその日の収穫と慰めながら、負け戦を取り返そうと銀座線のホームに向かった。


※結局、銀座でも空振り続き。こういう日は大人しくしているに限るのかもしれません。

写真の敷居

2010-01-13 00:58:23 | 気になる。
「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」展
2009年11月28日(土)~2010年2月7日(日)
月曜日休館
午前10時~午後6時(木曜・金曜日は午後8時まで)
東京都写真美術館
東京都目黒区三田1-13-3 03-3280-0099(代表)
※ http://www.syabi.com/index.shtml

買ってからあまり使われていない我が家のGR-Degitalを相方から借り受けて、通勤鞄の中に入れっ放しにしているけれど、一向にメモリは減っていない。どこへいっても気軽にシャッターを切る人たちを見ては羨ましく思う。フィルムカメラをずっと使っていたせいだろうか、それとも28mmの視界に慣れていないからだろうか。いずれにせよ、すぐに乗り越えられるハードルのようには思えない。
木村伊兵衛もブレッソンも軽々と写真を撮っているような気がする。きっとデジタルカメラを手にしていたら遥かに多くのシャッターを切っていただろう。そんな気がしてしまうと、未だにデジカメのシャッターを切るのに躊躇している自分にとって写真の敷居はさらに高くなってしまう。まずは気休めだと思ってしばらくはデジカメをバッグに放り込んでおこうと思う。

かつての授業

2010-01-09 20:29:19 | Weblog

週末の午前中に洗濯機のスイッチを入れてから、その週の新聞を見返していると、かつて通っていた予備校の全面広告が目に入った。平日には読み飛ばしていたその広告を改めて眺める。浪人時代に受けたその講師の授業のことを思い出した。

‘cultureという外国語の意味は何かと申しますと、これは元来はラテン語が語源であります。ラテン語というのは、ヨーロッパ人にとっては、日本人にとっての漢文というものに当たると、まあ大雑把に言ってよろしいかと思いますが、この言葉は農業に、農耕文明に非常に深い関係を持っている言葉であります。英語のカルチャアの動詞はカルティベイト(cultivate)ですが、これは、土を耕し、植物と作物を大切に育てて、その植物が本来的に持っている可能性を実現させる、その最も美しい花を開かせる、或は最もかぐわしい果実を実らせる、ということであり、カルチャアとは、その植物が、作物であれ、果樹であれ、次第に成長し発展して、遂に咲かせた花、遂に実らせた果実、という意味なのであります。皆さんが、この世に存在して生きることによって、皆さんが咲かせる花、実らせる木の実によって、どのくらい周りの人々や世界が、明るくなるか、豊かに、美しく変化するか、その力の程度が、皆さんのカルチャアの程度であるということになりましょう。「教養」とは、人間が長い時間をかけて成長し成熟して遂に身につけた力、周りの人を、環境を、明るく、豊かに、美しくするのに役立つ力、その人の言行の中から滲み出している力のことを言うのであります。皆さんが、日本の文化とは何か、と問われた時、それは、日本という国が存在することによって、世界がどのくらい明るく、豊かに、美しく変化するか、その力が日本の文化である具合に、文化という言葉の語源からお考え下さるならば、cultureという言葉をめぐっての僕の話は、ここで一区切つけて良いかと思います。’(駿台予備学校 新聞広告(2010年1月9日)から引用)

読み終えて講師が鬼籍に入っていることを知った。受験の最中にこんな内容の授業を受けていたこともすっかり忘れていた。再び受験勉強をしたいとは思わないけれど、もう一度、新聞広告を読み直した。

Turtle Talk

2010-01-02 21:48:04 | Weblog

会社に向かう途中、駅の反対側のホームに停車している電車に乗る機会など、そうあるものではない。年が変わって何か新しいことをしたいと考えるけれど、すぐに思いつくのは日常の延長にあることばかり。反対方向に向かう電車に乗ってみようと思い付かないのは、自宅の最寄駅が終点の一つ手前であることとは関係がないと思う。

仕事の都合で少し前にディズニーランドに行く機会があった。会社とは反対方向に向かう電車に乗り、乗り換えた京葉線の車窓から海を眺め、ディズニーランドが見えてくると、かつて勤務していた会社のクリスマスパーティを思い出した。ディズニーなんて、と冷めた態度で参加したものの宴会場にミッキーマウスが現れて思わず喜んでしまったのは、大分酔いが回っていたせいだったと思う。今でも嬉しそうに並んで撮った写真を見るたびに恥ずかしく思う。

『Turtle Talk』という新しいアトラクションの紹介をするための訪問だったので、ディズニー・シーへ向かった。園内で場所を確かめてから直行すると、行列の最後尾に「40分待ち」の文字が見えた。寒風が吹き付ける中、アトラクションの説明を読む。海亀のクラッシュと会話ができる双方向型の内容らしい。漸く入った船を模した会場で司会役のキャストの説明が始まった。質問を考えておいた方が良いらしい。亀と話をしたいと思ったこともないので少々戸惑いながら、シアターのような会場に入る。前方に用意された子ども専用の席の少し後ろに腰をかけた。亀への質問など思いつくはずもない。

司会役のキャストと海亀のクラッシュとの軽快なやり取りが続く。事前に説明された動きもあって会場と海亀のコール&レスポンス状態だ。海亀が子ども達に質問をする。どこから見ているのだろう、リアルタイムで対応するナレーションに海亀のCGの動きが対応する。目の前に本物のクラッシュがいるかのようだ。我も我もと子ども達が質問のために手を挙げる。指名された子どもが「質問は?」と訊かれて呆然としている。そんな状況にもきめ細かくフォローする海亀のクラッシュは見事なエンターテイナーだ。

「人間は泳ぎは上手なのかな」とクラッシュが続けた。キャストの女性に「泳ぎの上手そうな人間を見つけてくれ」と指示する。会場を見渡してからキャストが泳ぎの上手な人を見つけて走り出す。自分の目の前に立ち止まった。どうやら自分が指名されたようだ。きっと買ったばかりの紺のニットキャップがスイムキャップに見えたに違いない。クラッシュの軽妙な進行に子ども達が笑う。思わぬところで冷や汗をかいた。随分長い時間だったように思ったけれど、会場を出て時計を見るとそれほど時間が経っていなかった。前々からどこに行っても道を訊ねられたり、シャッターを押してくれと頼まれるような気がしていたが、これからは海亀にも気をつけなければいけない。


※写真は違うアトラクション。これは質問される心配がないので安心でした。